2011年08月21日

「らじる」とは??? 

1). NHK のラジオ放送もついにネット配信?! と思ってはみたものの、ここは日本だし、Facebook に公式ページを開設したりしたとはいえ、そこはそれ NHK ですから、BBC Radio のようにはいくまい、と思っていたらどうもそうみたい。難視聴地域対策中心の試行的なもの … という感じらしい。それでも「スマートフォンで聴けるようになる」というのは意外といけるかも、とすこしは期待しています。HTC Desire にはなぜか (?) FM ラジオ機能なんかついてたりするんですが、あいにく感度がイマイチで、けっきょくお古の MP3 プレーヤの FM で聴いているので。BBC Radio の iPlayer は Real Media 形式ゆえ、あいにくDesire 経由の聴取はむり。しかしこの「らじる」っていったい … ?? 

 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」は火曜のバッハ「ゴルトベルク BWV. 988 」がよかった。でもこれがただの「ゴルトベルク」ではありません! なんとサックス 5本 + コントラバス 4本というめったに聴けない編曲もの(サックスはソプラノやアルトの楽器はひとりが掛け持ちで担当していたらしい)。アンコールの「無伴奏チェロ組曲 第 1 番 ト長調 BWV.1007 」から「ジーグ」。冒頭に即興演奏つきという、なんともぜいたくな趣向です。とにかくひじょうに斬新な編曲で、すなおに聴いてておもしろかったです。本日の「今日は一日 … 」は、あいにく耳にあわなくて(苦笑)、オリジナルの「ゴルトベルク」とか、手持ちの CD を聴きながら過ごしてました。ようやく Myths to live by を読了。あいにくボンクラにはいまいち不明な点が残った箇所がいくつかあったが、最後の章なんかはとくにキャンベル節が全開という感じで、この手の本はじっくり読みにかぎると言いながら、ページを繰るのももどかしいほど、はやく先を読みたくなってしまった (自分としては珍しいこと) 。東洋の宗教および東洋神話を論じた章では「禅」や「相撲」など、ずいぶんと日本のことも出てきました (当たり前か) 。でも書かれている時代が半世紀以上も前と古いので、平成の世に生きる身から見ると … ちょっと違和感も感じるのはいたしかたなしか。それでも『神話の力』邦訳者の故飛田茂雄氏がはじめてこの本を読んで感動したと「訳者あとがき (『神話の力』) 」に書いていたように、あの大きな震災といまだ落ち着かない余震・突発地震活動のただなかにあるので、ある意味すがるような思いでこの本のページを繰っていたのかもしれない(ちなみにこの本は1960 年代、由緒あるクーパー・ユニオンの大講堂にて開かれた比較神話に関する連続講演から編みなおされたもの)。キャンベルといえばついさっきも公式サイトにてこういうことばを見かけた。

"Writer’s block results from too much head. Cut off your head.
Pegasus, poetry, was born of Medusa when her head was cut off. You have to be reckless when writing. Be as crazy as your conscience allows."

2). ことばといえば、先日地元紙日曜版にて見かけた『漢字が日本語をほろぼす』の著者さんインタヴュー。中身も読んでないのにこんなこと書くのはどうかとも思ったが、この本の趣旨は「漢字廃止論」。著者さんの言によると、「日本人は時代が危機にあると感じると、やたらに漢字を増やし、言葉の難しさで武装しようとする」。「怪しくなると漢字を連ね、時にはメルトダウンなんて英語を使ったり。漢字と外来語でごまかしてきたんですね」。「私たちは薄氷を踏むような自信のない言語生活をしているのでは」。ここにいる門外漢が思いますに、問題なのは「漢字(あるいは漢語的表現)」が悪いというより、使用する側が故意かはたまたそうではないのか、やたらと漢字尽くしにしていっそうわかりづらい文章をこさえて平然としている (たとえば、霞が関の住人とか) 、そういったことばにたいする無神経さ、傲慢さだと思う。

 問題だと感じるのは、こういう発言。→「日本語が漢字と手を切り、誰にも易しく使えるようになったとき、真に民主的な言葉になると思います」。では実験。「きのう、わたしはりょうしんのつかいでとなりまちにでかけた」。… 「わかち書き」をしないかぎり、これではかえって意味不明瞭きわまりなし。かといって、「昨日、私は両親の遣いで隣町に出掛けた」。では漢字の使用分量が多すぎ。「漢字廃止論」を唱える先生の発言から起こしたこの記事本文だって、個人的にはまだ漢字使用率が多すぎる。もっとひらいたらいいのに。「だれ」とか「ことば」とかは、自分だったらひらいて書くけど。「漢字は権力者が民衆を欺くために使われる」という言い分も、論点がズレているように感じます。お役人と政治家の「詭弁」を取り締まればいい。具体的には、米国連邦政府 ( と大統領 ) が使用する Plain English みたいな「簡潔明瞭な日本語表現規則」みたいに一定の制約をかければいいと思う。たとえば法律、とくに刑法なんか、改正されたとはいえ「幇助」なんてことば、それこそだれも使わない。「未必の故意」というのもわかったようで、よくわからないし。難解かつ冗長な言葉づかいを改めるだけでも、かなり効果はあるように思いますね。悪いのは漢字じゃなくて、使い方をあやまっているほうです。昔、詩人の鮎川信夫はこう言ってました。「外国語にたいする日本語の耐える力というのは、そうとうなものだ」って。明治以来、カタカナ語・翻訳によるあたらしい漢語表現創出などで、日本語が外国語という「外圧」を受けてもなお、屈しなかった、どころか柳のごとくしなってどんどん吸収していった過程を考えてみれば、そう安易に「漢字なんかなくしてしまえ」とは言えないんじゃないでしょうか (敗戦直後、志賀直哉が「いっそフランス語にしてしまえ」と言ったとかいう話は有名) 。でもこういう議論って、じつは昔から繰り返されていたりする。そのたびに議論が空転して、堂々めぐりして、そのうち顧みられなくなってしまう(苦笑)。その不毛な繰り返しに終始してしまうのは、もうやめにしてもらいたいものです。

posted by Curragh at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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