2012年01月22日

たてつづけに … 合掌

 先週の月曜朝に聴いた「古楽の楽しみ」。中世の音楽形式のひとつコンドゥクトゥスなるものが出てきたり、「ロバと酒飲みとばくち打ちたちのミサ曲」というなんともユーモラスな作曲者不詳のミサ曲 ( ? ) が出てきたりしたので、ちょっと手許のコピーを調べて中世ヨーロッパ風の「無礼講」だった正月 1 日のいわゆる「愚者祭」とか、その前、12月28日の「幼な子殉教者の祝日」に催されたという「少年司教 ( boy bishop ) 」の話とかとからめて書くつもりでした。でもこの間、たてつづけに著名な音楽家の訃報があいつぎ、そしていまごろになって、古楽復興の立役者、オランダの鍵盤楽器奏者で指揮者のグスタフ・レオンハルト氏まで逝去されていた事実を知り、しばし呆然。しかも行年 83 というのは、奇しくも 21年前の8月に亡くなったドイツを代表するバッハ弾き、ヘルムート・ヴァルヒャともおなじだった。

 レオンハルトが残した功績、というか音楽的遺産はあまりにも大きい。日本人からも数多くのお弟子さんを輩出していますし。レオンハルトの来日公演にはたいていそういったお弟子さんとか、孫弟子の先生とかが一般聴衆に混じっていることが多くて、最後の来日公演となった昨年 5月末の明治学院チャペルでのオルガンリサイタルでも BCJ の鈴木雅明氏が聴きに来ていたりした ( その後伝え聞いたところでは終演後、レオンハルトとしばし談笑していたらしい ) 。なので一音楽ファンにして門外漢の自分がかの巨匠について、あれやこれや書くのはかえって失礼な気がして気がひけるのですが、レオンハルトの貴重な実演に接したひとりとして、個人的感想を綴ってみたい。

 昨年 5月の来日公演時に書いた記事でも触れたけれども、自分がはじめてこの老巨匠の演奏に接したのは忘れもしない 1996 年 3 月、池袋西口の東京芸術劇場で、席はたしか 3 階席中央だったと思う。ご存知のようにここのオルガンはフランスのガルニエというオルガンビルダーが建造したもので、3 つの回転台にそれぞれ筍よろしく乗っかったオルガンがぐるりと回転して「ルネサンス・バロック」面、「ロマンティックオルガン」面と 3 つの「顔」をもつ楽器として有名 ( それゆえいろいろ問題もあるけれど。途中で止まったりとか … ) 。レオンハルトは「ルネサンス・バロック面」を使って演奏してくれた。スペインのアラウホとか聞き慣れない人の作品がつぎつぎに奏でられ、たしかバッハはアンコールピースのコラール前奏曲だったように思う。印象は、意外とエネルギッシュで、堅苦しさはみじんもなかった。でも氏のすらりとした長身、その端正な物腰がなんともいえずカッコよくて、「ああ、ワタシも年とったらあんなふうになりたいものだ」なんてまだ 20 代だったけれどもそんな感慨を抱いたりした。また演奏のときには眼鏡をかけ、客席に向かってお辞儀するときはさりげなく眼鏡をジャケットの胸ポケットにしまうその仕草がとてもダンディだった、という印象もあった。

 2 回目の「レオンハルト体験」は静岡音楽館 AOI での公演で、2004年6月のこと。前回がオルガンだったので、こんどはチェンバロを、と考えていたら、おあつらえ向きに静岡市での公演とあいなり、大喜びで聴きに行ったものです。レオンハルトはステージに登場すると、みずから楽器の「ふた」を立てて、やおら演奏しはじめた。自分の席は前から 5 番目で、左寄りだったから両手の動きがとてもよく見えるし、楽譜までよく見えて、ある意味ひじょうにラッキーな好位置だった。このときはフローベルガーとか大クープランとかフォルクレとかフランスものが多かったような気が ( プログラム、探したけど出てこない ) … でも当時書いた「覚え書き」をいま見ると、最後はバッハの「パルティータ BWV.767」だったようだ … 以下、その「覚え書き」からの引用。↓

―― 相対湿度が低かったせいかどうか知りませんが、当夜の公演では開始直後は客席からやたらとゴホゴホが聞こえてきました … そのうちそういった雑音は ―― たぶんチェンバロの繊細な響きに耳が慣れ、レオンハルトの演奏に集中できるようになったからというのもあるかと思うが ―― あまり聞かれなくなりましたが、代わりに演奏者自身の「オフォン ! 」が。各曲が終わり、拍手にこたえたあと、かならず咳払いしてました。高齢というのもあるかもしれませんが、かなりしんどかったのかもしれません。でもいざ鍵盤に向かうとがぜん若返り、トッカータの速い走句では右足でトントンとリズムをとり、迫力あふれる演奏でした。掉尾のコラールパルティータもまさに名演。

