2007年09月03日

The Gospel of Judas: Critical Edition

 以前ここにも書いた「チャコス写本」の校訂版(The Gospel of Judas: Critical Edition、ちなみに底本に書かれた語句を無修正でそのまま転載したものをdiplomatic editionと言います)。この手の本としては破格と言っていいくらいの安価だったこともあり、けっきょく買って読んでみました(たいていこの手の好事家が買うような専門書は安くても万札が飛ぶ)。

Gospel of Judas1

Gospel of Judas2


 結論から言えば、岩波から出ている『ナグ・ハマディ文書』などグノーシス関連の古文書・写本(codex)に興味がある向きにはこちらもお奨めします。昨年にひきつづいての「ユダ福音書」関連出版だけに、内容はどうかしら、また話題狙いかなんて勘繰っていたけれど、そんなことは杞憂でした。学術的価値の高い貴重な労作に仕上がっています。グノーシス文書に真摯な関心のある向きにはこちらもあわせて読んでおいたほうがいいでしょう。

 内容構成は復元プロジェクトの総責任者的なロドルフ・カッセル老教授による序文からはじまり、写本の修復復元チームのひとりグレゴール・ウルスト/アウグスブルク大学教授による写本学からみた「チャコス写本」の予備的解析について、ふたたびカッセル教授執筆による古コプト語の方言研究小論(なぜかここだけ仏語のみ。カッセル先生はスイスの人なので、英語より仏語で書いたほうがいいらしい)。後半部が「チャコス写本」に収録された全4部の文書(tractates)の校訂されたコプト語本文と現代英訳の対訳、そのあとに仏語訳がつづき、最後が「チャコス写本」で使われているコプト語の索引(というか用語集に近いかな)になってます。

 カッセル教授の序文は既刊邦訳本『原典 ユダの福音書』とほぼおなじ内容なのでとくに目新しいことはなし(それにしても長い「まえがき」…カッセル教授のこの写本にたいする深い愛と情熱がひしひしと伝わってはくるけれど)。でもこの校訂版のなによりすばらしい点は、「チャコス写本」の全パピルス紙葉の美しいカラー写真が掲載されていること。これは「ナグ・ハマディ写本」の校訂本の仕様に倣ったものらしい。とはいえ後者は当然画質のあまりよくないモノクロ画像によるファクシミリ版だろうから、こちらのほうが断然きれいで見やすい。こうして一葉一葉きちんと本来の順番で復元されたパピルス写本を目の当たりにすると、書かれた文字は読めないながら、これがギリシャ語原本から筆写された当時にタイムスリップしたかのような楽しい錯覚すらおぼえる。ウルスト教授の「チャコス写本」についての私論によれば、「チャコス写本」の断片と見られるパピルス片約50が現在米国に保管されているという(「オハイオ断片」)。そのうちあきらかに「チャコス写本」の一部をなすと推定された6つの断片については、「チャコス写本」パピルス画像にデジタル合成して掲載したとのこと。またそのほかの一部断片については不鮮明な昔の写真資料しかなく、コプト語本文と英訳には反映させたがこちらの写真は掲載しなかったとも。たしか昨夏聴講した米国チャップマン大学教授マービン・マイヤー先生が「写本は66ページ目で終わっているが、もとは100ページ超だったかもしれない」と話していて、ウルスト教授の「オハイオ断片」についての記述(p.28)にも「108」というページ番号が付された紙片があるというから、あのときマイヤー先生が話されていたのはこのことだったかもしれない(ウルスト教授が「オハイオ断片」を調べたのは昨年前半のこと。残念ながらいまは門外不出で調査はできないらしい)。

 あとこれも既刊本にカッセル教授が苦々しく書いている「チャコス写本」入手にいたるまでの紆余曲折に出てくるけれど、チャールズ・ヘドリックというコプト語の研究者から――かなり高額のお金を支払って――入手できたという「昔撮影された、写りのよくない写真」も合成されて掲載されています(「チャコス写本」のpp.3-4, pp.29-30で、あきらかに画質がちがう。なお31-32ページにあたるパピルス紙片についてはいまだ行方知れず。ひょっとしたらもともと存在しない、つまりただたんに写字生が「写しまちがえた」可能性も否定できないという)。写本に用いられたコプト語サイード方言の特徴についての小論は…仏語が読めないので割愛。当時のエジプト中部で使用されたコプト語とわりと局地的だったサイード方言との関係と分析、それにもとづき写本に書かれたコプト語原文をどう解読したか、について書いてある…みたい(もっぱらコプト語の話なので、ギリシャ語・コプト語に興味ある向きにはおもしろいかも)。なお「チャコス写本」の筆写をしたのは基本的にひとりのscribeだということがわかっています。ただしところどころ、第三者が手を入れた箇所もあります。

