2007年09月10日

覚え書き > ミサ曲

 きのうの「気まクラ/音楽辞典コーナー」。今回は「ミ」の項目でして、「ミサ曲」を取り上げてほしいとのリクエストにこたえて、大介さんがわかりやすく解説しながらいくつかミサ曲を取り上げていました。以下は備忘録代わりの覚え書き。

 ミサは福音書にもあるとおり、イエスと弟子たちの「あたらしい契約」としておこなった「最後の晩餐」が直接の起源と言えるが、ユダヤ教の「過ぎ越しの祭」の「感謝の祭儀」、つまり子羊を供物として捧げ、それを食べるという習慣がベースになっている。だからその歴史はひじょうに古いと言える。中世のローマカトリック教会では、ミサ以外の日々の典礼は聖務日課(Opus Dei)と呼ばれ、これは詩編119:164の「日に七たび、わたしはあなたを賛美します」にもとづき一日に7(朝課 Matinsとそれにつづく賛課 Laudsを区別すれば8)回、あげる詩編唱を中心としたお祈りのこと。「ベネディクトゥスの戒律」にも明確に規定されたこともあってこの習慣は西ヨーロッパの在俗教会/修道院共同体いずれにとっても標準の典礼方式となります(ミサと聖務日課には在俗教会式と修道院式とがあり、多少の異同がある)。中世では聖務日課のひとつとしてミサが組み込まれていたが、15世紀以後、ミサと「晩課」がとくに拡充されるようになる。

 ミサはふたつの異なる儀式が組み合わさったものと理解される。ひとつは「ことばの典礼」、いまひとつは「感謝の典礼」。つまり聖書朗読中心の祈りと、イエスの「ご聖体」であるパンとワインを祝福しこれらをいただく儀式。原始教会ではじまったこのふたつの儀式は7世紀後半のローマ教皇の式次第書『第一のローマ式次第書』に規定されている内容へとゆっくり変化していった。おおまかには430年ごろローマのバジリカに導入された「入堂の詩編」、495年ごろに連祷としての「キリエ」が追加、350年ごろ賛課に採用され、500年ごろミサに加わった「グロリア」、440年ごろ導入された「集祷文」、聖書朗読とその間の詩編唱、もとは復活祭用だったが6世紀ごろ拡張され導入された「アレルヤ唱」、それと平和の祈り、奉献、感謝の祈り(400年ごろには「サンクトゥス」がこれに追加)、4世紀ごろ主祷文が採用され、聖体拝領、拝領後の祈りが加わった。もっともアイルランドやガリアではもともと地域独自の典礼方式があったので、じっさいにはこのかぎりではなく、さらに複雑な経緯をたどる。その後たびたびミサの式次第は改定されつづけたが、1545-63年にわたって開催されたトリエント公会議、また20世紀の第二ヴァティカン公会議以降は中世に執行されていたミサ式次第とは別物といって言いくらい変化している。たとえばトリエント公会議では中世のミサでさかんにあげられていた「続唱 Sequentia」が4つを残してすべて廃止されたり、既存聖歌を独自にアレンジして追加した歌詞であるトロープスも廃止され、式次第も簡略化された。また第二ヴァティカン公会議以降、ミサはかならずしもラテン語でおこなわなくてもよくなったり、信徒もルター派のように「二重陪餐」、つまりパンとワインの両方をいただくことが可能になった(ふつう二重陪餐は司式者である司祭のみ)。

 ミサと音楽の関係も初代教会からつづく古いものではあるが、教皇大グレゴリウス1世による典礼整備以後、おおざっぱに「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる「単旋律斉唱聖歌」が普及したらしいが、8世紀以前のことはほとんどなにもわかっていない。教会につきものの楽器オルガンは、英国の記録によるとすでに8世紀ごろから教会の典礼に加わっていたという(はじめ聖歌隊の伴奏楽器にすぎなかったオルガンにもしだいに合唱曲を模倣した独奏曲が作られるようになる。最古の作品としてアルノルト・シュリックの「マリア・ツァルト」が知られている)。楽譜資料としては11世紀以降、ネウマ譜つき「ウィンチェスター・トロープス集」や「シャルトル写本」などが現存最古のものとして知られ、前者の写本は2声の単純オルガヌム曲が160以上も収められている。一説にはこれらオルガヌムの起源は北フランスのクリュニー派修道院ではないかという。

