2010年07月10日

消費される音楽のはしり?

 今週の「バロックの森」はフランスバロック(フランスの場合、この時代の音楽は「古典主義音楽」と呼ばれたりもする)、とくに「ルイ14世時代のベルサイユ宮殿での音楽」。「太陽王」と呼ばれたフランス絶対王政の絶頂期にあった国王の宮廷で奏でられた音楽を特集してました。リュリ、ダングルベール、オトテール、ドラランドなどの作品がかかりましたが、正直なところ、この手の音楽は聴いていてもあんまり心が動かされない。ルイ14世は起床から就寝まで、四六時中、取り巻きの衆人環視のもとに生活していたらしくて、宮廷礼拝堂のミサのみならず、起床するとき、食事をとるとき、夜寝るときまで、お抱えの楽団がつねに生演奏(!)を太陽王に聴かせていたんだとか。ようするにprivacyというものがいっさいないような暮らしぶり。それでもそうとうな音楽好きであったのはまちがいない。そうでなければ年がら年中、音楽漬けというのはある意味「苦行」に近いものがある。そばでかまびすしくトランペットやサックバットでプァーっとそれこそ毎日休みなくやられたら、だれだって苦痛にはなると思う(苦笑)。それでもけさ聴いたなかではドラランドの「ト調のグランド・ピエス」という作品は出だしがまるでパッヘルベルの「シャコンヌ ヘ短調」によく似ていて興味を惹かれた。そして案内役の先生によると、国王自身もたいそう気に入っていて、リクエストするほどだったとか。

 でもこの手の音楽というのはあらかじめ「これこれのために演奏する曲」と演奏目的がはっきりと限定されているためなのか、聴く者の心に迫る「なにか」が決定的に不足しているように感じます。これらの楽曲にはやはり深みが足りない。もともと「ながら」のために作曲されたようなものだから、ある意味しかたないかもしれない。それ以上のものは求められなかったのだから。この時代の作品だったらシャルパンティエとかの教会音楽のほうがはるかに聴いていておもしろい(ドラランドにも「深き淵より」という「荘厳モテット」作品がある)。今週かかった作品の多くは残念ながら、自分にとっては少々「退屈な」音楽でした。もっともBGMとして聴くならよいかもしれませんが。

 そう、いまふうに言えばこれらはBGM。だから、消費される音楽の先駆け的存在と言ってもいいかもしれない。ある子どもにチェンバロ曲を聴かせたら、「貴族趣味だ!」って言われたことがある(笑)。ルイ14世の宮廷で鳴り響いた楽の音は、クラヴサンだろうと金管による華やかなファンファーレだろうと、やっぱり「貴族趣味」な音楽そのもの、という感じ。たまには肩の凝らない大クープランの「恋のうぐいす」とかいいと思うけれども、いつも聴こうという気にはならないですね。

 …昼間に見た「世界ふれあい街歩き」はヴェネツィア。サンマルコ広場とか見ていると、ここを300年くらい前にヴィヴァルディとかアルビノーニとか、また彼らの先輩にあたるメールロとかふたりのガブリエーリとかが歩いていたんかなあとも思ったり。「チェンバロのなぐさめ」のガルッピも歩いていたんでしょうね。温暖化の影響か、近年では異常な高潮で水没することもままある「アドリア海の真珠」ですが、「ヴェネツィア楽派」がその後の西洋音楽の発展にあたえた影響はひじょうに大きい。たとえば「通奏低音」の最初のかたち、basso seguenteが生まれたのもヴェネツィアらしいですし。そういえば16世紀にはここの方言で書かれた翻案ものの『航海』もありました。しばしヴェネツィアの映像を見ていると、以前「名曲アルバム」でかかったヴィヴァルディの「冬」なんかが頭の中で勝手に再生されてしまう(笑)。

posted by Curragh at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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