2011年09月11日

つぎは … 2035年??? 

 「天災は忘れたころにやってくる」とは、あまりに有名な物理学者・寺田寅彦の警句ですね。でも今年にかぎって言えば … 「忘れないうちに」余震だの、誘発地震だのが頻発、おまけに先日の台風12号禍はもうほんとうに … 世界遺産の熊野那智大社も土砂崩れで社殿が埋もれ、また「那智の大滝」展望台でも崖崩れがあったとか。あちこちで急峻な山の斜面が深層崩壊を起こし、その大量の土砂によって「堰き止め湖」が出現し、ひとたび大雨が降れば大規模な土石流が発生しかねない。何度もこんなこと言うのはつらいけれども、ほんとうにことばもない。新宮市や隣接する紀宝町の被害もひどい。2階建ての家屋まで水没 (!) するとは、このノロノロ台風による大雨がいかに尋常ではなかったかを物語っている。

 「千年に一度」の大地震と大津波といい、この風水害といい、だいぶ前にエリザベス2世が口走った 'Annus horribilis' ということばがふと頭をよぎる。

 今日であの震災 (と原発事故) からもう半年が経とうとしています … 死者・行方不明者が2万人近くいるという重い現実と、原発事故も収束していないなか、地元紙に東大地震研の都司嘉宣准教授の最新の調査結果が報じられてました( → 関連番組記事)。

 静岡県の東海地震対策は 1854年12月23日 に発生した安政東海地震 (M 8.4) をベースにしている。でも仮にこの古文書記録にもとづく調査結果が正しいとすれば、ここ静岡県沿岸一帯でも、とくに沼津市から伊豆西海岸にかけて平均して 10m 超の大津波が襲来していたことになる。

 日本は地震国だし、こちらを見てもわかるように地球表面の歪みがもっとも集中している場所のひとつがここなのだから、はっきりいってどこででかいのが起きてもおかしくない。と、頭ではわかっているつもりでも、先月1日深夜にいきなり揺さぶられたときにはほとんどなにもできなかった自分がいる。それはそうと、個人的にちょっとびっくりしたのは、おなじ都司准教授にインタビューした記事。なんと、先生の予測ではつぎの「東海地震」発生予想時期は2035年ごろではないか、という! ↓

 「過去の地震の発生サイクルをもとに二つの検証をした。一つ目は、1944年の東南海地震と46年の南海地震のペア。このペアはおおよそ百年間隔で発生するが、当時の規模は小さかったため次の間隔を90年とみる。中間の1945年を起点に計算すると次は2035年となる。二つ目は1995年の神戸地震を次の南海地震の先行型と考える。記録から近畿地方内陸部の地震の約40年後に東海・南海地震が発生する傾向があり、こちらも2035年が導き出された。次は3連動型の東海地震だろう」。

 2035年かどうかはともかくとして、今回、古文書や古地図を調査してみて、昔の人が知恵を絞って土地の堅い場所や津波被害にあわない場所を慎重に選んで住んでいたことがわかるといいます。「過去の記録は未来の判断材料になるもの。攻めの姿勢で史料を集め、郷土をわがものとして離さない人材の育成も、今後の防災の大切な柱と言える」と結んでいます。

 伊豆半島のジオパーク構想はここでもたびたび触れてきましたが、ジオパークの人材育成は即、防災面でもおおいに役立つはず。というか火山国にして地震大国の日本では、その土地の成り立ちを知ることは「減災」とほぼイコールだと思います。いま伊豆半島各地で、とくに高校生など若い人を中心にジオパーク関連の活動が盛りあがりを見せていますが、これはなにもあらたな観光の起爆剤とか、教育面で大いに役立つといった事柄にとどまるものじゃありません。なによりもこの地に住んでいるわれわれ自身の命を守るということにも直結すると考えます。でもひとつ難くせつければ、どうも静岡県東部地域および伊豆半島地域全体には、浜松など西部地区にくらべるといまいち「一体感」に欠けるところがある (→似たような感想の記者さんもいる) 。「伊豆はひとつ」とかけ声はよく聞くけれど、そのじつ半島全体がひとつにまとまってない。ジオパーク認定とその後の活動が実を結ぶかどうかは、ひとえにこの点にかかっているのかもしれない。

 あらためて被災地の方々にお見舞い申し上げます。そして一刻も早い原発事故の収束も願っている。

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