で、だいたいどんな作品なのか、おぼろげながら全体像が見えてきた。以下は一門外漢による report in progress, 中間報告的な備忘録。
1). 当初、『西方風の語り』こそ、『フィネガン』の先駆ではないか、と思っていたけれど、内容的には徹底的な諷刺が散りばめられている『マッコングリニの夢想 ( 成立時期は 11 - 12 世紀 )』のほうがより『フィネガン』に近いかも。でも「かばん語」やら新語 ( ? ) やらを武器に、「当世風」とされていたローマのラテン語語り ( アウソニア風という言い回しを使っている ) のもつ歯切れの悪さや華美で婉曲な言い方を攻撃するという趣旨の話 ( 話というより、いくつかの韻文が不完全なかたちで残されたもの ) であり、ヘブライ語やアラビア語起源のことばがむりやり ( ? ) ラテン語化されて出てくるところなどはどこか『フィネガン』を生んだジョイスとも通底するのではないか、ある意味通奏低音となって現代の「英語で書かれた」アイルランド文学にも響いているのではないか、という印象はやはりあります。
2). 筋立ては、いまふうに言えば「ことばのレスリング」みたいな話。あるときアイルランドの修道院にやってきた流暢な「アウソニアの語り」を口にする賢者一団と、それを追っかけて鼻にかけている若者。その集団に対抗せんとして、こちらもまだ年若い学僧もしくはその見習いが「西の語り」、つまりヒベルノ ( 島嶼 ) ラテン語で応戦して、高慢ちきな相手のハナをへし折ってやろうとする。そうして作った謎めいた韻文がいくつか収録されている、そんな内容だと言っておきます … まだ手許の資料すべてに目を通していないから、この記事は今後しばらくは改訂する予定。一説ではこれのほんとうの原作はスペイン人修道士が書いたもので、のちにアイルランドに「留学」していた修道士ないしは写字生 ( 学僧 ) が翻案したものが現在残っている文書、だという。テクストは A から D まで 4つの稿本があるらしい。成立年代は思いのほか古くて、650 - 667 年ころで、これはちょうど『ダロウの書』が制作されたのと同時期、ということになる。中世に大学ができる前のお話とはいえ、なんとなく「カルミナ・ブラーナ」に出てくる「放浪学生」を彷彿とさせる感じ。
3). とりあえずの底本として、リヴァプール大学の H.A. ストロングという先生が 1905 年に発表した考察および冒頭部分の英訳と、1917 年に米国人言語学者レオ・ウィーナーの著作から引いた「A-テクスト」をベースに拙訳を起こしてみました。… とはいえこれが苦労の連続。なにしろ「A-テクスト冒頭は底本にあまり手が入れられた痕跡がなく、したがってあとにつづく韻文詩にくらべれば翻訳もさほど困難ではない」なんてウィーナー先生はご本にて書かれていらっしゃるけれども、たったふたつの英訳 ―― ともにほぼ百年前の ―― を読み較べるとなんかこう、いささか収まりの悪い食いちがいが目につき、ええいままよと無謀なのを百も承知のうえ、自分でもヒベルノラテンで書かれた原文に当たるしかなくなった。図書館にて『羅和辞典』なんかを引きまくり、それでも不明な箇所は頼りにしている Web 上のラテン語辞書サイトに当たったり、Wiktionary などほかのサイトにもお伺いを立てたり … なので叩き台にもならないような拙い仕上がりではあるけれど、きょくりょく「校合」したつもりの訳を以下に ( ワタシの頭には、「『フィネガンズ・ウェイク』には、ほぼ七十に近い言語が用いられている。だからといって数十か国語を習得しなければ読めないのではない。… 凡人が『フィネガンズ・ウェイク』を読もうとすると、いかに外国語を知らないかを知る。いかに外国語に通じていないかを知る。そこで辞書だ。凡人には辞書がある」というヤナセ先生のことばが響いていた ) 。試訳は、ll. 1 - 86 まで。
おおいなる歓喜が、わが胸の洞に火をつける。われはわが肺からあらゆる悲しみを蹴散らし、いっぽうで歓喜の血潮も抑えこむ。われは見た、高名なる知識の求道者、貴 ( あて ) なる都市の風を味わう者、毒に満ちし語りの論法を編み出す人々を。かように華やいだ修辞の使い手集団、この先三方に広がる土地のいずこへと向かうというのか ? 荒涼たる地の果て、寂寥とした道を捨てしこれら修辞の名手たちとは、そは何者か ? 語りという彼らの富を差し出すものか ? それともこの若い門人のあいだで死をも厭わぬ論争を引き起こすのだろうか、そうではなく和平の笏を甘受するものか ? 情け知らずの戦士の一団は一にも二にも、激しい戦いの最前線に馳せ参じ、白い服を紅の血筋で染めるものであろう ? この憔悴した漕ぎ手たちは、泡立ち咆哮する大浪に打ちのめされた難船者か ? それとももっとありふれた災厄に見舞われ、非業の死によって隣人を失った人々か ? いったいいかなるご高説をのたまわすというのか ? どの修辞家に従えと ? われは修辞学上の決闘を挑まん、知の格闘技に熱中する諸君を統べる強者に。以前、われは一度に三人と相手して打ち負かした ―― 意気地なしに雄々しい同朋、そして力に勝る巨人をも捩じ伏せた。それゆえわれは並の対抗者とは勝負せず。彼らの矢が猛然とわが身に降りかかったとき、われはすぐさま剣を抜き、自惚れの人台を叩き斬る。われは木の円盾かざして四肢を覆う。鉄の刃を振りかざし、その毒が、ひょろ長い口からでまかせ君を切り捨てよう。われは一度の格闘にて同輩たちを打ちのめさん。
