2011年03月21日

悲しい326年目

 21日は大バッハの326回目の誕生日。今日は雨降りの一日でした。以前ここでやはりバッハの誕生日にからめて「催花雨(さいかう)」について綴ったことがあったけれども、この春はなんとも悲しい催花雨の季節となってしまった。そしてびっくりしたのは、静岡地方気象台のソメイヨシノ標準木の花が5輪ほど咲いたため、同気象台から全国一はやい「桜開花宣言」まで発表されてしまったこと。原発も余震も収束してないし、当日にならないとまるでわからない計画停電さなかの開花宣言を耳にしても、虚ろに響くのみ。

 今回の大震災は869年の「貞観地震」と酷似している、と指摘する声があがっている。もしそれが事実だとすれば、じつに1142年ぶりに襲った揺れと大津波だったことになる。

 住む場所も肉親も着るものも食べるものも思い出のいっぱい詰まった「宝物」もなにもかも一瞬にして失ってしまうことは、東海地震の震源域に住む者にとってやはりことばを絶するものがある。人によっては「宝物」の内容は、自分みたいに音楽CD かもしれないし、家族の写真のアルバムかもしれない。そう、写真だ! 自分も記録の意味もこめて伊豆西海岸の風景写真とか撮影してきたから、全記録(ボツはいいとしても作品と言えるものだけでも)がすべて消滅するのは撮影者当人としてはかなり辛いものがある。と、こんなこと書いたら、大切な家族や親類を亡くされている被災者の方にたいしてはなはだ礼を逸したことになりかねないことはもちろん承知しているのですが、小心者なので、ふだんからそんなことを気にしていたりする(地元紙に掲載されていた、ペットボトルに水を入れて運ぶあの男の子の写真はほんとうに切なくなる。デジカメ全盛時代になっても、ルイス・ハインの写真とおなじく、写真には見る人の心を鷲掴みにするくらいの衝撃がいまだにあると信じている)。

 大自然の猛威を前に、とにかく人命第一なのは言うまでもない。あのおばあさんとお孫さんの高校生が9日ぶりに助け出されたという一報には、全国民が快哉を叫んだのではないでしょうか。でもいっぽうで、「海岸風景愛好家」からすれば、あの日本三景のひとつ松島の奇岩や島の一部が地震と大津波でかたちを変えた、つまり崩れた、崩落して永遠に消え去ったとの報道も同様に悲しく思う。松島湾で島めぐり観光船を営む船長さんのことばは胸にせまるものがある。「自然は元にもどせない。名勝が消え、悲しい」。

 三陸海岸はリアス式とよく言われる。今回の大規模地震で場所によっては1m 近くも「沈んだ」ようですが、行ったことはないけれど写真で見る「浄土ヶ浜」や「北山崎」あたりの海岸風景は文字どおり絶景で、あのへんはどうなってしまったのだろうと思ったりする。

 放射線に敏感な(?)欧米系メディアを見ると、震災というよりむしろ原発事故の報道ばかりが加熱している印象さえ受けますが、NYT も当然原発関連が連日のようにトップ。ふだん日本の記事なんかひと月に数本出るか出ないかなのに、津波の解説記事からプレート境界型地震のメカニズムまで、つぎからつぎへと掲載されている。そんななか、ハーヴァード大学で歴史を教える准教授先生の寄稿したこちらの回想は、個人的に心打たれる文章でした…。この先生は1990年代に現在の宮古市に滞在して地元の子どもたちを教えていた経験があるらしい。浄土ヶ浜と名付け親の霊鏡のことまで記述してあったり、生徒たちといっしょにハイキングに行き、そこで津波と戦ってきた住民の歴史を思い知らされたりといった回想がとつとつと綴られていますし、景勝のつづく美しい陸中海岸をこよなく愛していたんだなあということが読み手にもよく伝わってきます。それゆえ今回の震災に心を痛めていることも伝わってくる。とくに後半部分の、

Thousands of people are missing along this beautiful, injured coast, hundreds in the town that I called home. I am still waiting to hear from one of the groomsmen from my wedding, the owner of Miyako’s best coffee shop and a sometime reader of this newspaper. Google’s people-finder app tells me he is alive, but I have no idea where he is or how our other friends fared. As for those rambunctious boys and all of my other students, I can only hope for the best.

あたりはほんとうにいたたまれなく、切ない。

 また歴史の先生らしく、津波といった大自然の脅威の対抗措置として最新鋭の技術を投入してきたことについても触れていますが、東大と共同で進めてきた津波防災の取り組みについての言及は、他人事ではない。やはり自分の住む街の津波予想も見直したほうがよいのではないかという気がする。最近の天候もそうだけど、残念ながらもはや過去の経験則はあんまり当てにはならなくなってきている(と思う)。

The lines were drawn in the wrong place. Despite the substantial infrastructure and technological investments in Sanriku, the wave on March 11 overwhelmed large portions of Taro and Miyako. Some of the evacuation points were not high enough. The walls were not tall enough. And the costs are still being tallied(the lines = 津波マップに記載された最大波高津波到達予想ラインのこと).

 テクノロジーはたとえば安否確認の手段としてひじょうに有効だったりするけれど、いっぽうで福島の原発のような予想もつかない事態も引き起こす。テクノロジーの無批判な受容にはとんでもなく大きな代償がつくものだ、というふうに結んでいますが、たしかにそうですね…そういえば先日の地元紙に、「システム依存」がいかにこわいかについて記者が書いていたけれども、いざ停電ということになって、真っ暗闇の歩道に信号も灯らない交差点や横断歩道がいかにこわいものかを思い知った。ATM も使えない、電車も動かない、自家発電でもないかぎりなにも動かない(燃料があればの話)。当然電子レンジでチンもできないから、竹炭使用の七輪なんかも物置から引っ張り出した(けっこう暖かくて、暖房用としてもいいかも)。日本だけにとどまらないけれど、環境にやさしいとか口では言っても、それが生半可なことではないという事実をこんなかたちで思い知らされている自分がいる。これが将来の日本にとって、よい方向へと方向転換する機会になればよいがと願うのみ(NYT がいよいよ有料化するみたいです。月20本までは閲覧無料のようですが…姉妹紙のIHT はどうなのかな? BBC World News とかに鞍替えでもするか…)。

タグ:バッハ 松島
posted by Curragh at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes
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