2010年02月21日

二輪戦車から落ちたんじゃないの??

 「バンクーバー(本来ならば「ヴァンクーヴァー」かもしれないが、「ウィーン」とおなじく、慣用に従って書きます)五輪」、はじまりましたね(英語ではthe Winter Olympic Gamesと複数形で表記)。個人的にはいま、カーリングに夢中(苦笑)。もともと囲碁好きということもあってか、「巨大氷上おはじき」のごときこの競技はひじょうにおもしろいです。スポーツというより、相手の先の手を読んだりという部分もかなり大きいので、頭脳戦だなあという印象。つぎの相手はロシアとドイツだそうですが、がんばってほしいものです(あのカーリングの石って、スコットランドのとある島でしか取れない貴重な石材らしくて、100年は使えるんだそうです。いかほどの…[苦笑])。

 …でもなんといってもビックリしたのは――またしてもあの博士の出番(笑)――なんと! ツタンカーメン王の死因がついにわかったという! DNA鑑定の結果、死因はどうも「熱帯熱マラリア(マラリアのなかでは致命的な感染症)」だったらしいとのこと! えッ?! 博士、4,5年ほど前に王のミイラをCTスキャンにかけたとき、「二輪戦車(チャリオット)」から落ちて左膝蓋骨が砕けるほどの重症を負い、それがもとで亡くなったのではないかって言ってましたよね(→日経NG社の関連記事AFPBBの関連記事NYTの関連記事)? 

 いくらあのミイラの状態が「最悪」とはいえ、生前のツタンカーメン王が二輪戦車で走りまわれるほど頑強な体躯を誇っていたとはとうてい信じられなかった(同様に、あの米国地理学協会が発表したCG復元肖像も)。はっきり言って彼は自分とよく似ている――虚弱体質という点において。背格好もだいたいおんなじだし。たぶん自分も時代がちがえば、なんらかの感染症に罹患したら即、早世したほうだと思う。ツタンカーメン王は運がなかったんだな。

 国内報道では『米国医学会誌』に掲載、とあったけれども、どうもこれらしい。機会があったら手に入れて読んでみたい(abstractでもだいたいのことはわかるけれども)。今回DNA調査を「受診」したのは、ツタンカーメンもふくめて彼の直系と思われる王族11名のミイラ。試料は、ドリル(!!)で穴を開けられて「採取」されたという(しかたないか…)! よけいなお節介ながら、今後の博士の身の上が心配ではある。

 たしかに王墓には大量の「杖」が副葬品として発見されているし、疾病治療のためなのか、木の実や葉、種子なども見つかっている。かつてセヴェリンが言ったように、ここでもかたちはちがえど、『聖ブレンダンの航海』とおんなじような教訓が導き出せるように思う――文書にせよ遺跡にせよ、そこにはあるていどの「史実」が反映されているものだ、ということ。どうりで王墓からヌビア人奴隷の彫り物のついた杖とかがいっぱい出てきたわけだ。まちがいなくツタンカーメン王は生前、杖を使っていたでしょうね(Walking impairment and malarial disease sustained by Tutankhamun is supported by the discovery of canes and an afterlife pharmacy in his tomb.)。そういえば『ツタンカーメン王のひみつ』にも、王が息を引き取る三日前、「わたしは高熱の苦しみののち安らかな眠りにつく」とかいったことばが碑文としてなにかに刻まれていたとか、書いてあったっけ。

 そして同時にいまひとつ、すごいこともわかった。父親と母親を特定したという! 父親は――やっぱり? ――「異端の王」、アクエンアテン(アメンホテプ四世)で、母親は父親の「近親者」の側室らしいということ、アクエンアテンのミイラも特定できたという(ついでにおばあさんにあたるアメンホテプ三世の后、ティイのミイラも)。王族には「マルファン症候群」などの遺伝疾患の兆候は認められなかったけれども、「ケーラー病 II型(?、引用者自身よくわかっていない…)」を患っていたらしい痕跡が認められるという。つまり生前のツタンカーメンは下肢になんらかの障害があり、日常的に杖を使用していた、ということです。

 今回のDNA調査によって、ツタンカーメン王のほかにも4名に、致死性マラリアに感染していた痕跡が血液から見つかったという(そんなことまでわかるんだ。技術の進歩もすごいけれども、DNAまで「保存」した古代のミイラ技師たちの技術もすごい! 脱帽…。そしてツタンカーメン王のミイラはマラリアに罹患していたことが判明した最古の例、ということになる)。

 …とにかく今回の調査ではっきりしたのは、ツタンカーメン王は近親婚で生まれたらしいこと、下肢に障害もしくは変形を起こすなんらかの遺伝疾患を抱えていたこと、杖なしでは歩けなかったこと、最後は骨折(さすがになんで骨折したかについては不明)と「熱帯熱マラリア」にかかって19年の短い生涯を終えたこと。けっして側近のアイとか、軍司令官のホルエムヘブに暗殺されたわけではないということ(昔、ベストセラーになったあの本はトンデモ本だったということか)。ホルエムヘブは即位したあと、王名表からかつての上官ツタンカーメンのカルトゥーシュをすべて削り取っているけれども、あまり深い意図はなかったのかもしれない。とにかく、まさか自分が生きているときにこうした「史実」が、かなり細かい点まで詳らかにされようとは、まったく夢にも思っていなかった。ザヒ博士に感謝すべきかも[付記。BBCの記事に出てくるリヴァプール大学の形質人類学者の先生はマラリアに感染したからと言ってかならずしも「発症」したわけではないとし、ミイラから胸骨がまるまる欠けているのも「二輪戦車から落ちたからだ」と考えているようですね]。

追記。そうだ、忘れてました…こういうものも王墓から出土していたんですよね…たしかに杖を使っています! でもカーターはじめ、当時の考古学者もいまの考古学者も、この箱に描写された「少年王の姿」を真剣に考えていた人なんてだれひとりいなかったのではないか? 

posted by Curragh at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・考古学
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