2011年01月10日

『そして、僕はOEDを読んだ』

 以前にも紹介したこの本、やっぱり買って正解! でした。

 きのう、地元紙日曜版に目を通したとき、「ひょっとしたらこのおもしろい本の書評とか載っていたりして」なんて妄想しながら読書欄をめくったら、なんとなんとほんとに掲載されているじゃないですか! こんなこともあるもんだ。書評を寄稿したのは翻訳家の三辺律子という方でした。

 というわけで、プロの書評に先を越されたみたいな感じでいまいち気乗りが(笑)…しないんですが、いつものように門外漢が感じたことをメモしておきます。

 著者のアモン・シェイさん。NYC 在住。趣味はご本人曰く、「単語収集」… というより、ここまで徹底してしまうともう「単語蒐集家」という肩書きでもりっぱに通用しちゃうんじゃないかと思います。そして辞書を集めることが目的ではないと断っておきながら、自室には一千冊にものぼる辞書の蔵書があり、O.E.D. だって二巻本・一巻本の「縮刷版」に、「読むものとしていちばん好きなのは、1933年版だ」なんて書いている(ちなみに「縮刷版」はO.E.D. 20巻をむりやり二巻本[一巻ものは知らなかった]として「圧縮」印刷したもので、付属の「拡大鏡」で覗きながら引く)。つまりO.E.D. だけで複数の版を揃えちゃっていることになるから、これはもう筋金入りの「辞書おたく」ですね。そしてこの方、これまでもWebster's Third New International Dictionary of English Language Unabridged (いわゆる『ウェブスター 第三版』)をはじめ、古語辞典・俗語辞典・口語辞典・医学用語辞典に精神医学用語辞典などなど、聞いたただけで卒倒しそうな分量の「辞書」を読破してきた強者。満を持して(?)、英語辞書(英英辞書)の金字塔、The Oxford English Dictionary(O.E.D.)全20巻21,730ページをすべて「読んで」しまおうと決意した。総重量60kg以上(!)もあるO.E.D. 全20巻が届けられたその日から、笑いあり涙あり(??)の孤軍奮闘、七転八倒がはじまるとあいなる。

 本の構成も辞書みたいにA - Z の章分けがしてあり、各章では著者の気に留まったとっておきのO.E.D. 単語が列記され、それぞれに著者一流のユーモアと洞察に満ちたコメントが付されています。

 本書に収録された単語はどれもO.E.D. ならではというものばかり。ようするに、ほかの字引ではお目にかかれない単語ばっかということです(一部の単語についてはたとえば『リーダーズ・プラス』にもエントリがあったりしますが)。収録された単語それぞれのもつ奥深さにも目を見張りましたが、なんといっても各章の出だしのエッセイふうの文章がまたすばらしい。自身の半生を振り返ったり、辞書業界の話や「ジョンソン博士の英語辞典」をはじめとする英語辞書の歴史についても盛りこんでいたり、O.E.D. じたいにまつわるおもしろエピソードなんかもちょうどいいサジ加減で書き、とにかくページを繰るのがもどかしかったほど。O.E.D. にまつわる話では、たとえば各見出し語にたいする記述が、ウェブスターの「8倍」を超えないようにとか版元が編纂者に注文をつけていたとか、興味を掻き立てられる裏話(?)がてんこ盛り。こんな楽しい読書はひさしぶり! なんといっても昨年のいまごろは、この本とはまるで対照的なよくわからんもの(?)を二冊も読んでいたし。orz 正月はこの本読みながら、箱根駅伝見てましたよ。脇には例のごとくブレンダン関連本なんかも置きましてね。「生さだ」も見てたし、まったく寝不足もいいところ(笑)。

 以下、本書を読んで気に入った箇所をすこしばかり引用 … 。

ベートーベンは、バッハや自分が尊敬する作曲家の譜面を書き写すことに膨大な時間を費やし、先人たちの偉大な音楽を学ぶ手段としていた。今、懸命に単語やその定義を書き写すという行為は、同じように、僕を辞書の世界における巨匠へと誘ってくれる … 。いや、全くそんな兆候はないし、そんなことを期待してもいない。でも、頭に単語をしっかりと刻み込む方法として、手で書き写し、手をインクまみれにする以外の方法は、今のところ思い浮かばないのである。(p.34)

大半の人にとって、どちらでもいいような単語をOEDが大切にしている。このことこそが、OEDの洗練された素晴らしさの一つなのである。(p.36)

コンピュータは、本の情報を再生しているにすぎない。本を読むという喜びに満ちた経験を味わわせてくれるものではないのだ(p.85)

英語という言語の莫大な語彙について読み進めてきて、悲しいかな、僕はこの言語についてほとんど何もわかっていないことを思い知った。数ページもの間、読んでも読んでも全く意味がわからないことはざらにあるし、また、絶対知っていると思っていた単語を、実際は、数年間も間違えて覚えていたということもある。さらに、理解していた意味よりもっと興味深い意味が隠れていたりすることもよくある。… 辞書を読んでいて、次から次へと矢継ぎ早に知らない単語に出くわすと、そもそも、自分の言語感覚なんてずたずたにされてしまう。英語の語彙の大半も知らないのに英語がわかっているなんて、いったいどうして言えようか。確かに、英語は語彙数が世界一と言えるかもしれない。それでも、やはり半分くらいは知っておきたいと思えるのに、それすら不可能なのである。(p.167-8)


