2007年04月30日

ルイス・ハインと「正面性」

 Photography。字義どおりには「太陽の光の描く絵」、つまりかつて日本でも使われた用語の「光画」ですが、その150年余の歴史のなかで、数多くの写真家たちがそれこそあらゆる場所・事象・事件・風景そして市井の人々の生活の「一瞬」を切り取って、印画紙に永久に残る映像として定着させてきました。自分の場合、風景写真が好きなので、日本だったら故前田真三氏とか緑川洋一氏、またほとんど神業かと思えるほどスケールの大きい作品を製作してきた白川義員氏とかを思い浮かべます。海外だったら、8x10インチ判(六つ切り判相当。つまり六つ切りサイズのでっかいフィルムにドカンと写すなんとも贅沢かつ体力を必要とする写真術)という大型カメラでヨセミテ公園を撮りつづけ、そのたいへん美しい一編の詩のようなモノクロ写真の傑作によってヨセミテの保護運動を盛り上げたアンセル・アダムズ(若かりしころはなんとピアニスト志望だったらしい!)とか。パリの街角を切り取りつづけたアッジェなんかも好きです。

 しかしながら…好きな写真家の名前をひとりだけ挙げよと言われれば、迷わずルイス・ウィックス・ハイン(1874-1940)とこたえます。ハインは風景写真屋ではなくて、米国を底辺で支える労働者階級や移民たちを記録しつづけた、社会派でジャーナリスティックな報道写真家のパイオニア的存在だった人。苦学した人で、父親が事故死したため、高校卒業と同時に就職。いろいろな職を転々として、その後いわゆる「社会改革運動」に携わっていたユダヤ系ラビの手によって創設された労働者階級の子ども向け学校に教師として雇われました。そもそも写真をはじめたのは教材を撮影するためでしたが、すぐさま写真のもつ魅力と可能性にとり憑かれます。一教師にすぎなかったハインが本格的に写真家の道を歩むきっかけになったのが、同僚と共同ではじめた一連のエリス島シリーズ。当時、エリス島には東欧からの「新移民」と呼ばれた人々が大量に押しかけていました。19世紀末の米国東部は、ジェイコブ・リースのような「社会改革派」によるスラム街の実態を暴く報道写真がつぎつぎと新聞紙面に掲載され、それが世論を動かし、ときの政府や大統領までも動かす、そんな時代でした(当時のセオドア・ルーズベルト大統領はリースと交友関係にあった)。ハインもそんなリースの「写真による告発」におおいに刺激を受けて、精力的にエリス島に通って撮影しました。晩年にはアメリカ赤十字の依頼で第一次世界大戦の傷跡の癒えない欧州へと派遣され、そこでも戦争の後遺症に苦しむ人々の姿を克明に記録していますが、晩年のハインの仕事でもっとも有名なのは、みずから建設中のエンパイヤ・ステート・ビルの目も眩むような現場に上げてもらって撮影した、『働く男たち Men at work 1932』という写真集でしょう。そこにはもはやかつての「告発系」写真は影を潜め、摩天楼を自分たちの手で建設しているんだ! という労働者たちの自負と自信にあふれる姿が、じつに生き生きと、芸術的なまでに美しい領域へと高められて表現されています。でも晩年、ハインの仕事はもはや時代遅れとみなされ、貧窮のうちに没してしまいます(近年ハインは急速に再評価されています)。

 ハインの残した膨大な原版のうち、自分がもっとも衝撃を受けたのは、当時の悪しき慣例だった「児童労働」を告発する一連の写真でした。ハインの写真の特徴として、肖像画のような「真正面」を向いたポーズが挙げられます(ついでにうさぎのミッフィーも顔はいつもこちらを向いている)。「正面性」については、以前NHK教育「こころの時代」を見たとき、昨年惜しくも亡くなられたドイツ中世史/ヨーロッパ社会学者の阿部謹也氏が、文字どおり病身をおして講義する姿を拝見したときのことを思い出します…阿部氏は、正教会のイコン・中世からルネッサンスまでの絵画のスライドを学生に見せつつ、中世までは「正面向き」で描くことが許されていたのは神とその子イエスのみだった、それがルネッサンス以後になって、はじめてごくふつうの人間も堂々と「正面を向いた」肖像画として描かれはじめたのだと語っていました――そのせつな、自分の脳裏にありありとよみがえったのが、ほかでもないハインのモノクロ作品でした。ハインの作品に登場する被写体は、たとえ疲れ切った移民であろうとピッツバーグの炭鉱でススだらけになって働く少年たちであろうと、ノースカロライナの紡績工場で長時間、ささむけだらけになった指で巨大な機械から糸を取り出して働く少女だろうと、おしなべて威厳と風格が漂っています。被写体がこっちを向いている、ということは被写体がこちらを凝視していることでもある。「見る側」が「見られる側」になり、被写体の強烈な視線をまともに受ける。ハインの被写体の「眼の力」はひじょうに強力です…それゆえ中世の人は恐れ多くて、絶対的存在を描くときにしか「正面向き」を許さなかったんでしょう。とにかく一連の児童労働ものに登場する、長時間労働を強いられ苛酷な環境で働く子どもたちの「正面向きの顔」、彼らがこちらを見つめる眼差しに圧倒されてしまったのです。ただたんに「古ぼけた昔の写真」を見ているのではない。ハインの撮影した被写体そのものが、まさにいまこちらを見つめて、すぐ目の前に佇んでいる。彼らはあきらかに「撮られる」ことを意識している。ここがのぞき見趣味的なリースのスキャンダラスなスクープ写真とハインの写真とが決定的にちがうところです。こうしたハインの「正面性」は子どもたちの人としての尊厳までもみごとに表現して、もはや児童労働禁止法制定といった本来の目的をはるかに超越し、普遍的なポートレイトとして不滅の光を放っている。このようにして撮影されたハインの写真からは、撮影者ハインその人の誠実な性格までにじみ出ています。

