2012年08月05日

「わたしはうれしかった」

 先日、合唱大国の英国から、ほんとうにひさしぶりにケンブリッジ大学のセントジョンズカレッジ聖歌隊が来日公演するとのことだったので、早めにチケット買ってその日を楽しみにしてました。

 自分が聴きに行ったのは来日公演最終日のサントリーホール公演で、なんとまたおあつらえ向きに「祈りの歌」と題して、セントジョンズの礼拝堂で毎日あげている「夕べの祈り ( Choral Evensong ) 」を「再現」するという趣向のプログラム、とあっては、聴き逃すわけにはいかない。

 当日は覚悟していたわりには ( ? ) 拍子抜けするほど酷暑でもなくて、ほんとにひさしぶりに ―― よく地下鉄の出口の番号を覚えていたもんだ ―― サントリーホール前の「カラヤン広場」にたどり着くと、いまやすっかり成長したホール屋上庭園の緑の樹々から、さわやかな風が広場へと吹き抜けてました。

 コンサートはバードの「5声のためのミサ」から「キリエ」、「グロリア」、「サンクトゥス」、「神の子羊」が歌われたんですが、シュヴァイツァーのことばじゃないけれど、のっけからコンサートホールの空間がまるで彼らの礼拝堂へと変わってしまったかのような錯覚におそわれた。まるで天上から降り注ぐかのような清純かつおごそかそのもののハーモニーと響きにやわらかく包まれた。… ア・カペラの多声合唱が進行するにつれ、なんだかほんとに天に引き上げられるかのような感覚さえおぼえた ( 最後の曲を締めくくる 'A-m-e-n' なんかはとくに ! ) 。こんな感覚はまったくひさしぶりだ … これとおなじような感覚をおぼえたのは、2003 年暮れのオックスフォード大学ニューカレッジ聖歌隊公演以来だ ( 奇しくも場所はおなじサントリーホール ) 。ハイドンの「小オルガンミサ」ではなんというか、いかにもハイドンらしい愛らしさが感じられるような軽やかな調べをこれまたぴったりなレジストレーションによるオルガン伴奏とともに堪能し、そのままひきつづいて演奏されたモーツァルトの名曲にしてワタシのもっとも愛好するモーツァルト作品、「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618」は、演奏者と聴いているわれわれ聴衆とが心ひとつに祈るような、そんな一体感に満たされた。これぞ至高の、至福のひととき。もうほかになんにもいらない、そんな感じ。前半最後のゾルタン・コダーイの「グロリア ( 「小ミサ」から ) 」では一転、なんともパワフルなコーラスとオルガン伴奏が気持ちいいくらいの快演。ピアノからフォルテまで、なんとすばらしくバランスのとれた聖歌隊なのだろう。「どうだッ ! これが 400 年近い長い伝統を持つ聖歌隊の合唱だ ! 」といった貫禄がびんびん伝わってきます ( 聖歌隊のそもそものルーツは、1511 年にまでさかのぼるらしい ) 。といっても、これは一方的な演奏解釈を押しつけられるというたぐいのものでもありません。じつに自然体なのです。演奏という介在を忘れさせてくれる演奏。プログラムを見ると全 7 公演のうち、かぶってない作品のほうが少ないくらいで、パーセル、パレストリーナ、バッハ、ブラームス、パリー、ラフマニノフ、ペルト、ブリテン … とじつに多彩です。これだけ幅広いレパートリーを歌うというのだから、これはすごい。

 英国の聖歌隊公演ではおなじみの感ありのオルガン独奏では、大クープラン若かりしころに作曲した「修道院のためのミサ」から「プラン・ジュ」、「クロモルヌのレシ」、「ディアローグ」など何曲か、そして近現代のフランスの作曲家でオルガニストのモーリス・デュルフレの「『来たれ、創造主なる聖霊』によるコラール変奏曲」。クープランのほうはオルガン本体のコンソールから、デュルフレのほうはステージ上の、いわゆる「移動式コンソール」から演奏。オルガンスカラーのお兄さんはいつものようにふたりいて、演奏と譜めくり / ストップ入れ替えを交替でおこなってました ( 移動式演奏台のストップは完全電気式なので、点滅する押しボタンスイッチ型。以前 NHK で見たアンドレ・イゾワールのリサイタルではボタンの接触が悪かったのか、演奏者があせって何度か押しまくっていた ) 。