… まあたしかにそうだわな。misogyny は知っていても、その反対語のmisandry なんてことば、よほどのインテリでもないかぎり、ネイティヴスピーカーだって知らないでしょうよ。そしておなじことは日本語についても言える。「新橋色」と聞いて、そのことばの指す色のイメージを正確に思い浮かべられる人がはたしてどれだけいるだろうか。ついでに京ことばには、これからの季節にもっとも相応しいことば、「はんなりとした」があります。

 訳者の先生は、イヌイットの現地語を学ぶ目的でアラスカに滞在中、ふとした偶然からこのすこぶるおもしろい原本を入手して、いっきに読了してしまったのだそうです。この手の本ってときおり版権が押さえられていたりするものですが、幸運なことに版権は空いていたらしくて、「訳者あとがき」の書き方からして、おそらく版元に「持ちこんだ」のではないかと察します。ここでもまた幸運なことに版元も乗り気になり、日本語版訳者として正式に起用され、めでたくこのバカバカしくもすばらしい本の邦訳版を上梓することができたらしい。訳者先生はなんて幸せなんだろう。ほんとうに翻訳したい原本を翻訳できた無上の喜び(bliss)というものが、一読者にもビンビン伝わってきます。訳者冥利に尽きるとはまさにこのこと。原著者のシェイさんだって小躍りして喜んでいますよ、きっと。なんせ「趣味と呼ばれるものは概してその大半は役に立たないものだ(p.5)」なんて言い切っている人ですし。それがこういうかたちで日本の英語学習者にとっても役に立つ本として刊行されたんだから。おおいに誇っていいと思う。そして、こういう一見バカげたことに真剣に取り組む人を心から尊敬する。O.E.D. からもそんなうってつけな単語が取りあげられていましたっけね。jocoserious だったっけ(昔、某民放のキャッチコピーとして使われた「おもしろまじめ」に当たる言い方だと思う。ついでにploiter なる単語[p.190]、定義からして訳語としてはずばり「鈍くさい」でしょうな)。でもこの本のほんとうにすばらしい点は、そこここに散りばめられた、著者の人間洞察の深さ・鋭さにある。無味乾燥のきわみと思われがちな辞書、それも英語辞書の最高峰に収録された語彙から、かくも人間くさいエピソードを感じとることができるその感受性の豊かさ、人間性の深さには完全に脱帽です。「ヒトのことば」にたいするなみなみならぬ愛というものをつよく感じるのです。

 そういえば辞書好きによる辞書好きのために書かれた本、というのは日本でもありますねぇ。たとえば『フィネガンズ・ウェイク』の個人全訳という偉業を成し遂げたあの柳瀬尚紀先生の『辞書はジョイスフル』という本が目の前にあるのだけれども、両者に共通するのは、とことん「辞書が好きだ」ということ。シェイさんは、全20巻のO.E.D. をなんと一年で(!!!)読破したという。毎日数時間から10時間、コーヒー飲み飲みひたすら読んでいたという。…まるで中世アイルランドの修道士の苦行みたい。

 最後に、収録された「難解単語」でちょっと駄文をこさえてみました(笑)。

Brrrr!! What I really need now is apricity, or 'delicious warmth of the sun'! And I love Bach's music very much, but it can be boiled down to engouement after all : love for Bach's music and that's all! I exauspicated due to reading boring books at the beginning of last year ; in this new year, I came across such an amazing book, thanks! This can be called a happy, repertitious encounter! As a result of reading this book(?), now my head is filled with 'twi-thought', just as the author mentioned!

… というわけで新年最初の一冊目は満点評価! です。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるんるんるん

posted by Curragh at 23:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 最近読んだ本
この記事へのコメント
以前、何度かコメントさせていただいたものですが、やっと懸案のHPを開設しました。まだ、完成してはいませんが、リンクさせていただいていいでしょうか。
Posted by 橋本保 at 2011年01月13日 23:23
橋本保さま

お返事たいへん遅れまして、申し訳ありません(まる一週間、コメント投稿がエラーになるというトラブルに見舞われてしまったもので…メールにて連絡差し上げましたが、あらためてこちらにもおなじ内容を書いておきます)。

たびたびコメントを、とのことですが、京都在住とのことで、ひょっとしたらaeternitas さんですか?? 人ちがいでしたら、重ねがさね申し訳ありません。

ご指摘されている箇所は、

http://www.youtube.com/watch?v=gMhtId9qyHU

の最後の合唱ですね…そんな深い問題が隠されていたとははじめて知りました。たいへん興味を惹かれたので、こちらのほうもリンクさせていただきました。どうぞよしなにお願いいたします。m(_ _)m
Posted by Curragh at 2011年01月21日 19:26
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