2007年06月16日

ホクレア号に乗ってきました

 先日、快晴の横浜・みなとみらい21地区の通称「ぷかり桟橋」に接岸中の、ポリネシア航海協会の古代船ホクレア号に体験乗船してきました(→横浜市のホクレア号サイト)。古代船好き、帆船好きとしては、雨が降ろうがヤリが降ろうがこの目で見なくては! と思っていたので、ラッキーでした。るんるん

 ぷかり桟橋に着いてまずびっくりしたのは、古代船そのものではなくて、でかいクラゲがそれこそウヨウヨ、浮いたり沈んだり、ふくらんだりしぼんだりしていたこと。クラゲって海水温が高い真夏に出るもの…と思っていたので、6月でもうこんなにいる! とさっそく撮影(もちろんホクレアもいっぱい撮りました)。このへんは初代日本丸を係留してある場所がかつての横浜船渠跡だし、海水の循環が悪いのか、温排水のせいでこんなに大量発生したのかも…と思った。

 みなとみらいはもっぱらコンサート詣で、音楽ホールのほうばっかりで目前の海のほうには出かけたこともなく、「ぷかり桟橋」ももちろんはじめて。なんで「ぷかり…」なのかは現地に行ってみて謎が解けた。なんとこれ「浮き桟橋」なのです…で、横浜港遊覧船とかの乗り場も兼ねた建物がその上に乗っているのですが、当然、海の上にそのまんまぷかぷか浮いている(!)ので、建物もゆさゆさと微妙に揺れていました。時化のときは閉鎖するのかな? 整理券をもらって乗船待ちのあいだ、この浮き桟橋はけっこう揺れてました。すぐ船酔いする向きにはつらいかも(自分は船の揺れには強いほう。ついでに縦揺れはpitch、横揺れはroll ですね)。しかも2階はシーフードレストラン…なんか落ち着かんなー(笑)。

 …そう言えばホクレア号が「ぷかり桟橋」に接岸してほどなくして、一隻のクルージングヨットがホクレアを見にやってきた。やってきたはいいが、突然の機関故障に見舞われたらしく、なんとホクレアのすぐわきをかすめて、乗船券売り場の建物がぷかぷか浮いている桟橋に衝突(!)したというのです…自分が来たときには建物前の鉄の手すりがひしゃげていて、びっくりした。しかも「危険」と書かれた張り紙が一枚、貼られていただけ、ホクレアを見に来た人たちはとくに気にすることなく手すりによりかかって眺めてました(苦笑)。

 乗船の順番待ちのとき、すぐ目前を黒々と日焼けしたナイノア・トンプソン氏がにこやかに通り過ぎていきました。おおナイノア氏を間近で見られるとはこれまたラッキー。

 さて順番が回ってきまして、まずはホクレアについてのレクチャーから。'キモ'・ヒューゴさんという方が船に使われている木材や滑車の材料、昔はヤシの繊維からセイルを作っていたこと、羅針盤を使わない伝統航海術についていろいろ教えてくれました(公式blog 邦訳を担当されている加藤先生のblog も参照)。

 ホクレアはニ艘のカヌーを真ん中のデッキで連結したかっこうの双胴帆船(カタマラン)なので、おなじ古代船でもたんなる「帆かけ舟」であるブレンダン号とくらべるとはるかにがっちりして、安定感のある船体だなというのが第一印象。全長も20mくらいあり、ブレンダンのおよそ倍。干潮…だったせいか、桟橋から乗船するときはちょっとこわかったけれども、たくましく日焼けしたホクレアのクルー(かな?)のアシストでぶじ船上の人に。

