2012年03月10日

Missa in Angustiis

 'Kyrie eleison!' 「主よ、憐れみたまえ ! 」。

 「ミサ通常文」テキストは、このギリシャ語で開始されます ( なんでここだけギリシャ語のラテン語読みなのか、についてはよく知りませんが。原語表記では 'Κύριε ἐλέησον.' ) 。ギヨーム・ド・マショー以来、このテキストにはいろんな作曲家が曲をつけてきました … 高校国語の教科書に、精神科医だった神谷美恵子女史の「なぐさめのことば」というエッセイが載っていて、出だしがいきなりこのギリシャ語、しかもバッハの「ロ短調ミサ」の言及ではじまっていたことも思い出す。

 先週末、こちらの演奏会に行ってきました。… しばらくのあいだこの手の演奏を聴きに行く機会がなかったもので、楽しみにしていました。プログラムはヨーゼフ・ハイドンの通称「ネルソン・ミサ Hob.XXII-11 」と呼ばれる 'Missa in Angustiis' 、「不安な時代のミサ」という、なんとも意味深長なタイトルの作品と「テ・デウム」、そしてW.A.モーツァルトの器楽作品「教会ソナタ」が4 つ ( KV, 244, 67, 69, 336 ) でした。

 鎌倉のカトリック雪ノ下教会を本拠地とするこの少年合唱団および男声合唱団については、だいぶ前にも書いたから繰り返しませんが、もうすぐ 5 回目の欧州演奏旅行に出発するとのことで、今回はそのプレ公演。演奏旅行先は前回とおなじくポルトガルとスペインが中心らしいですが、400 年以上も前の「天正遣欧少年使節」ゆかりの地を巡る、というのはなんとすばらしいことだろう、と思う。

 今回のプログラムは「不安な時代のミサ」と「朝課」で歌われる「テ・デウム ( 汝、神を ) 」といったハイドンの宗教声楽作品がメイン。しかし浅学のわが身は寡聞にして前者は聴いたことなし。「名曲のたのしみ」でかかったことあったかな ? とアタマをひねったりしつつも、いまにも泣き出しそうな、いや雪でも降りそうな寒空の下、「カトリック大船教会」とか大船小学校裏とか、前回とは反対の南側のルートを通って会場へ。「大船市場」なんてのがあるんだ、新鮮な野菜がいっぱい、人もいっぱい。

 冒頭には近現代イタリアの作曲家ロレンツォ・ペロージという人の男声合唱のための「三声のミサ」という作品が弦楽合奏つきで演奏されました。男声合唱団のほうは OB で構成されているらしいんですが、グロリアの変声した子もちらほら混ざってました。でもその一糸乱れぬあたたかいハーモニーに、まず心動かされました。つづいてモーツァルトの4 つの教会ソナタが演奏されまして、こちらはまたもやうれしいことにチェンバーオルガンも加わってまして、とくにオルガンの速いパッセージが活躍する楽曲はすばらしかった。「テ・デウム」というのは真夜中の日課である「朝課」のおしまいに歌われる散文の賛歌で、アングリカンではおもに午前の祈り ( Mattins ) において「詩編 100 番 ( 'Jubilate' ) 」とともに歌われることが多い。プログラムを見てはじめて知ったけれども、作詞者はあのミラノ司教聖アンブロジウスで、「愛弟子の一人に洗礼を授けるために即興で」作ったんだとか。One is never too old to learn!

