2011年04月18日

メータ、ドミンゴ…ありがとう!

1). 先日の地元紙夕刊に、音楽評論家の渡辺和彦氏の寄稿した「クラシック界も震災で試行錯誤」と題する記事が掲載されてまして、M.9.0 の巨大地震で被災した水戸芸術館玄関ホールにあるマナ・オルゲルバウ(日本のオルガンビルダー)製作のオルガン写真が飛びこんできた。…あるていど予想はしていたが、これはひどい。もちろん地震動のみならず、その後に襲った津波で家も財産も、ついさっきまでともに暮らしてきた親類家族をあっという間に奪われた方がおおぜいいるという事実のほうがはるかに重いのだけれども、オルガン好きにとってはやはり悲しい写真ではある(阪神淡路震災のときにめちゃくちゃに崩壊したオルガンの写真というのも見たことがあるけれど)。以前ここでも取り上げた『癒しの楽器 パイプオルガンと政治』という新書本にも紹介されていた、「秋田アトリオンホール」のオルガンに、震源に近い白石市のオルガンや盛岡市民文化ホールの楽器とか福島市音楽堂の楽器はどうだったのだろうか。オルガンは被災してもいずれは修復されるだろうから、そんなに心配しなくてもいいかもしれないが…。ちなみにオルガンの金属管(フルーパイプとか)は鉛と錫の合金だから、多少は放射線を遮る効果はある(?)かもしれない。

 記事でとくに目を引いたのは、震災発生当日の夜、サントリーホールで日フィルがロシア人指揮者とともに「80人ほどの聴衆」のために演奏したこと。渡辺氏の仕事仲間によれば、「なにがあっても音楽家は演奏するのが使命、との気概に満ちた熱演でほんとうに感動した」。ちょうどおなじとき、すみだトリフォニーホールではダニエル・ハーディング指揮、新日フィルによるマーラーの「5番」を、これまた105人の聴衆のために演奏していたんだそうです。

 でもコンサート関連では震災、というよりいまでは原発関連の影響がかなり出ていて、来日公演がぞくぞくとキャンセルされている。今年のLFJ も有料公演がすべて払いもどしになり、またこの時期おなじみのウィーン少(WSK)来日公演もそう。団員は子どもたちだから、あるいは親御さんが心配したのかもしれない。ウィーンでのチャリティ公演はおこなったらしいが、とにかく今年の来日公演はすべてキャンセル。こんなこと言うとまた怒られそうだが、ちょっとアレルギーなんじゃない(これには正しい情報の「海外向け発信」を初期段階から行っていなかった行政府の責任もあるが)? たしか東海村臨界事故のときも、バーバラ・ボニーが直前になって公演をキャンセルしたことがありました。でもそのときはリガ大聖堂聖歌隊はちゃんと来てくれまして、芸劇へと聴きにいった(苦笑)。もっとも今回の事故 ―― 言わずもがなだがこれは人災 ―― については事態はかなり深刻だけれども、たとえばある週刊誌報道によると、原発から半径30km 圏域にかかる浪江町ではいまのところ1mSv 以下らしい。ということはISS に缶詰めになっている宇宙飛行士が一日に浴びる放射線量のほうが多い、ということになる(こちらは一日で1mSvの被爆線量 → JAXAの関連ページ) 。

 いまはまだむりだろうけれども、いずれ落ち着いたら音楽家のみなさんはぜひ被災地入りして「音楽の力」で被災された方々を勇気づけてほしい、と切に願う。そんななか、きのう見た「N響アワー」。巨匠ズービン・メータはさすが! というか脱帽です ( →関連記事 ) 。冒頭のバッハの「アリア BWV.1068 から」は、じつに深かった。これだけでも感動で身震いしてしまいますが、やはり圧巻はベートーヴェンの「第九」。なんというか、ものすごい集中力、ものすごい気迫のこもった演奏でした。まさに演奏者とか聴き手とかいった垣根のない、真にベートーヴェンの音楽と一体になった、そんなとてつもない演奏だったと感じました。こんな「第九」ははじめてだ。これは掛け値なしに歴史に残る名演だと思う。ついで「第九」の演奏で個人的にもっとも印象に残っているのは、2009年の定例N響第九公演で、児童合唱つきのもの。メータの指揮を見てふと思ったのは、第2次大戦さなかのフランクフルトで、バッハのオルガン作品の連続演奏会を開いていたヴァルヒャのこと。ヴァルヒャの連続演奏会のおかげで、フランクフルト市民はどれほどの慰めと生きる力をあたえられたことか。戦後まもない最初の「バッハ・オルガン作品全集」の、一分の隙もない鋭い集中力をもったあの演奏。それと近しいものをメータの指揮、そして N響の演奏から感じた。

 メータもそうだが、ドミンゴも予定どおり来日して、アンコールには日本語で「ふるさと」も歌ってくれたという! うれしいじゃありませんか。一音楽ファンとして、お二方に感謝。

2). ところで … NYT には震災当日から、こんなページが残っている。これはいったいどういうこと?? What's their intention??? 一般の人が「その瞬間を撮った映像」を報道機関に投稿する、というのはよくあることだが、これは新聞社側が、甚大な被害を出した被災地の写真を(主として大津波の写真がほしいのだろう)「そこにいた読者のあなた」から提供してくれと言っている。2004年暮れのスマトラ沖巨大地震で発生した大津波のときに、NYT は「津波の写真とか撮っていたら送ってくれ」なんて呼びかけをしていただろうか?? あのときは海外からの観光客、はっきり言って白人系の、津波も地震も体験したことのない人がおおぜい犠牲になったけれど、NYT にそんな呼びかけページがあったとは当方の記憶にはなし。カトリーナのときだって、こんな不謹慎な呼びかけはしていなかったと思う。こういう写真ないし映像って、撮った本人が自分の意志で投稿するもんでしょ、ふつう。世界に名だたる大新聞社が公然と写真画像をください、って言うのはおかしくないか? 

 ちなみにこんなブログ記事も見つけました。この「石碑」については今日の地元紙夕刊にも載ってました。「高所の住居は児孫に和楽。此処より下に家を建てるな」は英訳すると、'High dwellings are the peace and harmony of our descendants …. Do not build any homes below this point.' になるわけか。この記事では先祖の教訓が活かされなかった点を強調しているけれど、'What is even sadder than this is the rebuilding of New Orleans. Why are people rebuilding on a flood plain? They do not have the excuse of having forgotten the disaster. When are people going to learn that Nature will not yield to our wishes? ' という読者コメントにもまた、同意せざるをえない。それが人間というものかもしれない。石碑のある宮古市姉吉地区は襲来した津波の遡上高が38m を超えた地点で、津波はまさにこの石碑の手前まで迫っていたといいます。ここの地区の11世帯は石碑の上に建っていたから、ぶじだったという。

 … NYT ついでに、じつは本日も歴史に残る大地震のあった日でもあった。↓

On April 18, 1906, a major earthquake struck San Francisco and set off raging fires. More than 3,000 people died.

このときのようすを撮った写真を以前、見たことがあります。遠くで煙があがるなか、土手に避難してきた人々が呆然と眺めている写真。人間の歴史は病気との戦いの歴史、と言っていた人がいたけれど、自然災害との絶えざる戦いの歴史でもあったことを痛感させられる映像でもありました。

 … 今週は受難週。「洗足木曜日」だの、「テネブレの朗読(「第一夜課」のエレミヤ哀歌ではじまる)」だの、「聖金曜日」だのといったお勤めをへて、「復活祭」になります。というわけで、最後はローマ教皇がらみの記事を紹介しておきます。↓



posted by Curragh at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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