2010年12月26日

聖エルベの共同体の島(Navigatio, chap.12)

 ラテン語版『航海』12章で、聖ブレンダン一行の舟は切り立つ断崖絶壁の島にたどりつきます(人を寄せつけない「絶海の孤島」然とした小島の描写はすでに6章で、また後半では26章の「隠者パウルスの島」にも見られる)。40日、島のぐるりを堂々巡りしたあげく、三日間の断食ののち、「舟一艘がやっと入るくらいの」狭い隙間を見つけて舟を入れ、島に上陸。上陸地点にはふたつの泉が湧いていて、ひとつは清水が、もう一方からは濁った温かい水が湧いていた(温泉か?)。島に上陸して、さてどちらへ向かおうかと思案していたら、島の修道院共同体の長老がひとりやってきて、一同を歓迎した。そこから200mほど進むと、この長老の所属する島の修道院があった。修道院内の食堂に案内され、足を洗ってもらい、島の修道士たちとともに席についた。修道院長が歓迎と神への感謝を述べ、また自分たちは「聖パトリックと聖エルベ以来80年このかた」この島にいると言い、年もとらず体も弱くなっていないと言った。どこからともなくもたらされるという純白のパンと清水の湧く泉から汲んだ水、ひじょうに美味な根菜をともに食した。それがすむと一同は礼拝堂へ向かい、日没前までに「晩課」などすべての日課を終え、就寝前におこなう「終課」の詩編を歌った。ブレンダン院長が礼拝堂を観察すると建物は正方形で、水晶でできた祭壇、聖餐杯や聖体皿など一様に立方体をなしていた。祭壇は三つあり、中央の主祭壇前に三本、残るふたつにそれぞれ二本ずつ燭台があった。一同はそれぞれの僧坊へ引き上げたが、ふたりの修道院長だけは夜通し、礼拝堂に残った。好奇心旺盛なブレンダン院長は島の修道院長に、「沈黙」の規則など島の共同体の生活について質問した。島の修道院長はこたえた。わしらはこの島に来て80年になる。わしらは神を賛美するとき以外は声を発しない、それ以外は身振り手振りの合図のみだ。みな、世の人を蝕む悪い霊には当たらないから、だれひとり病を得る者もいない。これを聞いたブレンダン院長は、「わたしたちもここに留まってもよろしいでしょうか?」と尋ねた。「それはなりませぬ。すでに神はそなたに示されたはずですぞ。そなたは14人の弟子とともに故国へ帰還しなければなりません。そこがそなたの埋葬される地なのです。『遅れて来た兄弟』については、ひとりは『隠修士の島』にとどまることになるじゃろう。残るひとりは悲惨な最期を遂げるじゃろう」。ふたりがこのように会話しているまさにそのせつな、火のついた矢が窓から跳びこみ、7本の蝋燭をつぎつぎに灯して反対側の窓へ飛び去っていった。島の修道院長によると、「シナイ山の麓で燃える柴」とおなじで、これは「非物質の霊的な炎」であり、蝋燭はもとの長さのままだし、朝、灰も残ったりせんのじゃ。さてブレンダン院長がおいとましようとすると、島の修道院長はこう告げた。「まだ出帆してはなりませぬ。ご公現の祝日(the Epiphany)の八日目までこの島にとどまることになっているのじゃ」。

 というわけで、1月6日の「主の公現」から一週間後の日曜まで「聖エルベの共同体の島」にブレンダン一行は世話になり、決められた期間が過ぎたのちにまたあてどなく航海をつづけることになります。『航海』ではこの「聖エルベの共同体の島」、「羊の島」、「鳥の楽園島」、「大魚ジャスコニウス」が重要な舞台装置として機能し、かつそれぞれが教会の暦と密接な関係にあるところがおもしろいところ。ブレンダン一行は11章で、「鳥の楽園島」に棲む鳥から「クリスマスを『聖エルベの島』で過ごすことになる」と告げられています。つまりクリスマス期間は「エルベの修道院共同体の島」で、四旬節後の受難節(洗足木曜日)には「羊の島」へ、復活祭は「大魚ジャスコニウス」の上で、聖霊降臨祭後第八日目までは「鳥の楽園島」で過ごし、これを7年繰り返したのちにめざす「聖人たちの約束の地」にたどりつく、という設定になってます。

 マンスター王国の守護聖人聖エルベ(祝日9月12日、ラテン語名アイルベウス)についてははっきりしたことはあまりわかりませんが、こちらの記事にもあるように528年ごろに亡くなったマンスター国(ムウの国)エムリの修道院共同体創設者で、司教だった人でもあります。また8世紀初頭には成立したと推定されるアイルランドゲール語で書かれた『巡礼聖人たちの連禱(Irish Litany of Pilgrim Saints)』にも登場し、「マンスターの男たち24人がエルベとともに船出し、『約束の地』を再訪した。この世の終わりの日まで彼らはかの地で生きながらえる」と描写されています。ブレンダン関連では4つの祈りの言葉が含まれていて、うち三つは『聖ブレンダン伝』とつながりのある内容で、『航海』とつながりの深い祈禱文はこの「24人のマンスターの男たちと聖エルベ」だけです。研究者には、この「聖エルベと24人の修道士」というモティーフの出典はいまでは失われた伝承ないし記録にあるのではないか、とにらんでいる人もいます。『航海』ではパトリックとともに出てきますが、じっさいにはアイルランドにおける修道院共同体創設期に活躍したほかの「アイルランド南部」の聖人たちとともに、パトリック来島以前からキリスト教宣教に勤しんでいたと考えるほうが自然です(マンスターなどアイルランド南部ではウェールズおよび聖ニニアンのカンディダ・カーサで学んだ修道士たちがすでに活動していた。聖エルベも聖エンダもそのひとりで、ブレンダンもこの系譜に連なる。一説によればエルベは当地の支配者オイングス(Óengus)王族出身で、このへん北の代表格の聖コルンバを想起させる)。

