2012年03月11日

Unsettling of Japan ??

1). あの日から今日で一年 … になりました。

 わたしはあのとき ( 金曜日 ) 、たまたま非番の日だったので、「英国王のスピーチ」という映画を観に行っていた。ベートーヴェンの「7 番」やモーツァルト、チャイコフスキーなどのクラシックの名曲が効果的に使われたすばらしい映画でしたが … 帰宅してやや遅いランチを食べた直後、ちょうど「気まクラ」の再放送のときに「緊急地震警報」がけたたましく鳴り響き、あの恐ろしく長い地震動がはじまった。

 わたしはボランティアにも行ってないし、奥尻のとき ( 1993年7月の「北海道南西沖地震」 ) ほど義援金を寄付したわけでもないけれど、ここ数か月の動きを見ているとどうもヘンだと感じてしまう。Something is wrong!

 たとえばいまごろ、という感じで恐縮だが大量の「がれき」処理問題。これは、その件の報道でなんだか全国区みたいになった島田市にかぎらない。いろいろ手続き上の問題とかあるにせよ、「広域処理がないかぎり先へ進めない」被災自治体の苦しみが、どうしておなじ国の国民なのにわかろうとしないのか。島田市長が処理を決めたがれきというのは、べつに爆発した原発のすぐ近くとか、警戒区域とかそんなところじゃない。はるか北、岩手県山田町と大槌町の分で、ほとんどが木材。それなのに、焼却場や最終処分場のある地元自治会だかの関係者を現地にまで連れて行ったりしたあげく、ようやくその人たちも事の重大さに納得 ( ? ) したのか、ここにきて正式受け入れの運びになってきた。それはたいへん喜ばしいことだけれども、どっかの政府与党同様、決定に時間がかかりすぎる。もっともこれにはなんだか素性のよくわからん市民団体だかが声高に受け入れ反対の声をあげていた事情もあったようですが … 自分の見たかぎり、地元紙報道にはあんまりその「県外の市民団体」なるものについて報道はなかったと思う ( そのへんどうなってるの ? > 地元紙殿 ) 。また地元紙の「読者投稿欄」には当初、受け入れ消極派の意見が多かったけれども、ここにきてやおら「受け入れすべし」派が多くなった。… はやく自分の住むところもできる範囲内でいいから、受け入れてもらいたいところです。風評被害 ? そういうこと言う人の気が知れない。被災地がたとえば首都の東京だったらどうでしょうか。強引にでも復興を進めるんじゃないですかね。想像力があまりにも欠如しているのではないですか

 放射線 … については、そりゃたしかに怖いですよ。でもがれきは数十万もする正式な検査機材使って計測しているんだし ( 前にも書いたが、素人計測はあんまり当てにはならない。あくまで参考ていど ) 、いつだったか問題視されたダイオキシンのほうがよっぽど体に悪いですよ。当事者の東電は当初、第一原発から「撤退」しようとして、それを知った米国の政府高官がびっくり仰天していたらしいけれども、東電と同様まるで当事者意識のない政府もそうだが、みなさんはやくも「国難」意識が風化しはじめたのでしょうか ? これでは被災地はたまらない、と思う。*

 もちろんそんなことはない … と信じたい。きのう見た NHK の特番では、その大槌町の「地場産品復興プロジェクト」のことが放映されていて、すなおに感動した。個人と個人とを結ぶ IT テクノロジーの使い方のすばらしい例、と言えるかもしれない。なによりも心動かされたのは、「お返しの新巻鮭はいつでもいいから、この活動をつづけてほしい」という応援メッセージの数々。銚子電鉄の「ぬれ煎餅」じゃないけれど、こういう支援のしかたって 10 数年前まで考えられなかったこと。

2). … 政府の原発および震災対応、そして弛緩しきった国会審議のていたらくぶりを見せつけられてはいるものの、さりとて政治家だけ、縦割りお役所組織だけを批判するのは木を見て森を見ず、かもしれない。卑見では、こういう窮状に陥ったのは、ひとつには既得権益組織の力が大きすぎていたことにもあるように思う。以前から感じていたのですが、「組織票」というやつですね。農協の組織票とか、労組の組織票とか。そういう一部の人の利益を代表する候補ばかり、あるいは「後援会組織」に支えられた「世襲」議員とか、そんな代議士が多く当選することが常態化してしまったことに原因のひとつがあるように感じる。それゆえ長らくつづいた自民党政権時代のように、「擬似政権交代内閣」がえんえんと繰り返されてきたのではないかな。個人の一票などではとうてい政治の風向きなんて変えられないし、あるいはだれがなったっておんなじさ、というアンニュイな倦怠感が一般の有権者に蔓延して、あるいはただたんに投票に行くのがめんどくさくて投票率がいっこうに上向かない、この繰り返しで国民全体が一種の思考停止状態、エゴ丸出しのマイホーム主義、てんで勝手なことし放題で気がついたらとんでもないことになっていた、という気がしてしようがない。