 ミサには不変のテキストである「通常文」と、祝日や教会暦、地域によって変化する「固有文」とがあり、前者には本来連祷の一部をなしていた「キリエ」、「グロリア」、11世紀以後異端ではないという宣言として採用された「クレド(ニケア信経)」、「サンクトゥス」、「アニュス・デイ」。固有文としては「入祭唱(Introitus)」、「昇階唱(Graduale)」、「アレルヤ唱」、「続唱(Sequentia)」、「奉献唱(Offertorium)」、「聖体拝領唱(Communio)」などがある。ミサ通常文でもっとも古いと言われているのが「サンクトゥス」で、4世紀にはすでに斉唱聖歌として成立していたという(→Kenさんのblog記事にたいへんくわしく書いてあるので紹介しておきます)。

 また中世のミサでは司式者である司祭・助祭・待者のグループとほかの聖職者・共唱団(聖歌隊)とがべつべつの詩句を唱えたり歌ったり、アンティフォナやレスポンソリウムのような交唱型聖歌を歌ったことなどから、全員がいっせいにおなじ音程で歌う斉唱聖歌からしだいに多声音楽的なハーモニーの絡みあう形式に典礼音楽の重点が移っていたと思われる。これには民間に流布していた俗謡が侵入したためという説もある。12世紀、ヨーロッパ大陸の各都市に競い合うようにしてつぎつぎとゴシック様式の大聖堂が建てられていったのとちょうど同時期、「ノートルダム楽派」のペロタンや後継者ギヨーム・ド・マショーといった初期多声音楽の作曲家たちが活躍、聖堂の豊かな残響効果を生かしたオルガヌムを多数作曲。そのうちマショーははじめて個人でミサ通常文に曲をつけた…(マショーはランス大聖堂の参事会員でもあった)。

 このへんからミサ曲というジャンルが確立され、以降多くの作曲家が「ミサ通常文」に曲をつけて教会に献呈するようになったと言っていいと思います。とはいえミサの歴史、さらにはミサと音楽とのかかわり…というのは複雑きわまりない、ひじょうに込み入った歴史なので、きちんと学ぼうとしたらそれこそ何十冊も目を通す必要があります。ここに書いたのはあくまで「落穂ひろい」のたぐいです。

 この際なのでミサついでにいくつか。中世の個人の寄進による礼拝堂(chantry)や大聖堂内陣には複数の祭壇があったりする。当時ミサにあずかったのはほとんどが司祭など当事者で、みんな司祭だから、それぞれミサをあげては自分で聖体をいただいていたため、複数の祭壇が必要になった。そして当時の石造りの大聖堂はどこも、分厚い仕切り壁で内陣・共唱者席と身廊とを仕切っていたので、お祈りに来た一般信徒は仕切り壁(screen)のむこう側でなにをやっているのかさっぱりわからなかった(会衆も参加してともに賛美歌[コラール]を歌うようになったのはもちろんルターなどプロテスタント教会から。それ以前のローマカトリックでは一般信徒は壁の反対側にいる司式者の唱える意味不明なラテン語の退屈な祈りを聞き、聖歌隊の歌をじっと聴くだけだった。また当時は現在のように信徒席もなくて、立見)。なのでご聖体を拝みたくてしようがないうしろの一般信徒にもよく見えるようにと、祝福されたご聖体を「高く掲げる」という行為がパリのノートルダム大聖堂からはじまった。「聖体奉挙」で思い出すのがローマ教皇庁付きオルガニストだったフレスコバルディの「聖体奉挙のためのトッカータ」。本来のミサ曲では「ベネディクトゥス」が入るべきところを、自身のオルガンの妙技を披露するためにわざとオルガン独奏曲に差し替えたらしい。またミサ曲は一般信徒に、司式中もっとも重要な「聖体奉挙」と「聖体拝領」とに注目させるという重要な役割も担っていました。ついでに司式者の司祭の祭服は、信徒側の「背中」に派手な凝ったデザインが施されていた。これは司祭がつねに祭壇のほうを向いてミサをあげる、「背面式」だったため。いまはもちろんそんなことはない(内陣と身廊とを隔てる仕切り壁についてはヨークミンスターを撮影したこちらの動画を。ダイアナ妃の葬儀が行われたウェストミンスター・アビイにも仕切り壁がありますね。英国の大聖堂にはいくつか独特の種類、「大聖堂修道院」とか「司祭参事会聖堂」とかがありますが、こちらについてはまたの機会に書く…かも)。