この華麗なる話法は輝き、いかなる毒も盛らず。絶妙なる均衡と落ち着きを払った、その無難な立ち居振る舞い。歌うような、甘美なるアウソニアの語りで満たされし喉よ。それは蜜蜂の大群が巣穴を行きつ戻りつ流れる蜜を吸い、口吻で住処を整えるのが習いのごとし。かくして輝かしいことばの射手 * の御歴々、ここに集わん。これほどの一団は過去に現れたことはなく、かつこれからも人の世でかようにこれ見よがしの賑々しい集団というものは決してお目にはかかるまい。だが注意せよ、諸君の足許には諸君のことばが通じない蛇がいて、諸君めがけて毒矢を放つだろう ―― 百花のごとき諸君がこれら蛇の危害から救ってくださるようにと、果てしなき天の玉座の支配者に懇願しないかぎりは。われはこの現し世にて、西方の地を支配する王笏を得ん。ゆえにわが唇から這い出るのは、粗野かつ卑俗な語り。もし永らくイタリア語りの軛に繋ぎ留められていたなら、われもまた朗々たる語りの奔流がわが口をつき、都会風の洒落ことばがただちに迸りでるはずである。 ―― 君はいったいどんなお楽しみを目論んでいるのかね ? 母なる樫の木を斧で切り倒し、教会の箱型お堂に葺く厚板にでもするのかね。それとも純金を炎吹き出す炉にくべ、鎚でしたたか打って三日月飾りでもこさえる気かね ? それとも弦を掻き鳴らしては誉め歌を呼び起こすのかね ? それともドクゼリの虚ろな茎を心地よき調べで満たすのかね ?
しかしわれは透徹した眼差しで見抜いている、君の目に映じているのは、芳香に満ちた牧草地を逍遥する綿羊の群れにすぎないことを。** 君がひたすら無駄骨折ってつき従うはことばの射手たち。双肩に緋色の箙を携え、白い肢体には白い外套をかけ、身体にぴたり合った白い服をまとっている君。君が耳傾けているのはそは深遠なる学問的語りではない、君は、一介の教師集団をただいたずらに追っているだけなのだ。ここで君にわが彗眼を披露しよう、平衡のとれしわが思考を。それは故郷の君の土地のこと。君はそこで田舎の楽しみに興じてきた。羊の囲いはみな湧き出る温水の泉の傍に立つ。*** 君の牛はいずれも伸び放題の草を食み、君の年老いし母は涙で頬を濡らす。君の子どもたちは泣き、その声は花咲く野にくぐもったこだまとなって響いている。君の奥方は見知らぬ男と楽しき床入りを祝っている。これらすべてが君に告ぐ、ただちに故郷 ( くに ) へ帰れ、と。
* … H.A. ストロング英訳版では ‘arcatorum’ を ’closet [philosophers]’ と解釈している。「( 引き篭もりの ) 穴熊賢者」?
** … 「だがわれは不審の眼差しで待つ。なぜなら君が見るのは … ( L. ウィーナー英訳版 ) 」。なおストロングは ‘curv[/u]anam’ を「日除け」と解している。
*** … 「羊の囲いはみな扉が開いたままである ( L. ウィーナー英訳版 ) 」。
1. H.A.Strong, “Note on the Hisperica Famina”, The American Journal of Philology, Vol. 26, No. 2, 1905, pp. 204-212.
2. Leo Wiener, Contributions Toward a History of Arabico - Gothic Culture Volume I, 1917, pp. 74 - 94.
3. The Hisperica famina, edited with a short introduction and index verborum by Francis John Henry Jenkinson; with three facsimile plates. Published 1908 by The University Press in Cambridge [Eng.] .
4). そういえば『西方風の語り』の最新の校訂本は、四半世紀も前に書かれたこれみたいですが、あいにく日本 Amazon にはなし。某女子大の図書館に一冊、納本してあるという情報は得たものの、「紹介状がないとダメ」とか。… 以前、オ・キーヴァン先生が学生時代に友だちだったという日本人はどうしているか、ついででいいから調べてくれないか、との依頼を受けたとき、上智の「聖三木図書館」に行けばカトリック関連でなんか引っかかるかな、と思ってのこのこ出かけたことがある。「学食 ( !! ) 」を突っ切って行ったときの恥ずかしさと言ったらなかったけれども、とにかく図書館利用のさい紹介状なるものは要求されなかった。大学によりけりなのかな ?
… ジョイスの『フィネガン』、ついに巻その三に突入。のっけから「聞け! … 聆け ! 」と書簡運搬人ショーンに呼ばわる物見の声 ( ? ) ではじまっている。「西の語り」をもって「自分の実力はこんなにも高い ! 認めてくれ ! 」みたいに絶叫する作者の若い学僧とが重なってくるようだった。