 「チャコス写本」収録の4つの文書についてはそれぞれ序論つきで収録されています。まず最初の文書は「フィリポ宛てペトロの手紙」。書名が『ナグ・ハマディ(II巻、岩波版 pp.348-359、以下すべて引用は岩波版)』版の同文書とはすこし異なるけれども、内容はほぼおなじ。「手紙」と言いながら、手紙の部分は冒頭のほんの数行のみ。つづくページではすでに弟子たちが祈りを捧げている場面に転換、「アイオーンの欠乏」についてだの、「プレーローマ(充満)」についてだの、まるでグノーシス特有用語の手引き書のおもむき。ヘドリック提供の写真と合成された箇所以外、パピルスの下半分は失われていて損傷が激しい。しかしながら最終ページはほぼ原形をとどめていて、文書名(当時はタイトルは最終ページに「奥付け」として付されることが多かったらしい)とアンク(?)を思わせるような十字架の図とともに終わっています。

 第二の文書はあっさりと「ヤコブ」というタイトルのみ。書名はずいぶんあっさりしているけれども「チャコス写本」中、もっとも保存状態がよくて分量も21ページあります。こちらも『ナグ・ハマディ IV』に収録された「ヤコブの黙示録 I(pp.35-60)」と内容が似通っています。ただ最初の場合とちがい、異なる記述も多いため、おなじ原本から枝分かれした系統の異本と呼んでいいかもしれない。「ユダの福音書」でイエスがユダにグノーシス特有の宇宙論を語るように、ここではユダのかわりに兄弟のヤコブがイエスから「知識」を授けられ、啓示を受ける。そのあとユダとおなじく、ヤコブもまた受難する、という筋立て。ここで興味深いのは、『ナグ・ハマディ』版「ヤコブの黙示録 I」の結末は原典写本の欠落がひどくてほとんどよくわからないのにたいして、「チャコス写本」所収版のほうはヤコブが逃亡囚の身代わりになって裁判にかけられ、無罪判決が出たものの怒った群集から石打ちにされて殉教するということが書かれてある点。なんだか「使徒言行録」に出てくる最初の殉教者ステファノみたいな最期です。

 3番目の文書が例の「ユダの福音書」で、「チャコス写本」中最長の文書(26ページ)。既刊邦訳本と比較しながら読むと、細かいところがけっこう変更されています。たとえば冒頭部、「しばしばイエスはそのままの姿で弟子たちの前には現れず、一人の子供として弟子たちの中にいた(p.23)」という箇所。校訂版では「子供」にあたる単語が消えて、(?)に変更されています。逆に、既刊本では不明だった箇所の単語が追加されていたり。邦訳本原本である現代英訳版はあくまで「暫定的」なものにすぎないので、これまでのところの「決定訳」を知りたければ、最新の知見が盛りこまれた校訂版のほうが参考になると思います。また邦訳本について書いた拙記事で書き出した箇所(「チャコス写本」57ページ冒頭部)について、校訂本では

...Truly [I say to you], your
last [---]
[---] become
[---]
[---]
[---grie]ving
[---]
[---] the ru[ller],
[---] since he will be destroyed. [And] then ...(p.233)

とgrieveがgrievingに変更されていました。ついでに'Truly...'はいわゆる「かくあれかし(amen)」ですね。既刊邦訳本の註釈で「アーメン」と書いてあったのもこれ。正典福音書でもおなじみの表現です。最後のイエスを裏切る場面の直前ではそれまでイエスがユダひとりに語りかけていたのにいきなり複数形の人称代名詞が出てくることから、欠落部分をはさんでふたたび場面転換があり、イエスが弟子もふくめた複数人の前でユダに話している可能性が示されています。

 「チャコス写本」最後の文書が「アロゲネース(異邦人セツの書)」。こちらも同名書が『ナグ・ハマディ』にも入っていますが、中身は別物。だから「ユダの福音書」とおなじく、まったくの新発見といってよい文書です。岩波本IV巻 pp.264-5に出てくる、「アロゲネース[の]すべての[書]物[の]封印[として]」で言及されたもののひとつなのかもしれない、と「序論」にはあります。とはいえこの文書はパピルスの損壊がひどくて、冒頭部に書かれた書名らしい単語もほとんど判読不能、なのでこの部分の復元にはかなり推測に頼った部分があることを認めています。6つの「オハイオ断片」は、この最後の書のものらしく、それもふくめたかたちで本文を復元しています。でも63ページ以降はほんとうに紙片の一部しか現存していないため(「違法な」古美術市場を探せば写本断片が見つかる可能性はまだある)、飛び飛びに単語が書いてあるだけで、内容はさっぱり。そして文書の中途で唐突に「チャコス写本」は終わっています(現在散逸している後半部分とあわせて、本来「チャコス写本」には5つの文書が収められていたらしい。5番目の文書については、「ヘルメス文書 XIII」の未知のコプト語訳文書ではないかとするある学者の仮説を紹介している)。

 カラー図版を大量に入れてあるせいかどうかわからないけれども、巻末索引以外の全ページが――高砂親方(笑)じゃないですが――ほんと「つるつる、てかてか」の上質紙なので、ページ数のわりには重くて手がしびれるし、紙が光を反射するために少々本文が読みづらい。巻末索引だけでなく、巻頭ページも普通紙にしたほうがよかったように感じますね。

 紙質…はともかくとして、現時点ではもっとも完成度の高い校訂本にはちがいありません。さてこちらも邦訳本ははたして出るのか? となると、さすがにこちらは…どうなんですかね、きちんと出版するのかどうか。すくなくともあのDVDよりはるかに価値があるとは思うけれども。

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