2012年03月26日

バッハの独創性

1). とうとう昨夜の放映で往年の名音楽番組「N 響アワー」が終ってしまったよ … というか、ほんと池辺先生って駄洒落の帝王だ ( 笑 ) 。あの調子じゃ、番組がちっとも進行しませんな。最後の締めがもっともリクエストの多かったというスヴェトラーノフ指揮のチャイコフスキー「5 番」の終楽章からでしたが、ひょっとしたら「チャイさま」と崇拝しているゲストの檀ふみさんへのサービス ( ? ) もあったのか、なかったのか … でも掉尾にふさわしい演奏となりました。

 けさの「古楽の楽しみ」は、バッハだ ! なんでも今週はバッハ特集らしい。で、案内役の磯山先生はのっけからシュヴァイツァーの有名なことばを引用してました。「… かくのごとくバッハは一つの終局である。彼からは何ものも発しない。一切が彼のみを目ざして進んできた ( 白水社刊『バッハ 上巻』p.26 ) 」。でも、バッハの音楽はただ中世・ルネサンス・バロックといった「古い」時代の音楽の集大成、それでおしまい、なんてことはない。同時にその独創性ゆえに、のちの時代の音楽が発展する礎ともなっているのだ、とそんなようなことを言っていた ( まじめに聞き耳立てていなかったので、うろ覚えですが ) 。で、そんなバッハの「独創性」、つまりユニークさが典型的に現れている作品の好例として、オルガンのための「6 つのトリオソナタ ( BWV.525 - 530 ) 」が取り上げられてました。そのうちかかったのは最初の「ソナタ 変ホ長調」、2 番目の「ソナタ ハ短調」、3 番目の「ソナタ ニ短調」、そして最後の「ソナタ ト長調」から第 1 楽章と第 3 楽章。ただしこれだけリコーダーと通奏低音と右手担当のチェンバロという、演奏者の解釈による「原曲復元版」演奏でした。

 以前にも書いたけれどもこの「6 つのトリオソナタ」、なんせオルガニストひとりに 2 つの声部と通奏低音からなる室内楽ソナタを弾け、って言うんだからそんなご無体な、的な超絶技巧練習曲集なのです。もっとも以前ここでも紹介した、オランダの十代のオルガニストのような天才的な奏者の手にかかってしまうと、聴いていてこれほど楽しい作品もそうはない、と思う。磯山先生も告白されていたが、ワタシもはじめてこれを聴いた中学生のときは、「ニ短調のトッカータとフーガ」とはまるで趣の異なる、侘び・寂よろしくなんとちんまりまとまってつかみどころなくさらさら、さらさら流れるだけの作品に巨大な ? がアタマに浮かんだものなんですが、チップス先生よろしく年とってくると(when you are getting on in years ... ) 、この作品の持つすばらしさに気づかされる。当方が持っているのはプレストンにコープマン盤、それとリヒターにヴァルヒャ盤ですが、けさ聴いたロレンツォ・ギエルミがミラノのアーレントオルガンを弾いた新録音も、またいい ! と思った。ストップの配合がなんとも微妙な陰影で、右手も左手も似たような音色なんですが ( 蛇足ながら、この作品はひとつの手鍵盤だけでは弾けない。「独立した二段手鍵盤と足鍵盤を持つオルガン」用とバッハみずから指定している ) 、混濁せずにくっきりと絡み合い、じゃれあう旋律線が耳に心地よく響いてくる。このアルバムも a must buy かな。

 「6 つのトリオソナタ」は、バッハのオルガン作品としては珍しく自筆譜が残っている。長男フリーデマン・バッハの教育用だったから、当然のことながらフリーデマンによる筆写譜も伝えられている。で、これもまた以前書いたことですが、4 番目の「ソナタ ト長調 BWV.528」の終楽章は、オルガンのための「前奏曲とフーガ BWV.541 」の「初期稿」では前奏曲とフーガのあいだにはさまれるかたちで記譜されかけている筆写譜が伝えられていて、当初はこのかたちだったのではないかとも言われてます ( 筆写譜では、記譜された最初の 13 小節が抹消されている ) 。ときたま、BWV.541 もこの「失われたオリジナル版」で演奏されたりします。

