2010年05月09日

「クラヴィーアの騎士」

 きのうとカブってしまうけれども、『バッハ全集 第11巻』の解説本に興味深い記述があったので、ここでも手短かにメモしておきます――バッハの教え方についてです。

 バッハが初学者にまず課したのは、独自に考案した「独特な指使い」だったらしい。最初は「インヴェンション」からはじまって、習熟してなにも教えることがないと判断するとこんどは「平均律」へと進ませたという。とはいえ最初の「指使い」について、弟子だった人の証言によると徹底的に叩きこまれたらしい。とにかく独立した楽句ばっかり最低半年から一年も、えんえんと練習させられたんだと。弟子の忍耐力が切れそうになると、師匠は「小プレリュード」とか「インヴェンション」のような小品を作曲しては弟子に与えていたという。目的は「両手すべての指で明確できれいな打鍵ができるようになるため」。これだけでもすごいけれども、ゲスナーという弟子の証言によると、「インヴェンション」をマスターしたあと、バッハみずから「平均律 第一巻」全曲をなんと三回も(!)弾いて聴かせてあげたんですと! これらの指使いの訓練には、あらゆる装飾音の練習が両手でマスターできるように仕込まれた。で、ここで重要なのは、弟子たちにさらに大規模でむつかしい作品へと導いていったとき、かならずバッハは自身の「模範演奏」を弟子たちに聴かせた、という。

 また作曲の訓練も同時に授けてもいるが、ここでもバッハの教授法は独特だった。『バッハ伝』作者のフォルケルによると、当時の教師たちがよくやったような、無味乾燥な対位法のお勉強とか音程比の計算を強いるなんてことはなくて、あくまで実践に即した方法、たとえば通奏低音にもとづいた4声部書法を書かせて、和声進行を把握させることからはじめたと言います。実務家バッハらしいところではあります。とにかくじっさいの演奏ありきという姿勢が徹底されていますね。

 ただしバッハはここで作曲に不向きな生徒には作曲をしないようにと忠告していたという。こいつは見込みがあるなと思った弟子には、準備的な訓練のあとで2声のフーガを書かせたそうなんですが、ここでフォルケルによると、バッハが言ったとされる有名なことばが出てきます。師いわく、「クラヴィーアの騎士」にはなるな、と。以下はバッハが弟子たちに「厳守」させたという、作曲作法の引用。

「(1) クラヴィーアを用いずに、自由な精神で作曲すること。そうしない者たちを、彼[バッハ]はクラヴィーアの騎士と呼んで叱責した。(2) 各声部それ自体でのまとまりと、それと結びついて同時に進行する諸声部との関連に絶えず留意すること。いかなる声部も、たとえそれが内声であっても、それが言うべきことを完全に語りおえるまでは、途中で途切れてはならなかった。いかなる音も先行する音と関係づけられねばならず、何処から来たか、何処へ行くのかわからない音が現われると、その音はうさんくさい音としてたちどころに追放された。各声部のこうした高度に精密な処理こそが、バッハの和声を一種の複合旋律とするものなのである」(『バッハ資料集』角倉一郎訳、白水社 1983、下線は引用者)

バッハ自身からしてたいへん勤勉な人で、いろんな国のいろんな流派の作品を筆写していたり、それらの筆写譜や出版譜をたくさんもっていた。そしてなによりバッハはものすごいオルガニストでもあるから、フォルケルが書いていることはたいへんよく理解できる。曲想の根底には鍵盤楽器、とくにクラヴィコード/オルガン/チェンバロの発想があったことはまちがいない。そしてバッハが一地方都市という「周縁」に終生、とどまっていたことも幸いしたと思う。おんなじことはたしか坂本教授の'schola'でも先生のひとりが言っていたけれども、もしバッハがパリとかローマとかにいたら、ひょっとしたら全欧州の過去さまざまな音楽流派を統合するような音楽、真に普遍的で時代を超越してしまう音楽を残さなかったかもしれない。もしバッハがドイツを離れて流行の先進地でバリバリ活躍していたら、バッハは幸福だったかもしれないが、その後の西洋音楽の歴史は確実にいまとはちがっていたはずです。…それにしてもわれわれ一般人が想像する作曲家像って、たいていピアノの前に座ってなにやらフレーズ弾いて、ブツブツ言いながら楽譜に書きつけている…そんな姿だけれども、バッハに言わせるとそれは「クラヴィーアの騎士」というわけか。

