2011年06月18日

'Caput' ってそんなに有名だったんだ

 先週末の「古楽の楽しみ」は「ルネサンス・ミサ曲の誕生 その1」として「ミサ曲 カプト」なるものを中心に音源を紹介してました。はてさて「ミサ曲 カプト」とはなんぞや?? と思っていたら、なんのことはない、「ヨハネ福音書」 13 : 6 - 9 の「最後の晩餐」に出てくる使徒ペトロのことばからだった(そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけではなく、手も頭も」。イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない」 ―― 『新共同訳』から。前にも書いたけれども、「洗足木曜日[Maundy Thursday]」はこの場面に由来している)。下線部がラテン語で言うCaput で、ようはここの場面を歌った単旋律聖歌をテノール声部の定旋律として転用して作曲されたミサ曲を指す呼び名。で、手許の本によれば、ルネサンス音楽における「ミサ曲」では、ある決まった旋律をテノール声部に置いて全体の統一を図る「定旋律ミサ曲」という形式が流行った。この技法発祥の地は ―― またしても? ―― 英国で、大家デュファイが大陸側に導入したんだとか。またデュファイは全楽章の出だしを定旋律のメロディーラインで統一した「循環ミサ曲」というのも残している。

 明朝の放送ではそのつづきとしてデュファイの声楽作品がかかりますが、とにかくこの「カプト」旋律は当時かなり流布していたらしい。デュファイのほかにもオケヘム(オケゲム)だとかオブレヒトといった人たちが「ミサ曲 カプト」を残している。

 で、たまたま折よく図書館で借りてきた「ポメリウム」のアルバム、Musical Book of Hours というのがあるのであらためて聴いてみたら、なんと「ソールズベリ聖歌」版の「ペトロのところに来ると」が収録されていて、しかもそのつぎのトラックにはこの「カプト」旋律にもとづくリチャード・ヒゴンズなる英国人作曲家による5声のモテット、「めでたし女王 ('Salve Regina')」まで入っていた。「古楽の楽しみ」案内役でもおなじみの今谷和徳先生がライナーを書いていて、それによると作曲者ヒゴンズ(c. 1435 - c. 1509)はウェルズ大聖堂つき音楽家だったという(英語版 Wikipedia 記事によればウェルズ大聖堂聖歌隊出身で、のちに5人いた同大聖堂オルガニストのひとりとして任じられ、また少年聖歌隊員にオルガンの手ほどきもしていたというから、ようは聖歌隊長兼オルガニストだったわけですな)。で、これは一日の最後のお勤めである「終課」に奉じられる「聖母大アンティフォナ」に挿入句(トロープス)を加え、かつテノール声部に「カプト」旋律にもとづく長いメリスマのついた楽句を使ったとあります。またこの作品は現在、貴重な曲譜集としても名高い『イートン・クワイヤブック(Eton College MS. 178)』中の一曲なんだとか。

 ポメリウムのアルバム名にもなっている「時祷書」というのは中世盛期から末期にかけてさかんに制作された在俗信徒のためのお祈り、賛歌、暦などが記されたハンドブックみたいなもので、たいていカラフルな装飾写本というかたちで伝えられてます。もっとも有名な例は、たぶんこれではないかと思うが … 。ちなみに聖職者の持ち歩いていたものが『ストウのミサ典書』などの「ミサ典書」とか、「聖務日課書」と呼ばれるもの。

 … どうでもいいけど、この時代のこういう声楽曲って、なぜか眠気を誘うものが多いんですよねぇ … おなじく図書館から借りてきたもう一枚のほうはこれとは対照的なミヒャエル・プレトリウス編纂の「テルプシコーレ舞曲集(1612年)」。ニュー・ロンドン・コンソートによる音源ですが、土俗的な躍動感あふれる舞曲の数々で、ポメリウムで催した眠気を払ってます(笑)。

posted by Curragh at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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