静岡市美術館にて開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展、見に行ってきました … 先月末に見に行って、きのうもまた見に行ってました。以前ここにも書いたけれども、「受胎告知」のときも二回見に行ったし、自分にとってダ・ヴィンチという偉大な芸術家の存在はとりわけ大きいので、今回もまたおなじ美術展を二回、じっくりと鑑賞させていただいたしだいです。
今回の巡回展ではダ・ヴィンチ自身の手になる作品こそほんの数点、あるかないかであとは真筆かどうか仮説の域をでないもの、または愛弟子サライ、メルツィはじめとするいわゆる「レオナルド派」と呼ばれる後継者たちの作品がほとんど。それでも今回、本邦初公開、というか世界初公開となる「アイルワースのモナ・リザ」や、おなじく謎だった「第三の」「岩窟の聖母」、そして一連の「裸のモナ・リザ」などなど、好事家にとってはまさにあれかこれかと目移りするような傑作ぞろい。「モナ・リザ」にかんして言えば、1600年ごろ、ときのフランス国王アンリ 4 世の命を受けてお抱え画家アンブロワーズ・デュボアによって制作されたとされるルーヴル版「モナ・リザ」の世界最古の複製画など、「アイルワースの … 」とおなじ展示室を取り巻くようにいろんな「モナ・リザ」が一堂に会するさまは圧巻でした。
今回の日本での巡回展はレオナルドの故郷ヴィンチ村にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長のアレッサンドロ・ヴェッツォージ氏みずから企画されたというたいへん野心的なもの。真筆作品こそ少ないものの、レオナルドの工房に属していた弟子たち、その流れを引き継いだ「レオナルデスキ ( Leonardeshi, 単数形は Leonardesho ) 」の画家たちが、師匠の追求した「理想の美」をいかに継承していったか、その過程でレオナルド自身がいかに「神話化」されていったか、という過程を彼らの作品群、それに触発されて制作されたさまざまな派生作品、または当時の印刷物を通して体感してもらおう、という趣旨のものでして、この意図はおおむね成功していると思いました。もっとも最後の「神話化されるレオナルド」については、「美の理想」という視点からはいささか脱線しているようにも感じましたが。ちなみにあきらかにレオナルド作品として展示されていたのは「老人の頭部」というちっさい素描と、「衣紋の習作」二点のみ。あとは弟子との共作、もしくはレオナルドの手が加わっていると仮定されるもの。
よくレオナルドの愛弟子だと言われることの多い通称「サライ ( 小悪魔の意 ) 」。でもじっさいに彼のものだとされる「聖母子と聖アンナ ( ウフィッツィ美術館から運んできた! ) 」を見ますと、細密な遠景描写、師匠が弟子にみっちり叩きこんだとされる「着衣のしわ」など、たしかに師匠譲りの達筆だとは思う。でも … 目の悪い自分が見てもなんか「マネキン ( 人台 ) 」みたいでぎこちなく感じた。いまにも動き出しそう、という「躍動感」にとぼしい。瞳もなんだか象眼みたいですし。また自然描写という点でも、前景の草花はよしとしても、遠景の岩山のあの描き方はまだ師匠の域には達していないとも感じた。どことなくタッチが荒い、というか。それにくらべると師匠の手が入ったとされる「岩窟の聖母」は見る者に強い印象をあたえる。もとはロンドンの版とルーヴルの「オリジナル」と同様にアーチ型の上部をもっていて、板絵からカンヴァスに移し変えたさいに切り取られたみたいですが、それでも左上からさっと差しこむ神秘的な光に照らしだされた聖母子と天使の姿は、500 年以上も前に描かれた作品とは思えないほどの臨場感というか、緊迫感がある。
弟子サライが描いたとされる作品では、小振りながら「聖母マリア」のほうが愛らしくて個人的にはよかった ( X線調査によると、師匠レオナルドの下絵の上に重ねて描かれているという ) 。でもこの「小悪魔」サライ、素行のあまりよろしくなかった人だったらしく、1519 年に師匠がアンボワーズで亡くなったあと、喧嘩で刺された傷がもとで 44 歳になるかならないかで死んでいる。以前 NHK で放映されていたドキュメンタリー「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」では、ナレーター役の俳優が「馬鹿な男でした」と評していたのをいまだに憶えている。
絵描きとしては、むしろ師匠の遺言状作成に立ち会ったとされるフランチェスコ・メルツィのほうが、師匠の追求した「美の理想」の正統的後継者だったと思う。残念ながらもうひとりの愛弟子メルツィの作品というのは展示されてなかったが、会場で買った図録( 2,300円 ) にはメルツィ作「フローラ」という女性の肖像画が掲載されていて、エルミタージュにあるというこっちのほうがはるかに美しく、質が高いと素人目でも感じる。
会場では「レオナルデスキ」たちの作品のみならず、レオナルドの「美の理想」におおいに影響を受けた同時代人の作品もまた展示されていたんですが、その白眉はなんといってもラファエロ・サンツィオ ( サンティ ) その人の手が加わったとされる作品。当時、レオナルドなど「親方」は工房を構え、そこで大勢の弟子たちと受注した作品を共同制作する、という徒弟制度が一般的でした。ラファエロもまた若き巨匠として工房をもち、弟子とともに描いたとされる一連の油絵作品が展示されていて、ワタシの目を釘付けにしたのが、「カーネーションの聖母」。その作品の前に来たとき、文字どおりしばらく動けなくなってしまった ( その壁の反対側にお目当ての「アイルワースのモナ・リザ」が待っているというのに ) 。