 将来を担う子どもたちのことを考えると、震災と大津波だけでも「もうたくさんだ」と思うし、原発事故については完全に人災でやはり申し訳ない、とは感じるけれども、かつて幸田文が『崩れ』で有珠山噴火について書いていたように、子どもたちにはこれをバネに飛翔するだけの強靭な精神力がある、と信じたい。被災した若い人たちには、「地元の役に立つ人間になりたい」とか、じつに頼もしい決意を述べられる人が多いというのもまた事実。意識の風化 … なんてとんでもない。「国難」は、まだ終わっていません。

 また今回の震災で痛感したのは、やはり自然は予測がつかないもの、ということ。高橋ジョージさんだったか、「ヘルメットをかぶって床に就く」くらいでなきゃダメかと。そこまで徹底していなくても、つねに意識しているだけでもちがうかと思う。あんまりそんなことばかり考えていたら、神経症になってしまうが。それと以前、名優高倉健さんが「宝物」として持っていたというあの「水を運ぶ少年」の近況もこの記事で知りました。

 せんだって見た「こころの時代」に出ていた哲学者の梅原猛氏ではないけれど、予測のつかない自然を制御する、というのがデカルト以降の西洋流思考法、とはときおり聞く言説ではあります。で、梅原先生は向こうのエコロジストにはそういう思想ないし西洋文明を面と向かって批判する人がいない、とかそんな旨を発言されていた。でもよくよく見てみるとエコロジー派の人でそんなこと言っている人はたしかにあまりいないかもしれないが、たとえばアーミッシュのように昔の「山川草木」を愛した日本人顔負けの暮らしを実践しつづけている共同体もないわけではない、数は少ないけれど。また、昨年読んでいい意味で衝撃を受けたウェンデル・ベリーの The Unsettling of America という古いエッセイには、ある意味こんにちのわれわれの苦境を予言したかのようなひじょうに興味深い一章がある。

 「エネルギーの使用について」と題されたその章では、ベリーが尊敬する英国の植物学者サー・アルバート・ハワード卿 ( 1873 - 1947 ) の言う「生命の輪」を引き合いに出して、米国で主流の大規模アグリビジネスによる農業は化石燃料を大量消費する「機械化」によって、利益と引き換えに深刻な破壊と汚染のみならず、食糧生産の根幹である「自然の循環」による微妙なバランスの破壊をも前提として成り立っている、と書いている。ここでベリーは農業で使うエネルギーを「生物的エネルギー」と「機械的エネルギー」とに分けて定義してまして、「機械的エネルギー」の「歯止めなき使用」をとくに問題視している。

  ―― エネルギー危機は、つまるところたったひとつの質問に要約される。技術的には可能だが、あえてそれをせずにいられるか ?  ( p.95 )

ここでもまた、「足るを知る」という日本の昔ながらの知恵に行き着いている。日本人のなかにはまさに宮沢賢治のような、あるいはベリーのような「アグラリアン」的生活を実践している人もいるとは思うが、その他おおぜいの人は ―― 宗教学者の Y 先生が言うような ―― 西洋文明、もしくは西洋のものの考え方、たとえば行き過ぎた個人主義といったものにどっぷりと浸かって数十年過ごしてきたのではあるまいか。そんな生活をほとんど無批判でつづけてきたわれわれが、これだから西洋文明的思考ではダメだ、とはとても言えまい。原発はどうですか。あれはまさしく西洋文明の申し子ですよね ? ご高説もっともながら、やはり足許から、できることから見直すことからはじめなくては、「隗よりはじめよ」でなくてはいかんと思うのです。そういえば故阿久悠さんが、「日本人は自家用車を持ちはじめてから、傲慢になった」ってなにかの本に書いているって聞きました。それは一理あるかも、と思いました。

