ところで「テスト目的」で木村氏が使ったという国産初の 35mm カラーフィルムって、どこのメーカーの製品なんだろ … 老舗小西六の「サクラカラーリバーサル」あたりなのかな … そのへんはよくわからないけれども、ASA ( 現在で言うところの ISO 規格感度 ) 10 というのは、これもまた信じられないくらいの超低感度フィルム。自分のこれまで使った最低感度はこの前破産してしまった、あの Kodak の Kodachrome 25 で、ISO 感度 25 というもの。これだってピーカンで絞りこむととたんに 1/16 秒という低速シャッターに落ちこみ、「玉の暗い」レンズだと手持ちで撮るのもむつかしい。夕暮れ時なんかとくに … それを木村氏は、たとえばコンコルド広場越しに望むエッフェル塔なんかを手持ちのスナップでバシっと撮っている。使用していたライカの標準レンズが開放F値 1.5 くらいの「ひじょうに明るい」玉だったから、こういう離れ技ができたんでしょうなあと、へたの横好きな写真撮りは思うわけ。それにしても「サクラカラー」って懐しいな。幼かったころ、フジカラーの緑の紙箱よりサクラカラーの紙箱のほうが印象に残ってるし。
生々しいと言っていいほどパリに暮らす市井の人々の生き様を、国産初のカラーフィルムでみごとにスナップした木村氏の作品は、当然のことながらいまとなっては当時のパリを知る貴重な記録です。で、見ているうちにふと思い出したのが、今日が誕生日のジャン - ウジェーヌ・アッジェという写真家。アッジェは 18 x 24 cm の単純なヴューカメラ、つまり大型の蛇腹カメラで撮影したと言われています。当時はまだシートフィルムもなかったので、重くて割れやすいガラス乾板でした。感光剤の感度も低いし、レンズ性能もあまりよくなかったため、太陽の光がいちばん強い午前のうちにパリの街角を撮影していたらしい。とにかく生活のために、依頼された写真を計画的に撮影していったアッジェ。パリの近代化とともに見捨てられていく風物や庶民の姿を透徹したカメラアイで記録しつづけた人でしたが、晩年はパンとミルクと砂糖しか口にしなかったらしい。貧困のうちに 70 歳で亡くなるまで、なんと 8千点もの作品を残しています。簡素なカメラと「あおり」技法 ( 建物の歪みを取る「フロントライズ」 ) だけ、露出計もなしというまさしく必要最低限の機材しかない不便極まりない撮影だったにもかかわらず、アッジェの名は第三共和政時代のパリを克明に記録したこれらガラスネガとともにこれからも語り継がれるのではないかと思う ( → 関連記事 ) 。
写真といえば、たいぶ前に地元紙に連載された「イメージの奥へ / 写真の自由な読み方」という記事も印象に残ってます。とくに土田祐介という 1981 年生まれの若い写真家の方の「display」という作品シリーズの一枚なんかは。おなじ空間を共有していながら PC のディスプレイ画面の向こう側にしか関心がないかのような 21 世紀に生きる現代人の生態を切り取ったもので、評者の大竹昭子さん曰く「まるでそれぞれが見えない壁に囲まれた個室に入っているような同一感がある」。いまじゃもっとすごいことになっていて、「歩きスマホ」は評者の言い方を借りれば「体は歩いているのに、頭と心はそこにあらず」という一種の精神分裂状態、ってことになりますな。この作品、フィルム撮影なのかデジタルなのかは知りませんが、作者は「煌々と光るディスプレイの向こう側への没入」を強調するため、画面を白くトバすという「加工」を施しているという。昔ながらのアオリ技法もいまではミニチュア効果としてだれでもかんたんに「加工」できてしまうし、アタマの古い自分なんか、デジタル時代の写真はどこまでポストエディット、ないしは「撮影後加工」が許されるんだろうかという気もしてくる。かんたんにいじれるようになった反面、それらがほんとうに現実を切り取った写真作品と言えるのかどうか。いままで以上に問われる問題かもしれない。
そういう色眼鏡で見てしまうためなのか、半世紀以上も前に感度 10 で試行錯誤の繰り返しで撮影されたカラー作品の迫真性、臨場感をどうしてもつよく感じるのでした。… ってそういう自分もコンパクトデジカメでお茶を濁すようになってしまったが。でもたとえばカラーリヴァーサルの「微妙な色再現性の差」というアナログな特徴を売りにしたような高級コンパクトタイプもフジフイルムから出ていたり、またべつの意味でおどろきの「ブローニー判デジカメ一眼」というのもげんに発売されていて、個人的にはデジカメの「正しい」進化だと思いました ( 笑 ) 。
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