―― 聴衆の鳴りやまぬ拍手にこたえ、アンコールとして2 曲弾いてくれましたが、うち 1 曲はなんと例の「無伴奏ヴァイオリンパルティータ第 2 番」のサラバンド !! 弾き始めて数秒のタイムラグがあってからそのことに気づきました … このアンコール作品もまた絶品。ここでホール関係者とおぼしきオジさんから花束が ―― というより、二輪ほどの薔薇 … せっかく巨匠が来静してくれたんだから、もっとでっかい花束にしたらいかがかと。これじゃいくらなんでも巨匠に失礼です。

… あいかわらず勝手なこと書いてるな ( 苦笑 ) 。最後の来日公演については拙記事参照。

 レオンハルトなどオランダの鍵盤楽器奏者は、たいてい「助手」というのをつけない。譜めくりもストップ操作もぜんぶ自分ひとりでこなす。マリー・クレール-アラン、ジャン・ギユー、アンドレ・イゾワールといった仏人奏者や一部の英国の奏者、サイモン・プレストンなんかもひとりでこなすタイプですが、レオンハルトやコープマンに言わせると、バッハ時代まではこの「すべてひとりでこなす」スタイルが常識だったから、そうしなくてはならないという。だからいつも助手なしで弾いているんですね。

 こちらの追悼記事を見ますと、「わたしは学者ぶるのは嫌いだ。音楽家は解釈の基本原則の正しさを認識したうえで、あとは自身の感興に従って演奏すべきだ」みたいな発言もしている。レオンハルトというとどうも衒学肌の近づきにくさがあるような印象を持たれたりするけれども、ご本人はまったくそんなことは念頭になし。あるお弟子さんの回想では、レッスンを受けるために先生の家( 1605 年に建てられたお屋敷で、17 世紀の調度品でいっぱいだったという )を訪ねたら、レオンハルト先生は口笛 ( ! ) 吹き吹き、軽やかに階下へ降りてきたんだという。またコープマンによると、たまたまレッスンの持ちあわせ曲がない時なんか、「ハイ、今日はこれでおしまい」と言って打ち切ったとか。時間のムダを徹底的に省く合理主義者でもあったみたいです。またあるときはインタヴューにこたえて、「わたしは朝寝坊の芸術家なんかじゃありません」。朝早く起床する、規則正しい生活を送っておられたらしい。そして極めつけは、「レオンハルトは現代のバッハだ ! 」とフランス・ブリュッヘンが呼んだことについてどう思うか、と訊かれたときは、笑顔でこう返したという。「ひじょうに親しい友人による、愛すべき誇張です」。

 またレオンハルトは長年、生まれ故郷オランダ・アムステルダムの新教会オルガニストを務めており、チェンバロ弾きと同様にオルガン弾きとしてもまさに名人だった。そしてオルガニストとしてのレオンハルト最大の功績は、自身も好きだというスペインのアラウホとか、バッハ以前のあまり世間では知られていないオルガン作曲家の作品を、これまた世間ではほとんど忘れ去られているような歴史的オルガンを用いて数多くの録音を残したことだと思っている。こんな地味な活動を長いあいだ細々とつづけるにはよほどの情熱がなければとうてい成し遂げられないはずです。そんなアルバムが図書館から借りられるのもうれしいし、うち何枚かは手許にあるとはいえ、とうていすべてを聴ききれるものじゃない。でもこうして行ったこともない、聴いたこともない古いオルガンの響きにひとり浸る瞬間は、最高に贅沢なひとときだと感じている。

 椎名雄一郎氏のアルバムのライナーに、レオンハルトからこんなことを言われたとしてつぎのようにあります … 師、曰く、「一生、楽譜の勉強をつづけなさい」。西洋音楽、ことにバッハ時代とそれ以前の作曲家の作品を演奏する場合、まさにこの「音楽の解釈」に尽きるといってもいいから、ほんとそのとおりだと思う。「17 世紀と 18 世紀のあいだには、埋めがたい溝がある」とも言っていたとか読んだことがある。だからなおさら、土台となる「解釈」をしっかり構築しなさい、ということなのだろう ( → 来日公演の招聘元だった音楽事務所によるレオンハルトへのインタヴュー ) 。なおレオンハルト氏の葬儀は、現地時間 24日に執り行われるらしい。↓ は、12月12日、パリでの最後のリサイタル。



 レオンハルトが現地時間の16日に逝去する前、日本でも戦後を代表する作曲家の先生が他界された。別宮貞雄先生、享年 89。こちらは老衰というから、大往生と言ってよいのかもしれないが、かつての盟友、吉田秀和氏にしてみれば、もうすこし … という思いもあるのではと察します。米良美一さんの歌う「さくら横ちょう」は最高です。そして別宮先生の亡くなる前、松の内がとれたばかりの 8日には、なんと玉木宏樹氏まで逝かれてしまった。享年 68。まだ「向こう岸」へ旅立つには早すぎる歳です。レオンハルト氏、別宮貞雄氏、玉木宏樹氏のご冥福を心から祈ります。

posted by Curragh at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ
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