2011年06月12日

風評被害が心配

1). 未曾有の大震災からまる 3 か月が経過しました。いまだに行方不明の方もおられ、また震災と大津波だけでも勘弁してほしいところに、世界的に有名になってしまった東電の原発災禍。被災者の当座の生活支援、仮設住宅や雇用の問題、全国有数の漁業基地・穀倉地帯でもある東北地方の人々にとっては、とにかく一日も早く自分たちの仕事の場をなんとかしてほしい、というのは切実な願いだと思う。けさの朝刊紙面に復興会議の「第一次提言素案」なるものの要旨が載ってましたが、「土地利用をめぐる課題への対応」とか「観光の再生」とか、「災害に強い国づくり」なんてのは、手持ちの資金も底を尽き、明日どうやって生活してばよいのかもまるで見えない人がおおぜいいるなかで、いますぐすべきことなんだろうか? 南三陸町長さんが「復興構想会議はスピード感がない。財政支援など国の計画が決まらないと、町の計画は絵に描いた餅になる」と苦言を呈していたけれど、まったくそのとおりだと思う。

 そんななかでこんな話題を取り上げるのは気が引けますが、毎日、文字どおり水がわりに数十杯は飲用している「お茶」について。このほど放射性セシウムが「1kg 当たり500 ベクレル」という「国の暫定規制値」を超えたとして静岡県では静岡市葵区藁科地区の一番茶の製茶の一部で出荷自粛要請をするとのこと ( → 関連記事1関連記事2関連記事3 ) 。

 大のお茶好きだからバイアスかかった物言いをするわけじゃないですが、そもそも「暫定規制値」なるものも今回の大事故であわててこさえた数字だということを聞いた。つまりあんまりアテにはならない。で、かりに500 ベクレル … を上回ったからといって、「飲む」ときもその数字のまま、なんてことはない。放射性セシウム … というのも、第一原発の場合はほとんどが半減期が 2 年ほどと短い「134」で、累積積算値じたいもさほど心配する必要はないと思うし、そもそも内部被曝するほど飲む人なんていません ( 利尿作用があるため、わりとはやく排出される ) 。休みの日、というか家にいるときはそれこそ浴びるように静岡茶、ときには紅茶 ( すんません、こっちはティーバッグですが ) をすすりつつネットサーフ ( 言い方が古いか ) したり読みかけの洋書読んだり音楽聴いたり下手くそなバッハをかき鳴らしたりしているわけですが、「規制値超え」と聞いても当方は「煙草の受動喫煙」のほうがはるかに発癌リスクが高いと考えてますので、だからなに、so what ( マイルス・デイヴィスふうに ) ? というていどの認識でしかない ( ある週刊誌記事によると、受動喫煙の発癌リスクを放射線量に換算すると約 100 ミリシーベルト相当だそうですよ ) 。

 と、そんな折も折、あの村上春樹氏がまたまたやってくれましたね(ソユーズでようやっと念願をかなえた医師の古川聡さんもよかったですね)。これにはみなそれぞれ、「意見には個人差がある」ゆえ賛否両論あって当然なんですが、やはり「文は人なり」、人柄がにじみ出た嘘偽りのない心情の吐露だと感じました。とくに「無常」については、まちがいなく自然災害の多さも影響していると思う。かつて立松和平さんは、風景というのはそこに生きる人の内面の投影にすぎない、というようなことも言っていた。風水害、火山、地震、津波 … 日本人の精神性に投影されないはずがない。

 …というわけで、負けるな静岡茶!! とエールを贈りたいです ( ついでに「ちゃっぴー」もね ) 。

2). …「ひだまり」さんのブログを見たら、こういうリンクを見つけた。なるほど、欧州ではたがいに電力を融通しあっているんだな。ドイツの決断 … は英断かもしれないが、なんたってお隣りが日本以上に原発が稼働している国ですからね … 。でもこういう事態に遭遇して、あらためてマッキベンの本 (『ディープ・エコノミー』 ) の指摘は正しかったんだな、と思った ( →関連拙記事 ) 。