 島の共同体の礼拝堂の記述は、ほぼ確実に「ヨハネの黙示録」とか「民数記」にも出てくる記述(「黙示録」1:12 の「天上のエルサレム」とか)が下敷きになっていると思われます。島の修道士11人がブレンダン一行を歓待したときに歌ったという行列聖歌(「神の聖人たちよ、住まいよりいで真理とまみえよ。この場所を聖別せよ、住まう者を祝福せよ、そなたの下僕たるわれらの平安を守りたまえ」という内容)は、校訂版編者セルマーによるとアイルランド特有の聖歌だとか(具体的には不明)。でもすぐあとの客人のもてなし方とかは「聖ベネディクトゥス会則」にのっとったものになっています。

 いまひとつ特異なのは、後半になっていきなり神学的というか、エリウゲナばりの形而上学的な言い回しが出てくるところ。「非物質の光が物質のなかで物質的に燃えるとはどういうことなのでしょうか?」とブレンダン院長は島の修道院長に質問するくだりなんですが、ブレンダンは島の共同体に一種の修道院の理想像を見出したのか、ほんらいの航海の目的を忘れ(?)、自分たちも島の共同体にとどまりたいとまで申し出ています。また、最初にブレンダン一行を出迎えに来た「長老」の顔は、「光り輝いていた」。なんだかこの島の共同体、なんとなく「約束の地」に次ぐ「修道士にとっての地上楽園島」という「におい」が感じられます。

 じつは『航海』に登場する「聖エルベの共同体の島」とそっくりな話が、8世紀初頭に成立したのではないかとされるイムラヴ、『コラの息子たちの航海(Immram curaig Ua Corra)』に出てきます。こちらのヴァージョンでは島に住む修道士は12人で、『巡礼聖人たちの連禱』中の、エルベとともに船出して帰って来なかった12人の修道士たちのことを記録したべつの祈禱文を下敷きにしていると考えられます。島に住む12人の修道士の顔もやはり光り輝いており、また『航海』よりも明確に「修道士の楽園島」のような記述になっていて、温泉のみならず、なんと「宝石(!)」まで産出します。『航海』も『コラの息子たち〜』も下敷きにしているのは『巡礼聖人たちの連禱』および『聖エルベ伝』だろうと思われますが、いまでは散逸した「もうひとつの原典」の存在もまったく考えられないわけではありません。むしろ共通の未知の伝承から、ひとつは『コラの息子たち〜』へ、そしてもういっぽうの系譜から『航海』へと取りこまれていったと考えても不自然ではありません。ただしこれは現時点ではたんなる推測にすぎない。確実な史料なり物証がないからです。ラテン語で書かれた『航海』とゲール語で書かれた『コラの息子たち〜』との関係ですが、後者は後代に大幅に書き換えられた形跡が見られることから原作の正確な成立年代についてもよくわかっていないため、もともとの「原作」からして『航海』と直接、深い関連性があるのかどうかについては『メルドゥーンの航海』のようにははっきりしていません。要調査、ということかな。

 …というわけで、クリスマス第二祝日にして使徒ステファノの祝日は、クリスマス期間中に「エルベの共同体の島」で過ごしたブレンダン一行にあやかりまして、今年最後の『航海』関連記事といたします。

(以下、追記。)けさの「音楽の泉」。そうだった、バッハのオルガン作品の特集だった! 先週の放送時に小躍りしておいて、その後完全に失念(泣)。あわててラジカセの電源を入れたら、「トッカータ ヘ長調 BWV.540」がかかっていた。そのあとはコラール編曲ばかりで、有名な「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ BWV.645」もかかったけれども、一連の「クリスマス用コラール」の編曲ものがほとんどでした。原曲のコラール合唱とあわせてかかったから、バッハがどのようにコラール旋律を料理したかがよくわかる。こういうところの気配りはさすが。「天からくだって(高き御空よりわれは来たれり)」、あれってルターの作詞作曲だったんですね(と、あわてて手許の『クリスマス音楽ガイド』を繰る)…。BWV.606(「オルガン小曲集」から)BWV.701(「キルンベルガー・コラール」から)、BWV.738ともうひとつ長大にして有名な「カノン風変奏曲 BWV.769」とこうして一度に聴きくらべしますとなかなか壮観です。降誕節にふさわしい朝となりました。

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