先日、どうしても命日の来月2日までには見なくては、ということで(そんなにこだわることもなかったかもしれないが)見てきました、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知 Annunciazione」。とはいえいざ国立博物館に着いてみるとすでにけっこうな人だかり。「立ち止まるな!」ということでしたが、じっさいにはエスカレータ方式というか、じっくり見たい人は最前列、お急ぎの方はうしろ側をすばやく通過、みたいな感じで混雑していたわりにはたいへんスムースでした。表で並んでいるときに眺めた、亭々と聳えるみごとなユリノキの新緑がやけに印象的でした。遅咲きのさくらなんかも咲いていました。この時期上野公園に来るのはほんとひさしぶりです…前回は2000年、「ピカソ・子どもの世界」というすばらしい展示のときでした。
さて肝心の「受胎告知」の第一印象は…遠目で見えてきたときはなんか「ルネサンス版プラズマ ハイヴィジョンTV」みたいだな、と…小学生のとき買ってもらったレオナルドの作品集をいまだ後生大事にもっていますが、グラビア印刷されたものと本物とでは、当たり前のことながらずいぶん感覚がちがいますね。かなーり横長で、思っていたよりもすこしちいさく感じました。それでも大天使ガブリエルの足元のお花畑のような草むらに、処女マリアのまとう衣服の細かいひだの微妙な――ほんとに微妙としか言いようのない――光と影のつきかた、天使とマリアの巻き毛の繊細さ、遠景のぼおっとかすむ岩山と港…はほんとに鮮やかそのもの、一瞬のうちにこの作品が描かれた時代へとタイムスリップしたかのような錯覚をおぼえました(もちろん、右斜めからじっくり鑑賞。飛び出す絵本よろしく立体的に見えたのは気のせい?!)。突然出現した大天使ガブリエルから「おめでとう、マリア」といきなり言われ、書見台から顔を上げたまま陶然とする若い娘。「最後の晩餐」にくらべると構図的にちんまりまとまりすぎているような気もしないわけではないが、隅々まで計算し尽くされたこの作品が若干二十歳、独立して間もない新人画家の手になるものとはとうてい信じられない。ほんとはもうすこし絵の前に佇んでいたかったのですが(天使のもつユリの花とかもきちんと見ておきたかった、etc.)、押し出されるような感じであっという間に鑑賞終了! 作品の前にいたのはせいぜい2,3分か。あまのじゃくな自分には、絵の前に立っていたふたりの警備員がある意味うらやましかったりしました…。で、本館表玄関にもどると今回の特別展図録を売ってる売り子さんが目に入りまして、図録をさっそく購入。自分はNHKからもらった割引券で入ったから1500円のところ100円引きだったんですが、それでも図録のほうがチケット代金より高い2000円(笑)。でも内容豊富でひじょうに価値の高いものなので、むしろこれは安すぎるくらい。
さてこんどは第二展示会場の平成館へ。こちらはおもにレオナルドの残した膨大な手記・手稿類からまさに万能人レオナルドその人のありようを展示してありまして、こちらはもちろん順番に並ぶ必要もなく、順路にしたがって自分のペースでじっくり見る、というか勉強できました(こちらのblogによると、音楽関係は省略されていたらしい。個人的にはちょっと残念。ちなみにレオナルドは少年時代からリュートの名手で、音楽についてもひじょうに造詣が深かった。ついでに当時は音楽も天文学も数学もおなじものとみなす中世以来の価値観が主流だった)。
第二展示を見て感じたのは、レオナルドという人には芸術・科学の境界線というものがまるでなかった人、ということ。とにかく目に見えるもの、森羅万象の事象現象はすべて納得ゆくまでとことん突き止めないと気がすまない人だった、ということをあらためて思い知らされました。手稿のファクシミリ版も何点かありましたが、写真を趣味にしている者としてはパリ手稿C( だったかな? )の開いたページに描かれた線画が気になった( 図録のp.200 )。また異なる明るさの光が産み出す影の美しいグラデーション模様とかがじっさいに再現されていたり、目の錯覚を利用した一種の騙し絵みたいなものも展示されていたり、解説ビデオもところどころに用意されていたりと、見る者を飽きさせない工夫満載です。いくぶん散漫な印象もなかったわけではないですが、まさに至れり尽くせりで、それこそ目を皿のようにして見入ってはいたものの、とても一度見ただけでは全貌をつかみきれません。レオナルドに興味のある方はとにかく見に行って損はありません。「受胎告知」も日本に来ることはもうないでしょうし…。それにこの作品、レオナルドのただでさえ少ない完成作品のうち、唯一製作当時の文字どおりオリジナルのまんまの絵である、というのも重要な点です。日本にいながらにしてこんなすごい作品が見られる、これはほんとありがたいかぎりです。
しかし…よくもまぁこれだけのことを――とはいえ展示されているのはほんのごく一部にすぎない――ほとんど独学で成し遂げたというのはすごすぎます。なのでそのすぐあとに目にした週刊誌の記事で、「ゆとり世代の大学新入生には、先生が黒板に書いた筆記体の横文字が読めない生徒がいる」なんていうのを見ますと、ひじょうにもったいないことだと思う。レオナルドはたしかに天才だったから比較の対象外と言ってしまえばそれまでだが、この飽くことなき旺盛な知的好奇心はどうですか。ひととおり展示を見てまわってあらためて感じたのは、すべてはつながっている、という真理。死体解剖の手記からは、人間の体は文字どおり宇宙とつながっている、microcosm だということを教えられるし、血管の枝分かれも川の枝分かれも大木の枝分かれも気管の枝分かれも本質的にはおんなじということを見抜いているし…地質・気象・流体力学・医学・解剖学・土木工学・鋳造技術そして光学となんでも専門分化しすぎている現代のありさまをレオナルドが見たら、おそらく「なんでいちいちレッテル貼って分ける必要があるの?」と逆に問い返されそうです。膨大な手記からは、「この世のものはすべて見てやろう、疑問に思ったことはなんでも試してみよう」というレオナルドの並々ならぬ強い意思がひしひしと感じられます。来館者のなかには修学旅行生らしい一団が手稿や再現ビデオに見入っていました。そう、感受性の敏感な十代の人こそこういう「本物のすごさ」にいっぱい触れて、栄養にしてほしい…とおせっかいながらも思う。
さて…まったくどうでもいいことでひとつ気になったことが(ほんとはもうひとつあるけど、それはまたべつの機会に)。それは「受胎告知」のすぐ近くにあった横文字の指示書き。'Please proceed forward.'とありまして、? と思った。「立ち止まらずに進め」ということなんだから、ここはもっとシンプルに'Move along, please!'と書いたほうがいいのではないかと思うのだけれども…。ただし展示品にくっついていた横文字の説明はどれもすばらしく自然な英文でした。へぇ、「12面体」ってdodecahedron って言うのか。なるほど! とこっち方面でもためになりました。
2007年04月23日
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