3). 最後にやっぱり音楽について。いまさっき E テレにて放映していた仙台フィルを取り上げた番組、そして昨晩、NHK 総合で放映していた新日本フィルハーモニーの「震災当日のマーラー 5 番」公演の番組を見ますと、やっぱり勇気づけられます。音楽の持つ力だって、りっぱなエネルギーですよ。人の精神を元気づける、というエネルギーです。ことばはアタマで理解してから呑みこむものですが、ことばを超越した言語である音楽は、直接、聴く者の心に響く。とはいえことばから得られる癒しだってすばらしいパワーがあるし、精神的なエネルギーを持っています。そのことばというのはもちろん人それぞれですが、震災以降、このベリーの本もそうでしたが、やはり比較神話学者キャンベルのことばは深く深く胸に響くものがありました … 音楽と同様、自分にとって、ある意味「生きるよすが」だったかもしれない。

 震災と津波で亡くなられた方のご冥福をあらためてお祈りします。

* ... 以下、地元紙読者投稿欄からの引用。

 ―― 昨今のニュースを見ながら残念に思うのは、がれき受け入れ反対の動きです。山田町は私が住む宮古市の隣町ですが、中心部のほとんどが壊滅し、やっとがれきの処理が始まったばかりです。がれき処理が進まないと、町の復旧すらできない状況です。
 山田町は、福島から遠く離れています。直線距離で見ると島田市と大して違いはないと思います。また、放射線量が高いわけでもありません。津波被害で発生したがれきは全て汚染されているかのような受け入れ反対運動は、被災地としてはただただ悲しくなるばかりです。―― 岩手県にお住まいの会社員の方の投稿から。

 ―― 想像以上にたくさんのがれきは復興の大きな妨げになっている。その大きな壁を誰が壊すのか ? それは私たちだ。静岡県にとって地震というのは人ごとではないはず。… 私は暖かい静岡が大好きだ。だからこそ、どうか受け入れてほしい。日本の未来のために。被災地で寒さに震えている多くの人たちの笑顔のために。―― 静岡市清水区在住の女子高校生の投稿から。

posted by Curragh at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の雑感など
この記事へのコメント
問題の解決には、意思が必要である。(Where there’s a will, there’s a way).
社会問題の解決には、政治指導者の意思決定が必要である。
そこで政治指導者を選出することになるが、意思のない社会においては、個人選びは個人の意思選びにつながるはずもない。
選挙は、いわゆる地盤 (組織)・看板 (名声)・カバン (資金) による選択になり、その結果は意思を離れた家畜の品評会のようなものになる。政治音痴の原因となっている。
日本人には、意思選びができない。何回選挙をしても意思決定には手間がかかる。
党員も個人の意思そのものを認めていないのだから、民主主義も形骸化している。党内野党もできて混沌となる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
Posted by noga at 2012年03月26日 13:05
noga さん、

コメントありがとうございます。

引用先、すこし拝読させていただきました。また追ってじっくり読ませていただきます。掛川の方なんですね ! 

日本語と英語の構造のちがいについての考察は、たしかにそういうところがあるように思います。大江さんは川端をもじって 'Japan, the ambiguous, and myself' と講演しました。主語をすっ飛ばしても「以心伝心」で伝わってしまう日本語は、理路整然とした議論にはあんまり向いていないところがあると思います。印欧語族は、たとえば英語の冠詞ひとつとっても意味がガラリと変わったりするところが、言語構造じたいに理屈っぽさを与えていると思います。

日本はよくも悪くも「言霊」の国で、しかも同質を重んじる「ムラ社会 ( 近年はどちらかというと自分優先な「マイホーム主義」、いや超個人主義 ? )」というお国柄があり、かつそれにみごとに適した支配体制 ( たとえば江戸幕府時代は、見た目こそ天皇 - 将軍家という垂直構造ですが、そのじつ持ちつ持たれつの集団指導体制だったように感じています。これの現代版が官僚支配構造でしょうか ) が染みついた結果がいまの日本かも、とも感じます。

石巻の水没した漁港に佇む漁師の方が取材中の NHK スタッフにたいし、こんなことを話していたのがとても強烈な印象として残っています。「ここを以前とまったくおなじように復旧させるのにお金を使うべきではない。子どもたちの教育にこそ使ってほしい。そうすればその子どもたちがこれからの日本に貢献できるから」とか、たしかそのような趣旨のことをおっしゃっていたと思います。国会中継とか聞いていると、この老漁師の方の切実なことばがどうしても突き刺さってくるのです。

ちなみにこの国では、いまだに「どこそこの大学を出た人 = 教養も学問もある人」という幻想を信じて疑わない方がいるようです。この漁師さんを見れば、それがいかに当てにならないかがわかるのではないでしょうか。
Posted by Curragh at 2012年03月27日 00:24
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