地元紙夕刊に著名人が交代で寄稿する連載コラムがあります。先日、そのコラムに寄稿された、静岡出身の女優・加藤貴子さんの文章が目にとまりました。
加藤さんの父親が、余命いくばくもないと診断されたときのこと。医師は治療法なしとして退院するよう言った。加藤さんが検査結果を見せてほしいと頼んだら、なんとこの医師、「素人にそんなこと言われたのははじめてです。見てどうするんですか? 参考までに聞かせてください」とのたもうた。どんな病状なのかくわしい説明もしないくせにこんな暴言を吐いたという。
手許にある黄ばんだ古いペイパーバック。伊東市沖合で有史以来という海底火山が噴火したころに神保町の洋書屋で買ったもので、著者は米国の若手外科医だったバーニー・シーゲル医博。1978年、癌などの末期患者の治療にあたっていた著者は、医師としての力不足に悩み、苦しんでいた。そんなとき、心と体は本来分かちがたく結びついているものなのに、病変部分のみを、まるで機械のパーツのように扱う専門分化の進みすぎた現代医療に疑問を感じ、実験的にグループケアを組織して精神的な治癒、つまり healing が末期患者にどう作用するかを観察しはじめた。すると奇跡的に生還する患者がつぎつぎと現れはじめた。試行錯誤の中、著者は精神的な healing 、とりわけ「愛」が、患者自身のもつ自然治癒力を引き出し、患者の生存率にいかに多大な影響をあたえるか、というみずからの体験を率直に綴った記録で、数年間世界的大ベストセラーになった本です。この本の続編もあって、邦訳はどちらもこちらから出ています。
ちょうど時おなじくして、日本では『ぼくが医者をやめた理由』という本がベストセラーに。当時この両者を比較して、「前者は悩みつつも医師としてさらに成長したが、後者にはそれがなかった」みたいな批評を読んだことがあります。とはいえなにも後者は器の小さい医師でした、と言うつもりはありません。両者は方向性がちがっていただけなのでしょう。
医療先進国と言われる米国にも、シーゲル医博のように人としてスケールの大きなすばらしいお医者さんもいれば、「ドクハラ」医者やインチキな藪医者もいるのでしょうが、この国の現状はどうなんでしょう。アガリクス本をはじめ、藁にもすがる思いの末期患者と家族を食い物にしている輩が多すぎる気がする。
とはいえ、きのうの「芸術劇場」では、医師でありながらプロの音楽家でもあるすばらしいふたりの方を紹介していました。ひとりは札幌市の神経内科医師・上杉春雄氏で、もうひとりは鹿児島大学大学院教授の米澤傑氏。上杉先生はピアニストから医師に転身した方で、それだけでもすごいことなんですが、院内コンサートを定期的に開催していくなかで、自分の演奏を心待ちにしている患者の姿を見て、それまでの演奏スタイルががらりと変わったとおっしゃっていました。演奏者でもある医師が、音楽という共通の手段によって患者ときわめて深い部分で通じ合う、触れあっているという、ある意味うらやましいお話でした。
いったいこの差はどこからくるのか…。目的意識の有無? それもあるでしょう。患者の立場からひとつ言えるのは、加藤さんのお父さまの担当医には患者を人として見る視点がまるで欠如していたということ。これはいくら医学の専門書を読み漁ったところで身につくものではありません。
医師兼音楽家で思い出すのが、やはりアルベール・シュヴァイツァー博士。高名なバッハ研究家で教会オルガニストにして、神学部教授でもあったシュヴァイツァーは突然、医師としてアフリカ行きを決意する。医師の資格を取り、周囲の猛反対を押し切って向かった先が当時仏領だったガボンのランバレネ。以来半世紀以上もの長きにわたって医師として奉仕活動をおこない、その功績が認められてノーベル平和賞を受賞したのは有名な話ですね。
いまではシュヴァイツァー博士のやり方は白人優先主義で非近代的という批判もありますが、当時としてはしかたなかった部分も多いでしょう。なにしろ博士が赴任した当時のランバレネは呪術師が医者で、迷信のはびこっていた時代ですから。科学的な治療活動をするにはあるていど「高圧的な」姿勢で臨まなければならなかったのでした。そして博士のモットー「生命への畏敬」は、いま、ますますその重みを増している気がします。
シーゲル博士は前述した著書で、病院 hospital というのは本来「客人をもてなす場所」のはずなのに、じっさいの建物にそのような配慮が施されていることはめったにない、薬物治療以外の患者の世話や心の看護にほとんど注意を払っていないと言い、せめて病室の天井にはなにかカラフルな絵を描いてほしいとよく思ったと書いています。どの病室にもテレビはあるが、病気を治す環境作りのために音楽的・創造的・瞑想的効果のあるビデオなどが活用されているのか、患者が個性を失わないためにどんな自由が許されているのかとも問うています。
いまでは音楽療法をはじめ、さまざまな形態で患者の自然治癒力を高める治療法が整備されて、シーゲル先生が四苦八苦していたころとはずいぶん進歩してきているとは思いますが、昨今の不祥事やらドタバタを見るにつけ、願うことは――医は仁術であってほしい。
2006年04月03日
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リンクは訂正しましたが、結果が反映されるまでしばらくかかりそうです。
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