 休憩後の後半、のっけからスタンフォードの「マニフィカト」、ハーバート・ハウエルズの「主よ、いまこそ我を ( 'Nunc Dimittis' もしくは「シメオンの頌歌」。アングリカンではこれらふたつの曲をあわせて「サーヴィス」と呼び、ワンセットで演奏される。 )」。

 しかしなによりも文字どおり耳目を引いたのは、ジョナサン・ ハーヴェイという人の「来たれ聖霊」でした。最初は単純な単旋聖歌ではじまり、それがやがてポリフォニックに複雑にからみあい、と思ったそのとき、いきなり隊列を崩してコリスターの子どもたちが、つづいてお兄さん団員たちがてんでばらばら、ステージ上を譜面持ったまま歩き出して歌い出すではないですか ! … そのときは呆気にとられて見守っていただけだったが、後日 FB の公式フィードを見たらああそうか、作曲家はここで「使徒言行録」の記述*を再現しようとしたんだということが判明。なるほど ! たしかに西洋の修道院では歩きながら観想、という習慣は寡聞にして聞いたことないから、そういうことだったんだな。とはいえ歩きながらそれぞれのパートを歌う、というのは技術的にはひじょうにむつかしいはずです。というわけで会場からもひときわ大きな拍手があがってました。

 つづいてジョン・ゴス、レイフ・ヴォーン-ウィリアムズ、エルガーなどの英国の聖歌隊ではおなじみの作曲家の聖歌作品が歌われました。「主よ、慈悲深くあられ」というアングリカンチャントははじめて聴いたけれども、なんとも心に染み入る、じつに美しい調べでした ( なおプログラムに記載のあった Cantoris と Decani については、トレブルパートがふたつに分かれるとき、通常はカントリスが高いパートを、デケイナイのほうが低いパートを歌うようです。礼拝ではカントリスは北側の聖歌隊席、デケイナイは向かい合った南側の聖歌隊席を占める ) 。'What sweeter music than a carol ... ' という曲もあるけれど、こちらも負けずに sweeter でしたね。最後のエルガーは、ふたたび大地揺るがすごときフルオルガンとコーラスの圧倒的な響き。MAN ALIVE !! とまたしてもわけわからん叫びを上げたくなりましたよ。当然のことながらやんやの拍手喝采とブラヴォーの声にこたえてアンコールが、しかも3 つも !! うちひとつはなんと「赤とんぼ」でした。

 しかし … 至福のときというのは、なぜにかくもあっという間に過ぎ去ってしまうんだろうか ( Time flies ... ) … ニューカレッジ公演でバーバーの「アニュス・デイ」が歌われたとき、ぞくぞくっとする感覚をおぼえたものですが、あのとき以来、ひさしく味わってなかったあの感覚がまさにセントジョンズカレッジの歌声に接して甦った。このようなコンサート開催実現に向けて尽力された方々に心からお礼を言いたいくらいです。そしてもちろん、この猛烈に暑い時期に来てくれたコリスターたちや若いオルガニストたち、指導者のアンドリュー・ネスシンガ先生 ( 父親がエクセター大聖堂オルガニストで、自身そこのコリスターだった人 ) に、心からただただ感謝。

 … 今回の公演を聴いてあらためて思ったことはやはり、音楽の力、芸術の力のすばらしさ、ということだった。これはあの空間を共有したすべての人がそう感じているんじゃないかと思います。

* ... 「使徒言行録」2:3 - 4 、「… そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊" が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。

posted by Curragh at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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