2012年10月28日

ジョイスと聖ブレンダン

 以前、『聖パトリック祭の夜』という書名で出ていたケルト学者鶴岡真弓先生の本に聖ブレンダンについてジョイスがどこかで言及していたような … とおぼろげな記憶をたどって書いたことがありました。その本はいまあいにくかんたんには取り出せないところに眠っているので ( 苦笑 )、手っ取り早くヤナセ語訳『フィネガン』を返却しに図書館に出向いたおり、ついでに鶴岡本のほうも見てみた。いまは平凡社ライブラリー新書となって、『ジョイスとケルト世界』という書名に変わってます。で、あったあったこれこれ、と該当箇所をメモしてそのときはそのまま帰宅したんですが、後日、「アラン島の漁夫の蜃気楼」と題されたそのささやかな紀行文 ( 初出 Il Piccolo della Sera, September 5, 1912 ) はきっと Web のわだつみのどこかにあるはずだからあとで探してみよう、でもいまはもうすこしヤナセ語訳『フィネガン』を理解する助けがほしい、というわけで、筑摩書房から出ている『世界文學体系』シリーズから『フィネガン』抜粋が収録されている巻を図書館でパラパラ繰ったら、なんとなんとその「アラン島の漁夫の蜃気楼」がきちんと完訳されて載ってるじゃないですか ?! というしだいで該当箇所のコピーを手許に置いてこれを書いてます。

 1912 年に書いたということは、そのときジョイスはまだ 30 歳。鶴岡本にて興味を掻き立てられたワタシは、いったいどんな内容の寄稿文なんやろ ? と期待しつつ読んでみました。

 聖ブレンダンの箇所はつぎのくだり。↓
… 十世紀ののちにふたたび、アラン島の貧しい漁夫、聖ブレンダンの使徒にして競争者を盲いさせた蜃気楼が遥かに、靉靆 ( あいたい ) として、大洋の鏡の上にゆらめき現れるのだ。

 クリストファー・コロンブスは周知の通り、最後のアメリカ発見者のゆえに後世の人びとから名誉を授けられた。このジェノアの航海者がサラマンカで嘲笑される一千年前、聖ブレンダンは、われわれの船が今近づきつつある裸の海岸から、見知らぬ世界へと錨を揚げ、大洋を渡ったのちフロリダの海岸に上陸したのだった。当時、島は木が生い茂り、土地は豊饒だった。林の端に彼はアイルランドの僧たちの隠棲の場所を見つけた。これは西暦四世紀に王家の血統を引く聖者エンダによって作られたものである。この隠れ家から聖フィニアン、のちのルッカの主教が誕生する。ここに幻視者聖フルサが住み、夢想を凝らしたが、彼は、アイルランドの聖者暦の記述によるとダンテ・アル [ ママ ] ギエリの先駆者だという。… ダンテは、コロンブス同様、魂の三つの分野を訪れ、それを描いた最後の人であるという理由で後代から讃えられているのだ ( p. 144 )。

 … なるほど ! というわけで、やっぱりありましたジョイス原文もあわせてどうぞ。↓
Again, after about ten centuries, the mirage which blinded the poor fisherman of Aran, follower and emulator of St. Brendan, appears in the distance, vague and tremulous on the mirror of the ocean.

  Christopher Columbus, as everyone knows, is honoured by posterity because he was the last to discover America. A thousand years before the Genoese navigator was derided at Salamanca, Saint Brendan weighed anchor for the unknown world from the bare shore which our ship is approaching; and, after crossing the ocean, landed on the coast of Florida. The island at that time was wooded and fertile. At the edge of the woods he found the hermitage of Irish monks which had been established in the fourth century after Christ by Enda, a saint of royal blood. From this hermitage came Finnian, later Bishop of Lucca. Here lived and dreamed the visionary Saint Fursa, described in the hagiographic calendar of Ireland as the precursor of Dante Alighieri.

 前ページの「訳注」にも、この紀行文冒頭に出てくる表現について書いてあるんですが、それが「大きなのように ( 眠る神聖な島アランモア ) 」とありまして、では、と思って本文見たら、クジラじゃなくて「サメ ( 鮫 )」だった。??? 、手っ取りばやく原文見たら、'a great shark' だった。ジョイスのこの記述は正しいかな。ロバート・フラハティ監督の映画「アラン Man of Aran ( 1934 ) 」でも、迫力ある「ウバザメ」漁をするシーンとかありましたから ( ついでにウバザメは見た目は強面ながら、性格はきわめておとなしい ) 。「アイルランドの聖者暦」=聖人と殉教者の記念日を網羅した当時の教会暦。『オイングスの聖人暦』など。聖フルサについてはこちらなど。

 邦訳で気になったのは「地図」という訳語。あたらしい大西洋航路が開拓され、「荷物や乗客のかなりの部分は将来ゴールウェイに上陸し、ダブリン、ホリーヘッドを経由して直接ロンドンに行くことになるだろう」とあるので、状況からして「航路図」あるいは「海図」じゃないかって気がするんですが … 。当時、聖ブレンダンが上陸したのはもっと南の水域、サルガッソー海にも近いフロリダあたりと同定する説もひろく流布していたから、ジョイスもそう思ったんでしょう。