 …そういえばこの前の日曜、「放射能汚染地図」の続報につづいてこんな番組を放映してまして、「N 響アワー」のあとつい見入ってました。…でも番組で登場した宗教学者のY 先生って、ラドヤード・キプリングばりに「東西思想の対立」という視点がお好きらしい。かたや「ノアの箱舟(選民思想の代表として)」 vs. 「三車火宅の図(みんなを救済するインド・仏教的思想)」を引き合いに出したうえで、いまこそ日本の復興には後者の思想が必要だ、とかそんなことをおっしゃっていた( インドの古代の神さまって、慈悲を乞われたら助けるというルールがあるそうですよ。たとえば比較神話学のキャンベルも言及しているシヴァ神と「栄光の顔」の神話とか。あるときシヴァ神は奥さんの女神をくれと言ってきた怪物にえらく腹を立て、額にある「第三の眼」をかっと見開き、もっと大きい痩せた怪物を出現させた。食欲しかないこの怪物を見て、最初の怪物はシヴァに慈悲を乞うた。第二の怪物に「こやつを食ってはならぬ」と申し渡したら、「じゃオレはいったいだれを喰らえばいいんだ?」。これにシヴァはこたえて、「なら、自分を食え」。おおそうか! というわけでムシャムシャと脚から胴体、首と食べ尽くしてとうとう顔だけが残ったとさ[ Myths to live by, p. 103 ] 。個人的にはこっちの話のほうが興味深い ) 。でもこの対立構図、個人的にはどうも … ちょっと単純すぎません?? 番組じたいは、昨年物故された比較文明学者の梅棹忠夫氏の未完の書、『人類の未来』を中心に作家の荒俣宏氏が案内役をつとめる、そんな内容でしたが、… 梅棹氏の思想ないし炯眼ぶりはともかく、どうにもY 先生とのやりとりとか、また最後のやや強引なまとめ ( ?? ) には違和感をおぼえた。西洋の人って、そんなに「選民思想(自分たちだけが助かればよいという発想)」が強いんだろうか?? ボーターレス化したいまの世界では、たとえばサンデル白熱教授の講義に出ていた米国の参加者とかの反応を見ても感じたように、日本の震災はほんとうに「人ごとではない」という意識の人がたいへん多いのではないでしょうか。海外公演の多い邦人音楽家でさえそう言っているのだから、まずまちがいない。そしてダニエル・カールさんみたいな「われわれ以上にこの国を愛する人々」だっておおぜいいます。ドナルド・キーン先生なんか、日本国籍をとって永住するんだと言ってくれまして、もう感動もので涙が出るくらいですよ。Y 先生にはたいへん失礼ながら、いまの政治状況・社会状況を見ていますとはっきりいって「日本以外の国の人の力(ようするに「外圧」)」はぜったいに必要かと。復興会議 … の動向報道とか見聞きしてますと、日本人の知恵、ないしは議論の進め方ではけっきょくにっちもさっちもことが進まんと感じているのはワタシだけだろうか(本気でそう思っている。右往左往しているうちにまた巨大地震が発生したらどうするつもりなんだろうか)??? 

 梅棹忠夫氏について言えば、たとえば「思想というのは簡便になったカメラとおんなじで、アマチュアの視点からどんどんものを言い、一部の西洋かぶれのプロに任せきりにするな」という半世紀以上も前の主張は、とても共感をおぼえる。でも小松左京氏と云々、という関係については、当時は東西冷戦たけなわで、公害問題やら「大予言」シリーズ ( 苦笑 ) やらで、あの当時の人はたいてい「未来は暗い」となかば本気で感じていたという、そんな時代思潮が背景にはあったということも忘れてはならないと思う ( 前にも書いたが、自分が小学生のころはいまとは逆に、「氷河期が来る! 」という本が売れていた ) 。

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