 職業音楽家の雇用が盛んになったのはトリエント公会議以降から。中世末期には大聖堂を管理運営する参事会員たちも雑事に追われ忙しくなり、ミサやそのほかの典礼に必要な音楽を俗人音楽家や俗人聖歌隊員にもっぱら一任するようになった。つまり聖職者と音楽家との専門分化がはじまった(もっとも早くこの方式を採ったのが多忙なローマ教皇庁の聖職者たち)。このように見ていくと、西洋音楽の発展はつねに教会とともにあったわけです。

 …ミサ曲の解説のとき、大介さんが最後に紹介したのがかの有名なフランクの「天使のパン」。ということで、この覚え書きもその曲で締めたいと思います。歌っているのはセントポール大聖堂聖歌隊員時代のアンソニー・ウェイ。

 Panis Angelicus

 Panis Angelicus,  天使のパンは
 fit panis hominum  人のパンとなり、
 Dat panis coelicus  天からの糧は形あるものに変わらん。
 figuris terminum  おおなんとかたじけなきこと、
 O res mirabilis!  主の御身体を
 Manducat Dominum!  貧しき者 卑しき僕が
 pauper, pauper, servus et humilis!  食すとは!

(注:歌っているラテン語の発音は現代イタリア語に近い、いわゆる「教会ラテン語」式で、古典時代のラテン語の発音とはちがいます)



posted by Curragh at 22:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽関連
この記事へのコメント
こんばんは。

ミサについての詳しい解説参考になりました。
私自身、調べようにもここまで調べられるかどうか・・・

「大聖堂修道院」、「司祭参事会聖堂」についてのお話も楽しみにしています。

また、ご紹介されておりますyoutubeの動画も楽しませていただきました。
関連リンクを辿って行きましたら、チェンバロの動画が意外にも多くて驚きました。

Posted by Klavier at 2007年09月12日 21:01
Klavierさま

コメントありがとうございます。m(_ _)m

音楽好きにとってもYouTubeは、もはや無視できない存在ですね。玉石混交の感は否めませんが、「なんでも見たい」という欲張りなほうなので、プロ・アマチュア問わずにこれだけ豊富にそろっているのはやはり驚きです。オルガンでは、なんとヴァージル・フォックスまでありました。

バッハの「ドリア調トッカータ」を弾いている人の動画を紹介しましたが、あとでプロフィールを見てみたら、なんと17歳の若者でした(意外と若かった…失礼)…オルガンを習い始めて2年半くらいであれだけ弾ければたいしたものだと思います。チェンバロ演奏も、デュフリの「ラ・フォルクレ」とかいろいろ見かけました。

http://jp.youtube.com/watch?v=zDM8BHzwTeU

アンソニーの動画については著作権問題が気になるところではありますが、BBCはYouTube側と権利関係については取り決めにもとづきいちおう決着しているようなので、紹介しても大丈夫だろうと判断しました。

記事を書くに当たっては手許の文献やコピーにあたりましたが、もしなにかあきらかな誤りがあれば指摘してください。

…アレッドは愛息を聖歌隊員にする気はないのかな…?
Posted by Curragh at 2007年09月15日 05:39
「天使のパン」
私が数年前に書き残したメモには

1860年にセザール・フランクよって書かれた「天使の糧」。
聖体拝領のときに歌われる典礼文。
"天使のパンは人々のためのパンとなる
聖なる守護者より与えられしパン
あらゆる恵みの極み"
原語はラテン語。

と記していました。
このメモ、『人形制作ノート』の最初のページにおまじないのように書いていました(笑)。
Posted by maquis at 2007年09月16日 19:32
maquisさん

「天使のパン」は本来は「ミサ曲 イ長調」の一部で、原詩はあの聖トマス・アクィナスみたいですね(ちなみにアクィナスはその体型から、「鈍牛」と呼ばれていたとか)。

フランクの作品では一連のオルガン独奏コラールや、有名なヴァイオリン・ソナタも好きです。

…聖歌つながりでは、いまさっきこんなサイトを見つけました↓

http://www.ni.bekkoame.ne.jp/je1emu/Sacred.html
Posted by Curragh at 2007年09月16日 20:14
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