 …と、先週のChoral Evensongは大好きな聖歌隊のひとつ、トゥルーロ大聖堂聖歌隊で、ブリテンの「テ・デウム ハ長調」のボーイソプラノのソロとかもよかったんですが、あいにく最後のオルガン・ヴォランタリー(ヴィドールの「オルガン交響曲 第6番」から「アレグロ」)になっていきなりブツッブツッと…orz。で、しばし沈黙があり、また回線が切れたか(笑)と思っていたら、これはBBCのエラーだった。

'... Very sorry to say that we're ... currently(?, 正確には聞き取れず orz) Choral Evensong was overseeing a few problems with on-line to Truro ... Many apologies for having been truncated ...'とかなんとか、アナウンスが聞こえてきた。たまにはこういうこともある。

 …いまさっき、生協の宅配で届いたスペインの赤のテーブルワイン(vino de mesa)、テンプラニーリョ主体でけっこうおいしいのですが、飲みながら「N響アワー」を見てました。今日は「母の日」でしたね…「母に教え賜いし歌」、いいですねー。プーランクの「悲しみの聖母」もよかった(蒸し返しになるけれど、これは中世にたくさん作られたセクエンツィアのひとつで、反宗教改革のときにいったん廃止になったものの、18世紀になってふたたび復活した聖歌)。で、「今宵はカプリッチョ」コーナーになって代表的な「アヴェ・マリア」が「さわり」だけ数曲、かかりました。最初に聴こえてきたのはバッハ/グノーの超がつくほど有名な作品だったんですが、おややや? これ、どっかで聴いたことあるかも…どう転んでもこれは少年の声だな、いやこれははじめて聴きに行ったウィーン少公演会場で買った東芝EMIの音源ではないか、と思っていま引っ張り出して聴いてみたり(笑)…すくなくとも声質はよく似てるなー。

 脱線ついでにもうひとつ。今日の地元紙の「読書」蘭に、ひじょうにおもしろそうな新刊本を二冊、見つけました。ひとつは『ワインという名のヨーロッパ』、いまひとつは『音楽好きな脳』(!)。前者の書評いわく、「なぜイエスは(ワインに親しむ家庭環境に育ったわけでもないのに)、ワイン(ようするに葡萄酒ですな)の比喩や例え話をよく用いたのか。その間の事情を詳しく描いたこの章は、意表を突く問い掛けに満ちていて読み応えがある」ですと(ちなみにこれ書いた人は武秀樹という「書評家」さんらしい。書評だけでごはん食べていけるのかな、なんてよけいな詮索をついしてしまった)!! たしかにワインの比喩は多いですよね。いちばん有名なのは「これは多くの人のためにわたしが流す血だ」と言ってワインの杯を弟子たちにすすめた「最後の晩餐」の場面だと思うけれども…「あたらしい葡萄酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば革袋は破れて葡萄酒は流れ出て、革袋もだめになる。あたらしい葡萄酒はあたらしい革袋に入れるものだ(Matt., 9:16-7 ほか)」とかいうのもあったっけ…ついでに「カエサルのものはカエサルに返せばよい」と言って敵対するファリサイ派をだまらせた、なんてくだりもあったな(Matt., 22:15-22 ほか)。後者をものしたのは、カナダのマギル大学で心理学・行動神経科学を教えている先生だそうで、若かりしころはなんとロックバンドを組んだり、レコードプロデューサーとしても活躍していたんだとか。現存する最古の楽器はなんと5万年前、クマの大腿骨からこさえた笛なんだそうで、これはクロマニョン人、つまり現生人類の直接のご先祖様出現とおなじ時期だという! それほどヒトと音楽とのかかわりは古い、ということのようです。書評によると、「小脳は一般に運動機能をつかさどると考えられているが、音楽とも関係が深く、雑音を聞いている時は活動しないのに音楽を聴くと活発に活動する」。また小脳はいわばメトロノームで、音楽のテンポを記憶しているんだって。そんなことはじめて知った! というわけで、また例のオランダ語のサイトに行ってこよう(笑)。

posted by Curragh at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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