1). この前地元紙を見たら、大バッハの325回目の誕生日の20日、ライプツィッヒの「バッハ博物館」がリニューアルオープン! したそうです。で、記事中、「自身が弾いたパイプオルガンの演奏台なども展示する」とあり、「バッハが弾いたパイプオルガンの演奏台」とキャプションのついた写真まで掲載されてました! …むむむ、これ見たことない(汗)、いったいこれはどこのなんというオルガンのコンソールなんだ?! というわけでさっそくサーチ。すぐ出てきた。たとえばこれとかこれ。どうもこれ、聖ヨハネ教会のオルガンの演奏台らしくて、1743年、というからすでに「平均律 第二巻」が完成したばっかのころにバッハが弾いたと伝えられるものらしい(バッハの亡骸が発見されたのが、たしかそのヨハネ教会だったと思った)。奇跡的に戦災を免れたものという(ハンブルクのカタリナ教会の歴史的オルガンは遺憾ながら先の大戦で焼失)。ところがこのすばらしいニュース、どういうわけか英語圏ではあんまりメディアに取り上げられてないらしくて、かろうじてZDFサイトにおあつらえむきな動画を発見したのでリンクしておきます。ああ、また行きたいところが増えた(苦笑)。
2). ところで地元紙には「変わるコンマスの役割」と題したコラムも掲載されてました(著者は渡辺和彦氏)。サントリーホールにて樫本大進さんが昼夜連続でおこなった、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲演奏会を取り上げたものでしたが、主眼はそこではなくて、「コンマスとソリストについて」。樫本さんはベルリン・フィルのコンマスに就任することが決まってますが、「ソリストとして活動していた演奏家がコンマスを務めること」については、両者の役割はまるでちがうため、たとえば樫本さんの「前任者」安永徹氏はかつて渡辺氏の取材にこたえて、その「混同」を戒めていたという。
昔は「楽団員のリーダー」にすぎなかったコンマスも、「準ソリスト」化が進んでいると指摘したうえで、「コンマスのあり方や役割も時代とともに変わりつつあるようだ」と結んでいました。
「リーダーから準ソリストに」というサブタイトルもついていたのですが…こういうものにとんと疎いワタシなんか、逆に、「すぐれたソリストだからほしかったのかな」と思っていたもので、なるほどそう言われてみればそうなのかなと…。これはたとえば山岡氏の著書にもあったけれども、日本人の翻訳者はあくまで「英日」方向の翻訳を請け負うべき、という主張とも通じるものがあるかと思う。言ってみればソリストがコンマスを務めるのは、母国語ではない言語への翻訳にひとしい離れ業なのかもしれない。
…ほんとは、いま図書館から借りている『バッハ全集』第12巻に収録されている「ゴルトベルク」をサカナに駄文をつらつら書こうかと思ったけれども、またにします(苦笑)。「ゴルトベルク」はいまや就寝時には必須の音楽になりつつあります(「ゴルトベルク」は曽根麻矢子さん、師匠のスコット・ロス、レオンハルト、キース・ジャレット、シュタットフェルト盤と聴いてきて、いまは『バッハ全集』のトレヴァー・ピノック盤です)。
追記。先週のChoral Evensongはちょうど折よく「聖パトリックの祝日」の放送で、ダブリンから。「パトリックの胸当て(別名「鹿の叫び声」)」の祈りによる聖歌も歌われています。
2010年03月22日
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>「リーダーから準ソリストに」
これ、じつは、プレイヤーにとっては由々しき問題でして。
ドイツ辺りでも従来の徒弟制度(もちろん「喩え」ですが)が崩れて、アンサンブルを主導出来ないコンサートマスターが増えていて、良心的なプレイヤーの中では問題視されています。
両方の能力を兼ね備えた人なら問題ないんですが・・・なかなか厳しいようです。
お返事遅れまして失礼しました。m(_ _)m
やはり楽団をまとめあげるコンマスとソリストとでは求められる能力はまるでちがうのですね。ドイツでの話もはじめて知りました。情報、ありがとうございます。