2010年05月02日

「4つのデュエット」

 4月最終週の「ベスト・オヴ・クラシック」で、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメさんという、ひじょうに覚えにくいお名前のピアニストの来日公演のもようを聴きました。「フランス組曲 第6番 BWV.817」なども弾いていたんですが、もっとも興味深かったのは「4つのデュエット BWV.802-5」という小品。この4つの鍵盤曲、イントロだけ提示されて「曲名当てクイズ」をやったら、バッハ好きの人でも即答できる人はそう多くはいまいと思う。というわけで、ここですこしばかしメモしておきます。

 この4つのクラヴィーア楽曲、最長の作品でも 149 小節、演奏時間もほんの数分という小品です。いずれも、宗教改革200年記念祭に当たった1739年の聖ミカエル祭見本市期間中にバッハが出版した「クラヴィーア練習曲集 第三部」に収録された一連の鍵盤作品。ところがこの小品集、いまだに作曲者の意図するところがいまいちよくわかっていなくて、諸説紛々といったところ。おもな理由として、「クラヴィーア練習曲集」と言いながら、宗教改革200年を強く意識したと思われる、いわゆる「教理問答書コラール」が中心となっているのに、なんでこのような非宗教的楽曲まで収録されているのか。バッハ自身の序文では、「クラヴィーア練習曲集第三部。教理問答歌その他の賛美歌にもとづく、オルガンのための種々の前奏曲からなる。愛好家および、とくにこの種の作品に精通する人々の心の慰めとなるように」とあります。

 この曲集、以前はその「宗教性」が全面に押し出され、「ドイツ・オルガン・ミサ」なんていうあだ名までちょうだいしたくらいですが、近年の研究によるとバッハがお手本としたのはフランスの前例、たとえばニコラ・ド・グリニーの「オルガン小曲集」とかで、バッハが自家薬籠中のものにしているさまざまなオルガン作曲技法を開陳しよう、という意図のもとで編まれたものらしい。もっとも宗教性はあきらかな「数象徴」によってはっきりと現れているのも事実。この記念碑的な曲集の巻頭と巻末を飾るのは、あまりにも有名かつバッハ最後の自由オルガン作品としてつとに名高い「前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV.552 」で、フラット三つ、三つの主題による三重フーガつき。大きく向き合う大伽藍のごときこの大きなオルガン曲にはさまれるように、21の大小コラール編曲(小編曲のほうはおもに家庭用の小型ポジティフオルガンを想定して作曲されたらしく、足鍵盤パートのない手鍵盤のみで弾ける編曲となっている)。ここで 21 = 3 x 7 で、コラール編曲は7つの部分に分かれる。その第一部をなす「キリエ」と「グロリア」は9曲 ( 3 x 3 ) からなる。さらに「キリエ」は足鍵盤つきの「大編曲」と手鍵盤のみの「小編曲」とがそれぞれ3曲ずつ、という念の入れよう。

 問題の「4つのデュエット」は、これら大小のコラール編曲の最後、つまり「変ホ長調の三重フーガ」の直前に置かれています。かつてシュヴァイツァーはこれらを「彫版のさいに誤って」紛れこんだものと考えていたけれど、おそらくそんなことはけっしてない。4つの楽曲の調性は順に「ホ短調」、「ヘ長調」、「ト長調」、「イ短調」で、最後の三重フーガの「変ホ長調フーガ」冒頭の第一主題の開始音「変ロ」へとスムーズにつながっていく。* もっともこれら四曲が「第三部」に追加されたのはじつは出版直前で、バッハは最後まで改訂をつづけていたことがわかっている。「デュエット」も入れた総曲数は27で、つまりこれは3の三乗、3 x 3 x 3にするためだったという説もあるけれど、参照したウィリアムズ本 ( The Organ Music of J.S.Bach Second Edition ) によると、オルガニストの利便性を考えればこれらオルガンにそぐわない語法で書かれている楽曲よりもルター派のコラール編曲二組のほうがよいとし、なんらかの実用上の理由から初版発行直前になって4 つの小品を追加したのではないかと推測しています( pp. 530-1 )。

 細かいところはともかく、これら4つの小品は短いながらもバッハの作曲技法のエッセンスがきわめて凝縮された鍵盤楽曲 ( いや、練習曲 ) で、オルガンにせよチェンバロ ( クラヴィコードもよい ! ) にせよ、聴いていて楽しい作品です。いずれも二声で書かれ、活発な動機の走り出す二重フーガ ( BWV.802 ) があるかと思えば、シンメトリックな書法の支配するダ・カーポ・フーガ ( A-B-A ) で書かれたり ( BWV.803 )、二声でありながらあたかも四声フーガを聴いているかのような曲 ( BWV.804 )、複雑な二声インヴェンションのような曲 ( BWV.805 ) と、じつにさまざま。ちなみにヴァルヒャは「4つのデュエット」を最初のモノラル全集録音盤では旧東独のアンマー製モダンチェンバロで、二度目のステレオ録音盤ではオルガンで弾いています。

 …と、ここで例によってまるで関係のない余談。この前、NYT のニューズレターの「今日はなんの日」を見ていたら、先月の21日って、米国の作家Samuel Langhorne Clemensの命日だったとある。え? サミュエル・ラングホーン・クレメンズってだれじゃそれだって? なんのことはない、かのマーク・トウェイン ( Mark Twain ) ですよ。この筆名じたい、この人特有の二重性がこめられていて、もとはミシシッピ河の蒸気船水先案内人への合図「水深二尋だ、座礁しないように気をつけろ!」からきているけれども、「クレメンズの二重性に注意せよ」とも読める。事実この人はつまらない ( ? ) 駄洒落から警句までいろいろ名文句を残している。たとえば自身もひと山当てようとカリフォルニアへ金鉱掘りに行ったけれども、結果は「バカが地の底までつづくものなり」。またある日、いたずら者が1ドルを同封した郵便物を送りつけて、「これでどうぞ一語だけの原稿をお送りください」ときた。トウェインの返事はまさしく一語のみだった ―― 'Thanks !' また自分の書いた本は水だと言い、「古典は酒だが、水は子どもでも飲める」。そして「古典 ―― 人々が褒めはするが、読みはしないご本」。

 この人は物書き専業になるまで新聞記者やら蒸気船乗りやらいろんな職業を渡り歩いたらしいけれども、「宇宙から派遣された地球特派員」と自称していたようです。それはたしかに事実かもしれない。この人はハレー彗星とともに生まれて、76年後の1910年にハレー彗星が帰ってくるときに帰天しているのだから(こちらの記事見たら、『あしながおじさん』のジーン・ウェブスターってトウェインの姪っ子だったんだ、知らなかった)。

* ... ウィリアムズによると、ホ-ヘ-ト-イという上行音階はヴァルターの『音楽事典(Musicalisches Lexicon, 独語で出版された最初の音楽事典)』に掲載されたテトラコードの上4音であり、また1699年に出版されたヨハン・クリーガーの「優美なクラヴィーア練習曲集 Anmuthige Clavier-Übung, 1699 」最初の四曲も、これまたまったくおなじ「ホ短調」-「ヘ長調」-「ト長調」-「イ短調」という順番で収録されているという。

posted by Curragh at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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