 ホクレア船上では、みんなといっしょに、サングラスをかけた若いクルーの方の説明をふんふんと聞き入りました…かつてこの手の帆船で島伝いに航海していた時代、寄港するたびに船名を新しく変えていた慣習があったこと、両舷の落水防止用の手すりに見える長い木材は、強風時、マストがへし折れた場合のスペアとして使うこと、またそのすぐ直下、防水シート(トラックに使われる帆布? に見えた)の下がキャビン…というか寝床になっているとか。艤装…も間近で見たには見たけれど、セイルを上げ下げするハリヤードと、マストに何箇所か開いた索通し穴に、きちんと――shipshape & Bristol fashion! ――畳まれた赤っぽいクラブクロウセイルだけは確認したけれど、これがじっさいにどのように展帆されるのかまではイメージがつかめませんでしたorz。グラスファイバーの船体同様、セイルの材質も現代ふうでした(自分たちが立っているデッキは木材)。二本のマストの中間には、galley つまり調理用のコンロをおさめた大きな容器がでんと鎮座していました。ここでめいめいが食事を取るのかな。貴重な飲料水の入った容器もいくつかありました(portable water だったかな、そんなふうに書いてあった)あとこれは古代船にかぎらず帆船の特徴ですが、とにかくロープがあっちこっちにとぐろを巻いています。自分はせいぜい「もやい結び」くらいしか知らないが…。ちなみにこのホクレア、船体には釘はいっさい使われていません。すべてロープで連結されています。

 船尾方向へ移動して、べつのクルーからさらに説明を受けます。かんじんかなめの舵(rudder)はどうなってんのかと思ったら、ちょうど船尾の真ん中あたりで巨大なブレードが海中へと伸びていました…そして両舷にもサイドラダー(?)みたいな補助の舵がくっついてました。ふたつの胴体から天に突き出す船尾には、それぞれ男女の神様の彫像が船を見守っていました。それと航海灯と、双胴にまたがるように張られたネット上に発電用の太陽電池パネルが乗ってました。ためしに真ん中のメインラダーを動かしてみると重い!! 時化のときは文字どおり腕が折れそう…orz。それとこの船はすべて昔ながらの技術で帆走するということからだろうか、ブレンダン号みたいな「曳航測定器 patent log」が見当たらなかった。船脚は、ロープの端に結びつけた木片を投じて測るのかな?? でもなぜか「龍角散 のど飴」の袋だけはぞんざいに置いてありました(笑)

 しばらく写真を撮っていたら、クルーのひとりがやおらホラ貝(?)を吹きはじめました…気がついたらちいさなお孫さん連れのおじいさんと自分以外の見学客はとっくに桟橋に引き揚げてました…撮影に夢中になってしまって、時間切れに気づかなかった。われに返ってあわてて下船! またさっきの筋骨隆々な方が桟橋へと引っぱり揚げてくれたので、ほんとは 'Thank you for showing us your wonderful sailing vessel!' とかもうすこし気の利いたことばをかけたかったのですが、アワ食ってしまってけっきょく'Thank you!' としか言えませんでした。orz

 船上で通訳してくれた方は日本人クルーのひとりで、なんと女性の方でした(こちらを参照)。

 ホクレア号はハワイから8,000マイルの海路を越え、149日間にもおよぶ長期航海を終えてぶじこの島国に到着したわけですが、それにしても羅針盤なし、海図なしでよくこんな航海ができるものだとあらためて感心することしきりでした。

 ホクレア号はこのあとマストなど艤装品を解体したあと、日本郵船のコンテナ船に乗せられて故国まで無償で輸送されるとのことです(→日本郵船のホクレア号サイト。またこちらのblogにもホクレア関連の記事があります。ここのblog はよくわからんけれど、お題のとおり太平洋に浮かぶ島々に住むblogger が交替で執筆しているblog らしい。日本の記事もたくさんあります)。

 ホクレア号についてはすばらしい写真満載のblog があるのでここでも紹介しておきます(福山市の打瀬船もすばらしい。セイルはいわゆるジャンクセイルですね。これが最後の一隻…とはなんとも残念)。

 ↓当日撮ったうちのいくつか。

jellyfish

(↑どうもミズクラゲの仲間らしい)

Hokule'a 1

Hokule'a 2

Hokule'a 3

Hokule'a 4

Hokule'a 5

Hokule'a 6

hok07.jpg



追記。先日(7月1日)、ホクレア号はぶじホノルル港に到着したようです。

posted by Curragh at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・考古学
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