2012年10月14日

『フィネガン』と音楽

 以前ここでもちょこっと触れたこちらの本。さっそく図書館から借りて読んでみたのですが、ヤナセ語訳で躓いている人にとってはまさに格好の書といえるでしょう。そんなあんたはあれよく読めるねぇ、なんて短足、じゃなくて嘆息が聞こえてきそうではありますが、なんのなんの、そこいらじゅうに原作者が仕掛けた穴リヴィアにハマってばかりですわ。でも上掲書の p. 152 に、にわかには信じられない証言が引用されていたりする。
『進行中の作品』をジョイス氏が朗読するのを聞いたことのある者は、その技巧の実にリズミカルな美しさを知っている。それは耳に快く、自然の作品のもつ有機的な構造によって成り立っており、氏の耳が作り出す母音と子音の一つ一つを丹誠込めて伝える音楽的な流れである。

… ワタシもヤナセ語訳版を読んでいて、つい声に出してみたくなってしまったりする。ようするにリズムというか語呂がいいというか。もっともヤナセ語訳では漢字のもつ可能性が極限にまで追求されているから、たとえば「気斑屋の竈で娘がパン粉ねり … 」なんてのはたんに「音」として聞いただけではおもしろさが伝わらず、やはり「視覚的に」読む必要がある ( ちなみにこの「気斑屋のパン」はおなじ章に二回、出てくる ) 。さらについでに中世フランスでひろく流布した一連の物語群主人公の「狐のルナール」まで登場。その前の章だったか、たしか『デイヴィッド・コパフィールド』まで変奏されて出てきた ( 笑 ) 。

 というわけでこの本、『フィネガン』読書案内本としても秀逸で、なんといってもわかりやすい。前にも書いたけれども『フィネガン』とくると 20 世紀初頭のあの気違いじみた当時の欧州そのまんまの「狂文」のようにも思われるかもしれない。じっさいそうだと思うが、同時にいかにも昔ながらのアイリッシュの諷刺文学の系譜を強く意識した作品だなあとも感じる。冒頭部の拙い試訳をつけた『西方風の語り』しかり、そのあとにつづく『マッコングリニの夢想』しかり。宮田本ではダンテや「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」や錬金術など、おもに大陸における中世文化を引きあいに出しつつ論じていますが、その中で音楽好きにとって注目すべき章があります。それがそのものずばり「音楽」と題された一章 ( 上述の引用文もその章から ) 。

 ヤナセ語訳『フィネガン』を読みだしてはじめて気づいたのは、じつに多くの音楽関連語が登場することだった。バッハやベートーヴェン、グルックやヴァーグナーといった人名はおろか、「グィードの手」とか「聖セシリア」、オルガンやチェンバロにヴァージナル、リュートにテオルボ、ハーディ・ガーディ、そしてたとえば「こりゃまた変耳喋調 ( へんにちょうちょう ) な ! 」なんてのまで出てくる。楽器名に注目すると、宮田先生も指摘されているとおり、どういうわけか古楽器系が多くて ( たしかサックバットもあった気がした )、すでに書き出しから登場していたりして。↓
riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.

Sir Tristram, violer d'amores, fr'over the short sea, had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war : ...

ジョイス語で書かれた何回も難解な作品ではあるけれど、下線部は音楽好き、古楽好きなら一目瞭然ですよね ? そう「愛のヴィオラ」、ヴィオラ・ダモーレ。というわけでこの楽器の演奏者の方、誇っていいです ( 笑 ) 。ここのヤナセ語訳は、このことば遊びのほうは捨てているみたい ( 「サー・トリストラム、かの恋の伶人が、 … 」のような表記だった )。ちなみに宮田先生の解釈によればこの violer には violater / tor が重なりあうとし、意味としては「ヴィオラ・ダモーレを奏でる愛の破戒者サー・トリストラム」 という感じになるみたい。なるほど !! 

 ヤナセ訳はたしかに日本の地名とか「貝喩原薬軒」とか、やりすぎな感も否めないけれども、たとえば宮田訳「 ( 双子の兄弟のショーンが片割れシェムをくさして ) 変な奴なのさ。野菜魂の髄まで中世魔 ( p.154 ) 」という箇所。ここがヤナセ語訳版ではこうなっている。「気味悪いやつだったぜ、ほんとさ、そりゃあもう魂臨菜 ( こんりんざい )、昼邪 ( ひるじゃ ) つきあいきれないくらい中世だった ( 『第三巻』p.51、原本では p. 423 ) 」。「暗い中世」ね。ネクラなんだな ( 苦笑 ) 。この筆男シェム、ヤナセ語訳でもそれとなくほのめかされているけれども、作者ジョイスの分身的役割も担っているらしい。

 … いずれにせよいまだ巻その三を読みつづけているところなんですが、最後にヤナセ語訳に出てきたブレンダンを拾っておきたいと思います。『フィネガン』第三巻第三章は、作品として刊行する前にジョイスが Haveth Childers Everywhere というタイトルで発表していたもの。これは H.C.E. の「声」が、霊的手段でもって「市長 ( p.285 以降 ) 」だったときの自分の功績についてくどくど長広告というか「言い訳」しているくだりで終わっている章なんですが、ここになんと二回も出てくる ( アー然 ! すんませんヤナセ語化してしまいました ) 。「ハイブラジル・ブレンダン延期電」と「リスモアからケープブレンダンまで」。前者の原文は 'High Brazil Brandan's Deferred, midden Erse clare language, Noughtnoughtnought nein.' で、下線部はたぶん Hy-Brasil をもじったんでしょう ( 「イー・ブラジル」についてはこちらの拙記事の末尾参照 )。後者のほうは、ひょっとしたら博覧強記のジョイスのこと、『リズモアの書』に収められた『聖ブレンダン伝』が念頭にあったのかもしれない … とこれはなんの根拠もない個人的妄想。ここの箇所の原文は、'It would be the finest boulevard billy for a mile in every direction, from Lismore to Cape Brendan, Patrick's, if they took the bint out of the mittle of it.' その前の章のショーンの独白にも一回、「ブレンダンのマントルがケリーブラシリア海を白く染め … 火と劔を運ぶ破約の地から … 」というふうに出てくる ( 原文は 'from the land of breach
of promise with Brendan's mantle whitening the Kerribrasilian sea ...' )。

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