 クロナードの聖フィニアン ( 470 - ca.549 ) はブレンダンやカドク、コルンバを教育した人ですが、こっちのフィニアンは別人で、モーヴィルの聖フィニアンという人。ローマで教理などを学んだとき、貴重なウルガタ訳聖書写本を持ち帰って帰国し、現在の北アイルランド・ダウン州ストラングフォード湖に浮かぶ島に修道院を開いて弟子を教育したと伝えられてます。そのおなじ北部アルスターの王族の出だったコルンバは、こっちの師匠のもとでも修行していたのですが、師匠の門外不出の詩編写本「カタハ」をめぐって対立、けっきょくこれが流血の惨事を招き、その責任を教会会議で問われたコルンバは「バーの」ブレンダンに相談、12 人の弟子とともにヘブリディーズ諸島へ向けて「自己追放」、エグザイルに出帆し、そのまま二度と故国の土を踏むことなく、597 年 6月 9日、コルンバ75 歳のとき、アイオナ島にみずから建てた修道院で息を引き取った … のだけれども、北イタリアのルッカ主教というのは、寡聞にして知らず、Web 上を渉猟してもそのことに言及しているサイトなりページなりは見当たらなかった。それでもジョイスの引用した紀行文はとても新鮮でみずみずしささえ感じられる、とても印象的かつやや感傷的な文章だと思いました。後半、島民が「おはようございます、と言い、ひどい夏でしたね、まったくありがたいことで [ 神を讃えようではありませんか ] 、と付け加える」とある。これはアイルランド人特有の「よけいな付け足し」、adding の癖を述べた箇所ですが、ここの箇所、なんだか日本人の持つ「諦観」、「しかたがない」というあの感覚に似てませんか ? ちなみにここの原文は、
An islander, who speaks an English all his own, says good morning, adding that it has been a horrible summer, praise be to God.

 そういえばいつだったか、出雲大社のことを特集していた TV 番組がありまして、アイルランドの「常若の国」や「地下王国」とそっくりな国づくり神話のエピソードが出てきてびっくりしたことがある ―― 先住民族があとからやってきた征服民に土地を明け渡す代わりに、自分たちの住むべつの世界 ( 異界 ) を求めた、という点で。恥ずかしながら日本にもそんな神話伝承があるとは知らなかった。小泉八雲じゃないけれど、こちらの「妖怪」とあちらの「妖精」、あるいはドルイディズムに見られるオーク信仰と鎮守の森 … かたや世界の西の果て、かたや世界の東の果ての島国。キャンベルじゃないけど、探れば探るほど、共通項が出てくるもんだと感じたしだい。

 … ヤナセ語訳『フィネガン』、ついに「フィン成ーれ」!! 読みきった。… 知恵熱 ( ? ) かな、なんか風邪ぎみで少々だるい感じ。ヤナセ語訳を理解するために、宮田抄訳版『フィネガン』も併読してますが、例のふたりの選択、じゃなくて洗濯女の会話に出てくる「ブレンダンの鯡沼むこうのマークランドの葡萄土では、… ( I - 8, p. 398 )」のくだり。宮田訳版 ( p.252 ) の脚注によると、「ブレンダンの海はスカンディナヴィア人による大西洋の呼称」とあり、出典が Annotations to Finnegans Wake という注釈本だった。むむむむ … 「ブレンダンの幸福諸島」とか、「聖ブレンダンの島」なんてのはよく見かけたが、「聖ブレンダンの海」というのはあいにくお目にかかったことがない。スカンディナヴィア人は周知のごとくノースメン、ヴァイキングの末裔だから、そういうふうに北大西洋を呼んでいたとしてもいっこう不思議ではないのでありますが … 「ヴィンランド」のほうは有名ですけど。ついでに「踊り樹とサットン石 ( II - 3 ) 」のなぞも解けたんですが、こっちはまたのちほど。

 最後に「ブレンダンの鯡沼」のくだりを原文と併記しておきましょう。ヤナセ語訳、宮田訳とを比べてみるとまたをかし。
And all the Dunders de Dunnes in Markland's Vineland beyond Brendan's herring pool takes number nine in yangsee's hats.

[ ヤナセ語訳版 ] それにブレンダンの鯡沼むこうのマークランドの葡萄土では、鈍頭 ( どんず ) のスコトゥスたちがみんなヤンキー帽かぶって九番を取るって揚子よ。

[ 宮田抄訳版 ] それにブレンダンのニシン池の向こうのマークランドの葡萄国のダンのドンちゃんたちはみんなヤンキー揚子江 ( ヤンツェー ) 帽に九番を使うって。

[ おまけ:『筑摩世界文學体系』版 ] それにブレンダンの鰊の水たまりの向こうのマークランドのヴァインランドに住むダンダーズ・ド・ダン一族はみんなヤンキー帽子の九サイズをかぶっているそうだ。

引用者注:ヤナセ語訳の「鈍頭のスコトゥス」には、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスが響いている … 気がするなぁ [ 追記:Dunders de Dunnes にはひょっとしたら『旧約聖書』の「士師記」に出てくるダン族も響いているのかもしれない ]。

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