2011年02月20日

『トン・コープマンのバロック音楽講義』

 独自の視点から鋭く切りこむすてきな音楽ブログを綴られている畏友Ken さんから教えていただいたこのご本(原題 Barok Muziek Theorie en Praktijk)。とっくに読み終えてはいたけれど、なかなか書けずにいた。つまり「個人で収集したバロック音楽関連資料(楽譜も含む)としては欧州最大規模」という図書館(!!) を自宅の庭に建ててしまうほどのコープマン氏の博覧強記ぶりにたいし、当方があまりにディレッタントにして門外漢なため、この本についてはさすがに専門家に任せたほうがよいとしばらく放置していた、というきわめて個人的な(?) 理由もあったりする。しかし音楽家たるもの、これくらいでないとバロックあるいはそれ以前の「古楽」はうかつに演奏なんかしてはいけないのかもしれませんね。

 小学館から出ている『バッハ全集』の巻頭インタヴューで、コープマンさんは師匠のグスタフ・レオンハルト氏について、こんなふうに言ってました。当時の音楽をなるべく正しく解釈するには、まず当時の原典資料に当たりなさい、と。コープマンさんはこの師匠のことばを真摯に実行して、欧州中からコツコツと当時の原典資料を収集していった。当然、ご自身の弟子たちにもおなじアプローチを取るように要求する。いみじくもコープマンの弟子だった訳者先生の「はしがき」にもあるとおり ――「弟子に対する要求は厳しかった。『もし独自の意見を持ちたいのならば、私をうならせるような演奏をしたまえ』」。…終演後、あの気さくでいつもニコニコしてサインに応じていた人とはまったく異なる、演奏家としての厳格な生真面目さというものが伝わってきますね。それはそうと、この本は1985年に上梓されたもので、永らく絶版だった。翻訳版じたいも今回の邦訳がはじめてという、いわば幻の本だったという。そしてコープマンさんはこの本の対象読者として、自分の弟子をはじめとする音楽院の学生、もしくは「若いバロック音楽の演奏家」を想定している。なのでどうしても内容は高度かつ専門的になりますが、弟子だった人が「です・ます」で訳しているためか、書かれている内容のわりには一般読者もさほど抵抗なくすんなり読める(と思う)。

 出だしの「1600年から1750年までの音楽 ごく簡潔に要約して」と題された章は、いわば音楽史の復習みたいな印象です。1600年前後に「通奏低音」が登場したこと、「第一技法(ルネサンス音楽の作曲流儀のこと) 」から「第二技法(Seconda Pratica)」が生まれたこと、同時期の英国ではヴァージナリストと称される一連の作曲家の作品が最盛期を迎えたこと、などなど。このへんは音楽史の講義を受けている感じ。この手の本の醍醐味は、無知蒙昧な読み手につぎつぎと知らなかった事実を開陳させてくれるところにある。オランダにおける通奏低音パートをはじめて導入したのはあのスヴェーリンクで、1619年のことだったとか。クープラン最初の「トリオソナタ」はなんとイタリア人風の偽名(!)で発表していたとか(なんかヴィヴァルディの名前を騙ったモンドンヴィルみたいだな)。また装飾音の問題をはじめ、古い時代の記譜上の注意点とかもかなり細かく書いてあり、近現代作品のスコアしか眺めたことのない人にはこのへんの助言もおおいに参考になると思う。たとえば# ♭ などの臨時記号は、その小節のあいだ有効というわけではなくて、文字どおり「ひとつひとつの音につけられていた(p.35)」。フランス古典ものにつきものの「イネガル奏法」についても、根拠とする史料を示して説明してくれる。また一般的にはほとんど知られていない当時の自動演奏楽器についても言及してある点はたいへん貴重だと思う。あのモーツァルトだって「自動オルガンのための幻想曲 K.608」という作品を残しているくらいで、当時はこの手の自動演奏楽器が流行っていたことがわかる。で、これがどうして貴重かというと、現存する自動演奏楽器にはなんといまでも動くものがあるんだそうで、たとえばヘンデルの「オルガン協奏曲」を記録しているバレルオルガンを聴くと、曲中のトリルがじつにさまざまな長さで演奏されていたことがわかるという! バロックの装飾音の問題ついてはそれこそ参考文献が何冊あっても足りないくらいで、諸説紛々といった感じですが、そうか、当時の自動演奏楽器を当たるという手があったか(ヘルマン・ケラーのバッハ作品における装飾音の記述はもう古い)。

 この本最大の特徴として、説明の根拠となる原文献の当該箇所を可能なかぎり収録していること。ほとんどは巻末の引用原文ノートに一覧となって転載されていますが、当時の出版楽譜などはそのつど転載してあり、これもおおいに参考になるし、勉強になります(ってべつに演奏家じゃないけれど。それに英語以外の文献はさすがにむり)。引用文献もため息が出るくらい、幅広いです。ドン・ベド師の『オルガン製作技法(1766)』もあれば、『ディヴィジョン・ヴァイオル』も出てくるし、『天球の音楽』も出てくる(この前実演に接した、プレトリウスの「テルプシコーレ」序文からの引用まであるし、『音楽大全』からの引用もやはり(?)出てくる)。そして「むすんでひらいて」の原曲作者J.J. ルソーまで出てくる。いままでこういう楽しいバロック音楽講義の本って、ありそうでなかったような気がする。ちらほら見かける誤植のたぐいなんか、吹き飛んでしまうくらいすばらしい音楽講義本だ! またコープマン自身が使用している独自の調律法にかんする記述も、たいへん興味を惹かれる。ピッチの問題もちゃんと書いてある。もっとはやく教えてもらえばよかった(苦笑)。いわゆる「バロックピッチ(A=415Hz)」は、20世紀に「考え出された」ものだということをはっきりと指摘している(当時はいまよりも半音高い「コーアトーン」やひじょうに低い「礼拝堂のピッチ」にコルネット・ピッチというものもあったという)。バロック音楽の強弱法については「テラス式強弱法」ということが一時期さかんに言われていたけれども、コープマンはカッチーニやモンテヴェルディ、ロックなどの原典史料を引き合いに出して反駁している。もっともロックがThe English Opera or the vocal music in Psyche to which is adjoined the instrumental music in the Tempest という声楽曲について、「『だんだんと小さく lowder by degrees』と記し、9小節にわたるクレッシェンドを記入しています(p.126)」というくだりは、訳者先生のケアレスミスだとは思いますが(lowder = louder)。またバッハ晩年の高度な対位法作品に見られるような、「複合リズム」についても鋭く考察している(p.174)。