ラファエロってあの頬杖をつくふたりの幼い天使の絵とか「聖母子」もので有名ですが、この作品、レオナルドの「カーネーションの聖母」に着想を得て制作されたものの一点らしいけれども、完成度の高さといい、膝に乗せた幼な子イエスにそそぐ聖母のあたたかい眼差しといい、幼な子の愛くるしさといい、遠景の描写といい、どれをとっても強烈な印象を受けたのでした … なんてったってその「肌色」がいい! ほんのり赤みのさした頬の描写、額縁から飛び出していまにも動き出しそう。赤ん坊の声がいまにも聞こえてきそう。マリアのうすく開いた口元からは、赤ん坊をあやす声がいまにも聞こえてきそう ―― そんなじつに活き活きとした肖像画だったんです。ちんまりとした油絵作品 ( この時代は多いけれども、これもまた板に描かれている。額縁右側から板の隙間がすこしのぞいていた)ですが、ハンブルクのギャルリー・ハンスというところの所蔵らしいけれども、一部の研究者ではロンドンにあるヴァージョンよりもこっちのほうが完成度は高いとしているようで、そんなすごい作品も同時にここ静岡市で見られるなんて、とほうもなくうれしいではありませんか ( ちなみにみやげ物の定番グリーティングカードなど、印刷された図版では聖母と幼な子イエスの頬のうっすらとした赤みは再現されず、全体的に白っぽい。やはり写真製版技術にとって「肌色」というのは再現がひじょうにむつかしいのでしょうね ) 。おとなりにあった「ヒワの聖母」という大きな板絵のほうは、地震 ( ? ) かなにかで破損して、修復跡が痛々しい。絵柄的には有名なウフィッツィにあるほうのラファエロの筆致そのものだったんですけれども。
「アイルワースのモナ・リザ」という作品、初耳だったんですけれども、なんでもこの作品、長いことスイスの銀行の地下室に文字どおり門外不出状態で保管されていたらしい。このようなかたちでひろく公開されるというのも世界初だし、なんといっても研究者でさえ現物を見たことがないという。はじめチラシの印刷でこの作品を目にしたときには、「なにこれ、模写じゃないの?! 」とさえ思ったものですが、いざ現物を目にしたらガラリと印象が変わった。金色に鈍く光る袖のひだ、組み合わせた両手、襟元、そしてなにやら謎めいた微笑をたたえてこちらを見つめる「若い」女性の顔の繊細な筆遣い … とか見てますとやはりこれ、レオナルドの筆が入っているとしか考えられないくらいの説得力がある。背景は素人が見てもあきらかに未完成で、一説によると後世の人の手が加わっているらしい。いずれにせよルーヴルにある「本家」よりもとくに顔の肌色や唇の色あいなんかほんと美しくて、保存状態はこっちのほうがかなりいい ( ルーヴルのほうは傷みがひどい )。「本家」がポプラ板に描かれた油絵作品であるのにたいし、こちらはカンヴァス地に描かれています。ヴェッツォージ館長によると、この作品についての調査結果はまもなくある研究者グループによって本にまとめられて出版される予定だというから、そちらもひじょうに楽しみではあります。
「『裸のモナリザ』、『レダと白鳥』」のコーナーも、珍しい作品ぞろいで見ごたえがありました。図鑑とか図録では見たことがあったんですけれども、とくに板にテンペラ画法で描かれた「レダと白鳥」の大きな作品はすばらしかったですね。
また当時の印刷物も展示されてまして、個人的にとくに目を引いたのは『ポリフィロの夢』という物語のインキュナブラ本 ( 1499年刊 ) 。活版印刷初期本のことを「インキュナブラ」と呼んだりしますが、これはまたたいへん珍しいものを見せてもらったという思い。ややごつい特有の活字体で印刷されたテクストが、下へ行くにつれて先細りになってゆくのもおもしろい。あいにくなにが書いてあるのかはさっぱりですが ( ラテン語やイタリア語、ヘブライ語にアラビア語まで混ざっているらしい。いわばルネサンス期の『フィネガンズ・ウェイク』か ?? ) 。ページ上の挿絵木版画は、なんというかアントン・ゾルク印刷所から出版された『聖ブランダンの航海』みたいな例ののっぺりした感じの絵柄でした。
また 1517年 10月にアンボワーズで最晩年のレオナルドに会ったという同国人アントニオ・デ・ベアティスという人の手書きの手記も展示してあって、こちらもおおいに興味を惹かれた。また19 世紀に制作された白大理石製の「立体版モナ・リザ」胸像なんかも展示されていて、「モナ・リザ」のスピンオフにはリトグラフやエッチングにとどまらず、こんなかわいらしい胸像まであるのかと感心しきり。
… いずれにせよこんな機会はおそらく二度とない。静岡市にこれだけの作品群が一堂に会するという贅沢な美術展というのは、めったにないので、レオナルド好きでまだ見に行ってない人はいまからでも遅くないからぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。損はないと思いますよ。このようなすばらしい巡回展の開催実現に尽力された関係者の方々に、心から感謝。
最後にレオナルドの語ったとされることばを引用しておきます。
―― 光を見つめ、その美しさを堪能しよう。きみがいま見た光はもはやそこには存在せず、これから見る光はまだ存在しない。
2011年12月11日
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偶然ですが、私も2月下旬に福岡でもダビンチ展に行く予定です。
お返事が遅くなってしまい、すみません。リンクの件ですが、コメントをいただいてからすぐ、変更しましたのでご安心ください。ところで手術されたとのことですが … 大丈夫でしょうか、どうかご自愛ください。
おお、ダ・ヴィンチ展行かれるのですね! 静岡展では残念ながら、ダ・ヴィンチの「ほつれ髪の女」は、ありませんでした ( 弟子のサライ作と伝えられる「聖母子と聖アンナ」は静岡展のみの展示だそうです ) 。
橋本様もどうかよき年の瀬と新年をお迎えください。