2010年05月03日

三組の聖歌隊の島(Navigatio, Ch.17)

 ラテン語版『聖ブレンダンの航海』17章には、聖歌隊の島まで登場します。出発時にブレンダン修道院長が予言したとおり、遅れてやってきた三人の修道士のうちのひとりがこの世の終わりまでこの島にとどまることになります。

 島の名前は「強き者たちの島('insulae virorum fortium'[MS. Alençon])」というもので、ここのエピソードは兄弟分の『メルドゥーンの航海』ではたとえば31番目の「笑いの島」にも似ていると言えるかもしれない(→関連拙記事)。

 この島は異様に平坦で、聖ブレンダン一行にはほとんど海面すれすれに思えたほどだった。広大な島にはたわわに実った「真紅と白の果実(原語では'scalta')」でいっぱいだったけれども、ほかの種類の樹はなし。聖ブレンダン一行が島についたのは朝10時ごろ。上陸すると、修道院長が予見したとおりに三組の聖歌隊が現れ、詩編第84番の8節目「聖人たちはいよいよ力を増して進み、ついにシオンで神にまみえることでしょう」を歌いながらやってきた――聖歌隊の先頭が少年組(pueri)で彼らの服の色は白。二番目が青年組(iuuenes)で、着ているのは青色の服。最後、つまり三番目が壮年組(seniores)で、着ていたのは真紅のダルマティカだった。それぞれの聖歌隊のあいだには投石器で石を放れるくらいの間隔が空いていて、順番に立ち止まっては詩編歌を唱和しといったふうにえんえんとお勤めを繰り返していた。晩課、15の「都へのぼる歌」を歌い終えると、島全体がまばゆく光り輝く分厚い雲に覆われ、彼らの姿は見えなくなったが、あいかわらず「早朝の祈り(朝課 prima)」まで、詩編を朗々と唱和する彼らの歌声だけは響いてきた。雲がかき消え、日の出を迎えると、すぐに島の聖歌隊は三つの詩編を歌いはじめた。三時課(午前9時)で三つの詩編を歌い、第90番をアレルヤつきで歌い終えたのち――ということは六時課、正午くらいか――彼らは「穢れなき子羊」を捧げて、こう唱和した。「この聖なる主の御体と救い主の流された血を永遠の命として受け取りなさい」(セルマーによると、この詩は5世紀のアイルランド人聖人セフナル(St Sechnall[Secundinus])という人の作らしいけれども、個人的にはよくわからない。一説によると、聖セフナルはパラディウスの使節のひとりだったらしい)。

 ここで青年組からふたりが紅色のスカルタでいっぱいの籠を抱えて聖ブレンダン一行のもとへやってきて、われらの兄弟をひとり島に置いてゆくように、この島の果実を受け取り、平安のうちに船出されるようにと言った。遅れてやってきた修道士のひとりはほかの仲間たちと抱擁して別れを告げると、修道院長聖ブレンダンとも別れの抱擁をした。「息子よ、この世で神から賜った恩寵の大きさを忘れるでないぞ。さあ行け。そしてわれらのために祈っておくれ」。そして一行は島をあとにしてふたたび大海原に乗り出した。一行は船上で紅色のスカルタを絞り、その果汁を飲んだが、スカルタひとつだけで12日間はもちこたえ、口の中にはずっと蜜のような味が残った。…