 音楽ついでに … もう終わったけれども、この番組もすばらしかった。ただたんに歌詞を翻訳するだけでなく、想像の翼を広げた日本語の歌詞まで生徒に作らせるところがいい。'True Colors' って名曲ですね ! 「音楽もまた人なり」、シンディ・ローパーさんはその芯の強さをわれわれに見せてくれましたね。それにしても … 'Honesty' だの 'We're all alone' だの、懐しいことこの上なし。

2). … というわけで、本日は米国の神話学者キャンベルの誕生日だったりします ( 1904 年ニューヨーク生まれ ) 。最近、なにかにつけてこの人の著作とか思想とか言及することが多いけれども、この前自室の掃除ついでにがさごそ漁ったら、だいぶ前に録画 ( いにしえの 3 倍モード !! ) した VHS テープがいくつか出てきて、ちょうど数冊ほど著作を読んだとこだし、懐かしさもあって見てみた。「神話の力」という TV 対談は 6 回シリーズですが、掘り出せたテープは初回も含めた 3 回分。きのうは初回の「英雄伝説」をひさしぶりに視聴したんですが … やはりその天性のストーリーテラーぶりには引きこまれてしまう。トカイを飲み飲み、「銀河を十何回か転がしていけばアンドロメダ銀河まで辿りつける」という発想のやわらかさがやたら印象に残っている、埴谷雄高の独白番組もおもしろかったけれど。訳者の飛田先生も書いていたけれども、この対談が成功しているのは相手役 ( いや、生徒役 ?? ) のジャーナリスト、ビル・モイヤーズによるところが大きいと思う。そういえばキャンベル神話学を映画化した ( らしい ) Finding Joe なる映画が昨年だったか、米国の一部地域で公開されていたみたいですが、「単館系」でどっかで上映してくれないかな ? 

 書籍版『神話の力』は、かつて NHK の「海外ドキュメンタリー」で放映されたときとは話の順序が細かいところでちがっていますが、その書籍版から、モイヤーズとの対談で印象に残った箇所を引いておきます ( いまさっき「ベスト・オヴ・クラシック」で聴いた、シューベルトの「グレート」は、最高 ! でした ) 。

 ―― モイヤーズ 私はどうやって私の内なる竜を倒せばいいのでしょう。私たちが各自しなければならない旅とは、先生がおっしゃる「魂の高い冒険」とは、どういうものでしょう。

 ―― キャンベル 私が一般論として学生たちに言うのは、「自分の至福を追求しなさい」ということです。自分にとっての無上の喜びを見つけ、恐れずそれについて行くことです。

 ―― モイヤーズ それは仕事ですか、それとも生活ですか。

 ―― キャンベル もしあなたのしている仕事が、好きで選んだ仕事ならば、それが至福です。しかし、あなたがある仕事をしたいのに「駄目だ、とてもできっこない」と思っているとしたら、それはあなたを閉じ込めている竜ですよ。…

 ―― モイヤーズ そう考えてくると、私たちはプロメテウスやイエスのような英雄と違って、世界を救う旅路ではなく、自分を救う旅に出かけるんですね。

 ―― キャンベル しかし、そうすることであなたは世界を救うことになります。いきいきとした人間が世界に生気を与える。これには疑う余地はありません。生気のない世界は荒れ野です。人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。ノー、違うんです ! 生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。

 ―― モイヤーズ 私が旅に出て、竜の居場所を見つけてそれをやっつけるとき、万事ひとりでやらなければならないのでしょうか。

 ―― キャンベル 手伝ってくれる人がいるなら、それはそれでいいのですが、やっぱり最後の仕事は自分でしなければなりません。心理学的には、竜は自分を自我に縛りつけているという事実そのものです。私たちは自分の竜という檻に囚われている。精神病医の課題は、その竜を破壊して、あなたがより広い諸関係の場へと出ていくことができるようにすることです。究極的には、竜はあなたの内面にいる。あなたを抑えつけているあなたの自我がそれなんです。

… ブータンの若き国王が福島の子どもたちに語った、あのドラゴンの話を彷彿とさせるくだりですな。

追記。いまさっきちょっと調べたら、なんともう国内上映公式サイトができていたりして … 。「なぜ、映画のタイトルはファインディング・ジョー」なの ? という質問がありましたが、それはこの拙ブログ関連記事を見ればわかる ( 笑 ) 。べつに回し者じゃないけれども、閉塞という名のドラゴンに閉じこめられている感があるこの国でこの手の作品を上映するのは、それなりに意義あることだと思う。

posted by Curragh at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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