2007年06月29日

聖ペトロの祝日(Navigatio, chap.21)

 6月29日は使徒聖ペトロの祝日。ラテン語版『聖ブレンダンの航海』第21章冒頭で、この日、ブレンダン一行が使徒ペトロの祝日を祝うミサを船上であげていたとき、海がにわかに澄みわたり、海底にあるものすべてが手にとるように見えた…とあります。『航海』では唯一、日付けがはっきり特定できる箇所です(あ、そう言えばこの前の日曜に見た「こころの時代」。「エルサレム派」を代表するペトロのライヴァル、パウロの「コリント第二の手紙」についてやってましたっけ。異邦人にも救いがあると説くパウロの教えと伝道旅行がなかったら、おそらくこんにち見られるような「世界宗教」としてのキリスト教の土台は形成されなかったでしょう)。

 この「透き通った海」にやってきたブレンダン一行、海底を見るとこんどはえたいの知れない生き物の大群が。恐れをなした修道士たちはこぞって修道院長ブレンダンに、もっと静かにミサをあげるようにと進言した。それを聞いた院長は呆れ顔で、「おまえたちはかの大魚[ジャスコニウス]の背の上で『詩編』を歌い、かつ薪をくべ、火をおこして肉を煮たりしたではないか! どうしてこれらの生き物を恐れるのだ?」と諭すと、ありったけの声を出して朗々とミサをあげはじめた(このへんなんだか笑える)。するとブレンダンの詠唱を聞いた生き物の大群、海底から浮上するや、カラフの周囲をぐるぐる、一定間隔を置いて泳ぎだした。ブレンダンがミサをあげ終えると、生き物の大群はいっせいに四方八方に散って視界から消え去った。聖ブレンダン一行の舟がこの「透き通った海」を渡りきるのに、追い風を受け、帆を目いっぱい揚げて航海しても八日かかった…とつづきます(セルマー校訂版)。

 さてこの正体不明の「海の生物」ですが、以前よりこの章については問題があるというか、よくわからない部分があります。ひとつはこの「謎の生物」について。いまひとつはその直後のややけったいな比喩です。

 1976年、奇しくもティム・セヴェリンの復元船「ブレンダン号」がアイルランドのディングル半島から出航した年に刊行されたダブリン大学教授ジョン・J・オメイラ氏による現代英訳本(pp. 49-50)では、この生き物に――どういうわけか―― 一貫してfish という訳語が当てられています。底本のセルマー版および現存最古の写本のひとつと言われる「アランソン写本(Manuscrit d'Alençon, Codex 14, ff. 1r-11v.)」ではいずれも diversa genera bestiarum とあり、たんに「生き物」一般を指す単語です。なぜオメイラ教授がbestiarum(bestia)にfish とあえてイメージを限定するような訳語をあたえたのか…という点がいまだにわかりません。その前に出てくる「固まった海」(第14章)が「人を眠らせる泉のある島」からは北にあり、「透き通った海」のつぎに氷山との遭遇を思わせる「水晶の柱」が浮かぶ海域があることから、ともに北の方角にあることが推定されます。さらにお供の修道士がその「異様さ」に恐れをなしていることから、どうもただの「魚」というわけでもなさそう。今年はじめにここでも取り上げたポール・ジョンストンの労作 The Sea Craft of Prehistory 中に引用された『聖コルンバ伝』の一部を見てもわかるように、カツオノエボシ…とは特定できないまでも、修道士一行が出くわした「謎の生き物」も、なんとなくクラゲっぽい気がしますね。

 しかも底本のセルマー版にはご丁寧に註釈までついてまして、'These monsters may have been a shoal of jelly-fish.(p.90)'とはっきり書いてありました。orz

 ふたつ目の比喩について。セルマーのテクストからはじめて邦訳を完成させたT先生の訳では「無数の動物が互いに頭を前の尾に寄せて休んでいて、その様子が円形に作られた町がひとつそこにあるかのように見えました(p.56)」となっている箇所。「アランソン写本」では、

'... Et prae multitudine tales videbantur sicut civitas in girum applicantes capita ad posteriora jacendo.'

となっている部分。オメイラ先生はここを

'... They were so numerous that they looked like a city of circles as they lay, their heads touching their tails.'(repr., Gerrards Cross, 1999, p.49)

と訳しています。なるほど、うまい訳し方です(苦笑)。

 「アランソン写本」の現代仏語訳の註を見ますと、「ここはふたとおりに解釈が分かれ、翻訳が難しい」ともあります。頭を接しているのが自分の尾――つまり尻(posteriora)なのか、すぐ前にある尾なのか。大魚ジャスコニウスよろしく、自分自身が輪っかになっていたのか、それともみんなが数珠繋ぎになっていたのか…いずれにせよこの生き物の大群は海底に巨大な円形を描いてじっとしていた、ということらしい。

 …そう言えば29日はi-Phoneの米国本国での発売日でもあったなー。NYTimes の技術関連コラムリスト、デイヴィッド・ポーグ氏の新製品紹介ビデオでもおもしろおかしく取り上げられています…ポーグ氏熱演(?)のこのクリップ、おちゃらけぶりはいままで見たなかでも最高かも(とくに 'He's got an i-phone!' とi-phone をもっていることがバレて、みんなに追いかけられるシーンとか)。

この記事へのコメント
こういう点って、知れば知るほど気になりますね。とっても面白かったです(笑顔)。
少しづつ溜まった本を消化していけたら、新しく読みたくなりました。
Posted by alice-room at 2007年07月02日 22:33
alice-roomさん

本文冒頭部、誤解を招く書き方をしてしまったので訂正しておきましたm(_ _)m

ご参考までに、オメイラ訳では21章の出だしはこうなってます([]はおそらく訳し漏れ。底本にはきちんと'...sanctus Brendanus' とあります)。

'It happened on one occasion that as [Saint] Brendan was celebrating the feast of Saint Peter the Apostle in his boat, they found the sea so clear that they could see whatever was underneath them.'(p.49)
Posted by Curragh at 2007年07月03日 02:19
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