 個人的になにより嬉しいのは、訳者先生の粋な計らいにより、なんとなんと日本語版限定! 著者による補講として「オルガン」の章があらたに追加されている!! 感謝感激雨あられ!!! 「2003年4月記」とあるから、バロック時代のオルガンについて書かれた記述としては最新といってもいい。ここでもあらたな発見がいろいろあっておもしろいことこの上なし。たとえばJ.S. ペトリという人が新しい演奏法を提唱するまで、足で弾く鍵盤は「つま先」だけで演奏されていたこと。たしかにコープマンさんの弾くバッハでは、たとえば快速「小フーガ」でさえも、足で弾く16分音符進行はせかせかとつま先だけで弾いています。奏者によっては「つま先・かかと」の交互奏法をとる人もいますが、「バッハ当時の奏法ではない」から、コープマンはこの奏法は却下する。「バロックの作曲家(J.S. バッハや D. ブクステフーデ)の作品で、つま先・かかとを用いなければ演奏できないようなパッセージに、私はお目にかかったことがありません(p.180)」。また、助手をつけずに演奏することがバロック時代の作品演奏では理にかなっているとも。たしかにレオンハルトやコープマンのオルガンリサイタルでは、例外はあるかもしれないが、かならずひとりだけだ。譜めくりもストップの出し入れもぜんぶ自分でおこなう。ひとりでこなせないのであれば、それは音色変化が多すぎるからだ。「私たちは、自分の指だけで、つまりストップの組み合わせを変えることなく、美しい音色にタッチの変化を与えることだけによって、魅惑的な演奏をより長く続けられるところまで到達しなければなりません(ibid.)」。残響の長い教会堂において、テンポをきょくたんに遅くせずとも「明瞭に」聴き取れるアーティキュレイションを心がけること、「あなたがオルガンを操作するのであって、その逆であってはなりません(下線強調は引用者)」。またバッハのオルガン作品の「原典」楽譜について、「多くは筆写譜だけが残されています。つまり、バッハ以外のだれかが書き写した楽譜しか残っていないのです」。写し損じもままあることだし、ゆえに著者は『新バッハ全集』など信頼のおける校訂報告を参照するようにと奨めている。ちなみに手許に転がっている(本棚に入れるスペースさえなくて、著者にはまことに申し訳ないがそのへんに転がしてある)ウィリアムズの『J.S. バッハのオルガン音楽(1984)』については「研究のすばらしい成果であり、推薦に値します」と絶賛している。またブクステフーデ作品と彼が使用した調律法については、「ミーントーンで演奏可能なものと、ヴェルクマイスターで演奏可能なものの2つです(p.187)」。コープマンによると、ブクステフーデは聖マリア教会の楽器を1683年に調律したさい、ヴェルクマイスターと連絡をとりあっていたという。たしかにブクステフーデのオルガン作品にはミーントーンのあの澄んだ響きがぴったりなものもあれば、「嬰ヘ短調の前奏曲 BuxWV. 146」のようにミーントーンでは演奏不可能な作品だってある(ただし、作品の年代特定には慎重を要するとしたうえで、「ニ長調のプレリュード」についてはどちらを採用すべきか、決定しかねるという)。

 コープマンはオリジナル版の序文で、こう記しています。「他人が作曲した音楽を、演奏し解釈することは許されていますが、そのためには、作曲家たちの音楽世界と理念のなかに身を置かなければならないのです。したがって過去の演奏習慣に携わることは、好みの問題ではありません。私たちは絶対にそうしなければならないのです」。この「音楽講義」の真の目的はそこにある。バッハ作品については、「18世紀の資料を調べつくし、その知識と戯れながら、バッハのオルガン作品を優秀な同時代人か愛弟子のように演奏できるように」なることが理想だという(…と、電子ピアノの譜面台にのっかっているいくつかのコピー譜を横目で見ながら)。英国の音楽家についてはたとえば「王室礼拝堂('Chapel Royal' は王室御用達の音楽家一団の名称であって、特定の建造物を指す用語ではない)」の音楽家やオーランド・ギボンズのオルガン作品とかが出てくるていどですが、4ページに出てくるCaptain Cooke という人は、老婆心ながら有名な探検家のほうではなくて、「清教徒革命」の内乱の時代、王政側について戦ったことからCaptain と称されるようになった「王室礼拝堂」の少年聖歌隊長だった人のほう。王政復古後は礼拝堂聖歌隊の再建に尽力し、少年期のブロウもパーセルも、あとを継いで聖歌隊長となったペラム・ハンフリーもこの人のもとで聖歌隊員として活躍していた。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるん

posted by Curragh at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本
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