2011年10月16日

「セガンティーニ 光と山」展

 … いろいろと大変なことがつづいた年ではありましたが、気がついたらもう10月。12月のクリスマスシーズンはスペインの「モンセラート修道院少年聖歌隊」来日公演で締めるはず … だったけれども取りやめになりまして、だから、というわけじゃないがちょうど穴を埋めるようにすばらしい美術展がたてつづけに開催されるとあって、そっちへ行くことにしました。ひとつはこの「アルプスの画家 セガンティーニ 光と山」。いまひとつはおんなじ会場で開催されるダ・ヴィンチ! 展。静岡にダ・ヴィンチ作品が来るとは、小学生の時分から大好きだったワタシとしてはもう感謝感激雨あられ状態。というわけで今回はセガンティーニ展当日券と同時にダ・ヴィンチ展の前売り券も購入。いまから楽しみ。

 静岡市美術館ってはじめて行くところだったけれども、たしか以前、静岡駅南口複合ビルにも美術館が入っていたはず。自分はそこで、ロシアのどっかの美術館所蔵作品展を見た記憶がある( とりわけムリーリョの聖母子絵画は、340年ほど前に描かれたとは思えないほど鮮やかだったことが鮮烈な印象として残っている )。それはともかく、静岡市美術館って去年の春に竣工したばかりの駅前再開発ビル「葵タワー」の 3 階にあって、白で統一された明るい空間ながら、なんとなくそっけない造り。美術館のエントランスも無機質で、もうすこしなんとかならんかとは感じた。

 今回、セガンティーニ展を見に行こうと思い立ったのは、E テレ ( この言い方好きじゃないけど ) の「日曜美術館 ( いったい何十年放映しているんでしょうねぇ、この番組? ) 」をたまたま見たのがきっかけ。途中からだったけれども、「アルプスの真昼」から放たれるまばゆいばかりの「光」とか「煌き」を TV 画面からでもつよく感じたため。指をくわえていいなあ、見に行きたいなあ、とぼんやり思っていたら、なんと静岡に巡回するじゃない?! というわけで待ちに待ったセガンティーニ作品を見に行ったしだいです。

 セガンティーニ作品がこれほどまとまって出展されるのはじつに 33 年ぶりなので、こんなすばらしい作品が静岡で見られるとはまったく幸運としか言いようがない。期待にたがわず「本物」から放出されるパワーは圧倒的。風景写真と通底するものが感じられます。

 回顧展らしく初期作品から順を追って最晩年の畢生の大作「アルプス三部作」のスケッチまで、画家の辿った道のりがじつにわかりやすく展示してありました。開館時間を狙って行ったためか、あんまり混んでなくてさらに好都合 ( 来たるダ・ヴィンチ展の場合は、こうはいくまい … ) 。こういう大きな山の風景画というのは一点一点、じっくり鑑賞するにかぎる。で、思ったんですが、初期作品ってやはり学校で教わったセオリーどおりというか、伝統的かつ「暗い」色調の作品がほとんど。これは当時住んでいた北イタリアのブリアンツァ地方特有のどんよりとした天候のせいもあったためだと言われる。とはいえたとえば「羊たちへの祝福」はとくに印象的。若いころのセガンティーニはこのほか教会聖歌隊席を描いた作品とかあるので、宗教にもかなり関心が深かったらしい。そういえばブリアンツァ時代の作品として「湖を渡るアヴェ・マリア」という有名な作品のあとに制作されたという同名コンテ画も見たけれども、もとになった油絵作品のほうは、チューリッヒ少年合唱団の「アヴェ・マリア」アルバムのジャケット表紙に印刷されていた絵だったことにいまさらながら気がついた。ああなんだ、この絵だったんだ、と。というわけで急に懐かしくなったので、あとでチューリッヒの「アヴェ・マリア」CD を聴いてみようかと思います ( 笑 ) 。

 セガンティーニ展では依頼によって制作された肖像画とかもありましたが、なんといってもつよい印象を受けるのは尊敬していたというミレーとおなじく、アルプスという過酷な環境で細々と牧畜や畑作をして生計を立てている、名もなき農民の姿です。羊の剪毛、牛や羊の放牧、種まく人、薪を集めたそりを曳いて雪原を踏みしめ村に帰る老婦人にジャガイモの皮むきをする女性に洗濯する女性 … こういう人たちを主役に据えた作品を見ていますと、かつて人間は自然とひとつになった生活を送っていたんだということがいまさらながらつよく感じられます。ま、これはいま読んでいるベリーの本のせいかもしれないけれど … かつてはこういう暮らしが当たり前だったんだということが痛いほど伝わってくるのです。セガンティーニは年をとるにつれ、「光を探し求めて」どんどんアルプスを上へ上へと移り住んでいったのですが、どの絵をとってみても絵画の中に封じこめたこうした村人にたいするまなざしはかぎりなくやさしい。

 お目当ての「アルプスの真昼」ですが、いやー、なんというか … 初期作品の暗さとは打って変わって溢れんばかりの真夏のアルプスの昼下がり、ペーターとかハイジ ( 笑 ) が飛び出してきそうな、燦々と降りそそぐ陽光というものをつよく感じさせる作品でした。もう感動しきり。やはり本物はちがうなー! 暗い絵から明るい絵へ、というのは、以前見たピカソの作風なんかも思い出した ( 「青の時代」とか ) 。そして牛や羊や山羊といった家畜も、のんびり草をはんだり水を飲んだり、いまにも動き出しそうなくらいの臨場感がある。また、強烈な山の夏の陽射しと同様、みずみずしく生い茂る牧草地を吹きぬけるさわやかな風までもが感じられる。

 そういった「劇的効果」を生み出しているのは、ひとつには「分割画法 divisionism 」という描き方にあるらしい。スーラの「点描法」なんかもこの仲間らしいのですが、ようするに補色関係にある色も細切れに同時に描きこむ技法。グリーンの場合はマゼンタとか。これで、画面に「燦々とした明るさ」が再現されるという … 当時の画家ってすごい! もっとも弟子の G. ジャコメッティ ( 棒杭みたいな彫像で知られるアルベルト・ジャコメッティはその息子 ) が師匠についていっしょに描いたという「ムオタス・ムラーユのパノラマ」という文字どおりパノラミックな 4 点組は、あきらかに「写真」をもとに制作されていることがわかる ( 3 番目の妙にフレームアウトした羊飼いと羊の群れのような破格の構図とかを見れば … ) 。

 セガンティーニは最晩年、わずか 41 歳の若さで不帰の人になったけれども、いまわの際に山小屋の窓から、「わたしの山が見たい」とうわごとのようにつぶやいたという ―― なんだか「もっと光を! 」みたいな話だ。でもセガンティーニの遺産は、いまこうして自分の目の前にある。120 年以上前に生きていた人びと、動物、そしてアルプスの自然が、額縁の内側からこっちを見据えている。セガンティーニの作品を見てたしかに言えることは、彼らは確実にこの世界に存在した、そしていま、目の前にこうして立ち現れているという厳然たる事実だ。

posted by Curragh at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術・写真関連
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