2011年08月27日

人は mortal な存在だとは言うものの …

 いやもう、ほんとうにびっくりした。まさか … というのが偽らざる心境でした。

 尊敬する柳瀬陽介先生の綴られるブログには門外漢ながらいろいろ考えさせられることが多くて読ませてもらっているのですが、第一人者の山岡先生のあまりに突然すぎる逝去を伝える記事には、ほんとうにおどろきました … 享年62 歳。失礼なたとえかもしれないが、あの大バッハでさえ65 まで生きたのに … 。

 自分のようないいかげんを絵に描いて写真に撮ったような分際の者が偉大な翻訳家について、あるいはその業績についてああだこうだと書くつもりは毛頭ありませんが、ひとつ印象に残っていたことがあるのでそれだけ書きたいと思います。

 20年くらい前だったか、ある翻訳雑誌に山岡先生はこんなことを書いておられた。某経済学者先生の名前で麗々しく訳書が出ていて、それを読んでみたら日本語訳文がどうにもお粗末。ハーヴァード大学で教鞭をとるような大先生がこんな文章を書くはずがない、おそらくゼミの院生が下訳したものだろう。本には訳者として当の経済学者先生の名前で出るのに、こんな拙い訳文を提出して失礼ではないか、そしてこの邦訳を出版する版元も、先生にたいして失礼ではないか、とたしかそんなことを書いていたと記憶している。ちなみにそのハーヴァードの経済学の先生というのは、いま地元紙にて健筆を振るっている先生なんですが … 。そのころの山岡先生は訳しにくい経済用語や時事用語の訳語を示すコラム記事を寄稿してもいました。イメージ的には、口さがなくておっかない感じ( じっさいにははにかみ屋さんだったみたいですが )。

 翻訳、というと鈴木主税先生(マッキベンの『自然の終焉』が印象につよい)や飛田茂雄先生(『生きるよすがとしての神話』などのキャンベル神話学本など)、浅羽莢子先生(自分が持っているのは『妖精の王国』)や菊池光先生(フランシスの『競馬』ものとか)もすでに亡くなられているけれども、いちばん脂の乗り切った山岡先生も足早に旅立たれてしまうとは … 今月はサッカー元日本代表の松田直樹選手に名優の竹脇無我氏など、訃報が多いと感じていたときだったのでいまだ信じられない気持ちです。

 山岡先生の『翻訳とは何か ― 職業としての翻訳』は、キャンベルの神話学本とならんで、長く世に残る名著だと信じています。合掌。

タグ:翻訳論
posted by Curragh at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ
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