 この「テ・デウム」と「ネルソン・ミサ」、率直に申しあげて名演! でした。プログラム冒頭の 三声のミサといい、なんというか、たいへんな集中力を感じました … とりわけ出だしのフーガ風につづく「キリエ・エレイソン ! 」には。大人の独唱者やコーラスを支える室内オケ ( とオルガン ) の演奏もそうなんですが、年少さんから年長の団員、そして男声合唱にいたるまで、まったく破綻のない、ハイドンの音楽と渾然一体となったかのような、演奏という介在をいっさい感じさせない演奏でした。少年合唱も文句なしです。ひさしぶりにこの手の生演奏を聴いたせいか、ちょっと鳥肌ものでした。「ネルソン・ミサ」後半の、たぶん「ベネディクトゥス」あたりだったと思うが、たたみかけるようなフーガ風合唱など、じつに感動的でした。

 ここですこし脱線だが … 演奏中、ハイドン作品に聴き入っているとき、ふと聖アウグスティヌスや聖ヨハネス・クリュソストモスの語ったとされることばを思い出していた。『告白録』だったか、アウグスティヌスは「歌詞そのものより、その歌の旋律に心動かされるとき、わたしは重大な罪を犯したと告白する」と言い、クリュソストモスのほうは「かくして悪魔はこっそりと町に入り火をつける、ありとあらゆる悪意に満ちた歌でいっぱいの、堕落した音楽によって ! 」と、もっと過激なことを言っている。これらの発言を見ますと、キリスト教と音楽って切っても切れない間柄、と思ったら初期教会時代はそうでもなくて、むしろ敵視されていたような空気さえあったらしい。でもそれが中世に入ると、単調な単旋聖歌ばかりだった教会音楽に、阿部謹也氏ふうに言えば「俗謡の侵入」によって、ノートルダム楽派をはじめとする初期多声音楽の華が開き … というふうに展開し、オルガンや金管楽器が加わり … フランドル楽派やヴェネツィア楽派が花開き、北と南の流派がまるで川が海に流れこむかのごとくバッハへと流れこむ、ととりとめなく思っていた。音楽を敵視した教父たちの気持ちはわからないでもない。音楽にはたしかに気分を高揚させるという点で、ちょっと危なっかしい魔力がある ( 中世の遍歴楽師は「悪魔の使い」扱いだった ) 。マンロウとかのゴシック期の音楽、とくに「俗謡」のたぐいの音源を聴いてみればびっくりするくらいアップテンポな、これほんとに中世西ヨーロッパの音楽なの ? と疑いたくなるくらいモダンな音楽だったりする。でも教会側はけっきょく、「愚者の祭り」同様、こうした世俗の音楽の力には抗いきれず、うまく懐柔して日々の典礼に取りこんでしまう道を選ぶ。かくしてわれわれはいま、こうしてすばらしい音楽遺産の数々を、「生きた」演奏として享受することができる。やっぱり音楽ってすばらしい。人の歌声ってすばらしい。「人はパンのみに生きるにあらず」、その「精神の糧」がなんであれ、人はやはりこういうものがないと前には進めないものだ、という思いをあらためて強くしたしだい。歌詞の意味は、もちろん知っているほうがいいとは思うが、そんなにこだわらなくてもいいと思う。奏でられる音楽というのは、ことばの境界線をあっさり越えて、聴く者の心に「じかに」響くものなのだから。そこが音楽の力のすばらしいところ。

 … 最後になりましたが、演奏旅行のご成功を祈願して。

posted by Curragh at 23:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽関連
この記事へのコメント
curraghさま、ご無沙汰しております。
演奏会にお越し下さったばかりか、温かいレポートありがとうございます。
子供たちは、明日ヨーロッパに向けて旅立ちます。
渡航先では、それぞれに子供たちの来訪を待っていて下さるようです。
スペインのトレド大聖堂は、公式サイトトップにコンサート予告を載せてくださっているほどです。
http://www.catedralprimada.es/
11日間、親や学校の友人たちと音信不通になって、
見知らぬ土地で生活し、演奏する経験は、
きっと彼らを成長させてくれることと思います。

今後とも、温かく見守っていただけたらと思います。
Posted by かれん at 2012年03月23日 14:17
かれんさん、

すばらしい演奏旅行になるといいですね! きっと一生の思い出になると思います。

のちほどそちらの新ブログ ( かな ? ) にも、お邪魔させていただきますね。
Posted by Curragh at 2012年03月25日 01:41
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