 「三組の聖歌隊の島」はだいたいこんな感じで終わってますが、重要と思われるのはその順番。古代ケルトやゲルマン社会ではたいていの場合、地位の高い者が先頭に立つ、という習慣があったらしい。でもケルト学者故ジェイムズ・カーニーによれば、これがキリスト教到来とともに逆転してしまったらしい。それが反映されている一例として、有名な『クーリーの牛捕り(Táin Bó Cúailnge, クーリーは現代英語読みなので、本来は「クアルンゲ」と書いたほうがいいかも)』を挙げています。アルスターの英雄クー・フリンと西隣りのコナハト国の屈強な女王、メイヴとのあいだで繰り広げられた壮大な一大戦記を描いた「アルスター物語群」のひとつですが、この中で、自国軍とレンスターなど近隣からの援軍がメイヴ女王の居城であるクルアハン(Cruachain, Cruachuの古名で、現在のラークロアン遺跡だと考えられている)に集結するくだりが出てきます――アルスター王コンホバル(Conchobar mac Nessa, 英語綴りではConorで男性名Connorはここから派生)の息子コルマック(Cormac Conn Longas, 「クーリーの牛捕り」の前話、「ウシュネの息子たちの流浪 Longas mac nUislenn」で父王コンホバルの謀略に怒り、ほかのふたりの戦士とともに隣国コナハトへと逃れていた)の軍勢が到着したとき、隊列は三つに分かれていて、最初にやってきたのが短く髪を剃り、膝丈までの服とまだら模様の外套を着ていた戦士たち。二番目がもうすこし長い髪で、脛までとどく衣と深い青色の外套。最後にやってきたのが肩まで髪を伸ばした戦士たちで、頭巾のついた刺繍の施された真紅の服と足先まで届く外套をまとっていた(→Táin Bó Cúailnge オンライン版テクスト。参考リンク→コンホバル王および「ウシュネの息子たちの流浪」関連サイト)。最初と二番目の隊列が到着したとき、女王メイヴはだれからも問われていないのに「コルマックはまだだ」とこたえ、三番目つまり最後の隊列がやってきたとき、「コルマックが来た」とこたえたという。

 おなじくカーニーによると、Vita Kentigerniという聖人伝では、ケンティゲルン(? 具体的に何者なのかは知らなかったが、こちらの記事によるとどうもスコットランドの人でグラスゴー市の守護聖人らしい)のもとに到着した聖コルンバの一行が少年・青年・壮年と三つのグループに分かれ、出迎えたケンティゲルンの一行もおんなじように「年齢順」に三つに分かれて、「聖人たちはいよいよ力を増して進み、ついにシオンで神にまみえることでしょう」と唱和したとある――つまり『クーリーの牛捕り』のコルマック到着の場面ではこういったキリスト教化されたあとの習慣がひょっこり顔を出しているということになる。そして奇しくも『航海』に登場する「強き者たちの島」の聖歌隊が一行を出迎えたときにも、このおんなじ詩編を歌っている(「ベネディクト戒律」ではどうなってるのか知らないが、すくなくとも当時、客人を歓待するときにはふつうに歌われていたものらしい)。ちなみに現在の西方教会の聖歌隊席の席順も基本的にはおんなじで、最前列に子どもつまり少年聖歌隊員、そのうしろにお兄さん隊員、最後列に最年長の聖職者クラスの席といった順番になっている。

 最後に得体の知れない(?)スカルタなる果実について。記述をていねいにひろうと、1). 球のような丸くてでかい果実で、いずれもおなじ大きさ 2). 真紅と白とふたつの色があり、3). 絞ると大量のジュースがとれ、4). 一個のスカルタを絞った果汁1ポンドをそれぞれ1オンスずつ分けて各人にあたえたら、5). 12日間はもちこたえ、6). そのあいだ口の中にはずっと蜜のような味が残った、そんな果実だったらしい。1). について、スカルタ一個を手にとったブレンダン自身が、「こんなに大きなスカルタは見たこともないし読んだこともない」と言っているから、すくなくとも当時のアイルランド人はこの果実を知っていたことが想像されます。と言ったっていったいなんのことやら、さっぱりではあるが…このあとで「ざくろのような香り(Ch. 18)」とか出てくるから、それっぽいものかなあと勝手に妄想しています(ちなみに原文に「12等分した」とあるのはもちろん乗船人数と数があわない。こういう矛盾は古文書ではよくあること)。

 …というわけで、いま「今日は一日“ラ・フォル・ジュルネ”三昧」を聴いています…。早いもんだ、バッハをテーマとしたLFJからもう一年が経ってしまったのか…。

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