 正面性と言えば、きのうの朝に見た「新日曜美術館」のデューラー作『1500年の自画像』にもおなじ力を感じました…「わたしの愛する画家」のゲストとして番組に出ていた姜尚中氏の真摯なconfession にも深い共感をおぼえました…自分がハインの「正面性」を前にしたときも、似たような感覚でしたから。

 ハインに話をもどすと、こちらを凝視する子どもたちの写真は、まさしくロラン・バルトが絶筆となった写真論『明るい部屋』で、「『写真』は過去を思い出させるものではない…。『写真』がわたしにおよぼす効果は、(時間や距離によって)消滅したものを復元することではなく、わたしが現に見ているものが確実に存在したということを保証してくれる点にある(p.102、邦訳版より。下線強調は引用者)」と書いていることにほかなりません。ハインの児童労働シリーズは『ちいさな労働者―写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち 』として刊行され、幸いなことに日本語で読むことができます。このようなすばらしい写真家の業績は後世に長く伝えるべきだし、げんにAmazonの読者評にも、学生さんらしい人が国語の授業でハインを知り感動したとあります。こうした古い時代の写真のもつ訴求力は衰えるどころか、デジカメによる粗製濫造、そして巧妙化する捏造、つまりインチキ写真の氾濫がひどくなるいっぽうの現代においてはますますその輝きを増しているように感じる。巷では世界史未履修…が問題になっているけれども、書評を書いてくれた学生さんの例のように、うまく授業に取り入れればけっして自分たちとは関係ない、よその国の過去の歴史をただ「丸暗記」するだけの科目、というふうには認識されないと思うんですがね。しょせん人間は一被造物に過ぎない。過去の歴史から学ぶことをやめたらそれこそおしまいです。ルイス・ハインの写真はあらためてそのことを教えてくれる気がします。



posted by Curragh at 04:52| Comment(6) | TrackBack(0) | 美術・写真関連
この記事へのコメント
こんにちは。Hineの項目にひかれて拝見しました。
もう、40年以上前に観たハインの製綿工場で働く少女の写真(本)以来、ドキュメンタリー写真に関心を持ち続けております。

今、千葉市美術館でハインの写真も来ているようですが、オリジナルをみていないので行こうか?と思っているところです。

手元にイーストマン ハウス所蔵の写真集(英語版)『Lewis Hine』を見ながらメールしました。
Posted by AKANE at 2008年12月09日 09:45
AKANEさま

コメントどうもありがとうございます。お返事遅くなってしまって申し訳ありません。M(_ _)M

千葉市美術館の写真展は、これですね! 

http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html

明日で終了…もっと早く知っていればよかったです。orz アッジェにウェストン、アダムズにFSAで活躍したラング、「決定的瞬間」のカルティエ-ブレッソンなどなど、錚々たる面々ではないですか!! カルティエ-ブレッソンは静岡でも回顧展が開かれまして見に行ったことがありますが、ほかの写真家のオリジナルプリントも見てみたいですね。ハインは、10年以上前に東京都写真美術館にてイーストマンハウス所蔵の写真を展示したときに見たような気がしますが、具体的にどんな写真だったかはちょっと思い出せません。あとで図録を引っ張り出してみます。

そういえば「巨匠ピカソ」展も会期は明日までですね(汗)…こちらも行こう行こうと思っていて、忘れてました(苦笑)。以前、上野で開催された「ピカソ こどもの世界」展でも出品された「アルルカンに扮するパウロ」、もう一度見たかったです。

http://www.asahi.com/picasso/exhibition/s3.html
Posted by Curragh at 2008年12月13日 04:13
読ませていただきました!   
今、丁度「小さな労働者」を授業でやってます。
自分が「ルイス・ハイン」について調べる役だったんで、とても役に立ちました!
これで発表も、うまくいきそうです!
Posted by 中2スライム at 2010年06月24日 16:27
中2スライムさん

コメントありがとうございます。『ちいさな労働者』は中学校でも教材として使われるのですか? いずれにせよ拙記事がお役に立ったようで、なによりです。ハインの撮影した子どもたちの写真は報道写真という枠をはるかに越えて、見る者すべてにつよく訴えかける力をもつ作品だと思っています。これをきっかけに、いろいろな写真家の作品集とか、関連書籍とかを読まれるとよいですね。

技術的な事柄を言えば、子どもたちをとらえた写真は↓のリンク先のような、胸のあたりにレンズがくっついて鏡で反転させた映像を見て撮影するタイプ(ウェストレヴェル・ファインダー)のボックスカメラだったので、子どもたちの目線とぴったりだった、というのも被写体の放つ「正面性」の印象を高めた要因だと思います。

http://www.elangelcaido.org/fotografos/hine/hine.html
Posted by Curragh at 2010年06月27日 17:37
こんにちは!私も中2です。
同じく今「ちいさな労働者」について学んでいます。ルイス・ハインについての紹介文を書くものです。
すごく助かりました!ありがとうございます。
Posted by きんもくせい at 2010年11月08日 18:37
きんもくせいさん、コメントありがとうございます。m(_ _)m

どうも中学2年の国語で取り上げられるみたいですね。あの本は良書だと思っているので、こういうかたちで若い読者がハインの名を知るきっかけになるのはよいことだと思います。紹介文がんばって書いてくださいね。
Posted by Curragh at 2010年11月14日 20:23
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