2012年11月18日

本物と本物まがい

1). 先週の「古楽の楽しみ」はなんか再放送週間みたいで、今年 5 月放送分がふたたびかかりました。個人的にお気に入りなのが、ジロラモ・フレスコバルディの「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラによるカプリッチョ」で、オルガン独奏はロベルト・ロレジアンという人。ド - ラの上行六音階はいわゆる「ヘクサコード」と呼ばれるもので、『フィネガンズ・ウェイク』にも登場した、中世イタリアの修道士で音楽教師だったグイード・ダレッツォ ( 「グイードの手」で有名 ) が体系化した音階にもとづく作品。バッハにも似たような例はあって、「平均律クラヴィーア曲集 第一巻」巻頭を飾るハ長調フーガの主題が、まさにこの力強く上行進行するヘクサコード音型からなってます。

 果報は寝て待て、じゃないですが、最近、地元図書館がついに ( ? ) あのインターネット上最大級の音源ライブラリー、Naxos Music Library ( NML ) と貸し出し契約を結んだらしくて、2009 年 5 月の LFJ 以来、ほんとうにひさしぶりにここの音源が聴き放題 !!! ただしもちろん、貸出期間の二週間限定で。それでも貸し出し受付で ID とパスワードを発行してもらうだけで二週間聴き放題なんて、なんか夢みたいな話だ。もちろんバッハは気になる作品を片っ端から。グールドの「ゴルトベルク」はじめ、いろんなオルガニストによる「フーガの技法」や「チェンバロ協奏曲 BWV.1058 」の有名な「アンダンテ ( これは、今年見た邦画作品「わが母の記」の影響から ) 」、BWV.729 のクリスマス用コラール編曲やら、あるいはアルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡 (こちらは、「きらクラ ! 」のふかわりょうさんの影響から [笑]、でもたしかにこれ心に染み入る感動的な曲だ。これをきっかけにいままで疎遠だったペルトなどの現代ものを聴くようになるのか … な ? ) 」などなど、うれしくてつい長時間かけっぱなしにしたり。ただ、どういうわけか Chrome ブラウザは相性がよくないのか、ほかの原因なのかよくわかんないけれども、プチプチ音切れするので、こっちは IE で聴いてます ( いまは、アンソニー・ニューマンという人のチェンバロによる「ゴルトベルク」を聴きながら )。

 ついでながら NML にはオンラインレファレンスも充実していて、なんと『音楽中辞典』まで読める ( ただし、これも二週間限定だが ) 。で、さっきの「ヘクサコード」については、こんなふうに記載されてました。
ヘクサコード hexachord[英] Hexachord[独] hexacorde[仏] esacordo[伊]

 6つの音からなる全音階的音階。第3音と第4音のあいだだけ半音で,ほかはすべて全音であるため,両端は長6度に開く。11 世紀のグイード・ダレッツォにより体系化され,17世紀頃まで用いられた。彼は音階各音の特徴を明確にし,視唱を容易にするため,聖ヨハネ賛歌にもとづき6つの各音に「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラ」の階名をふりあてた。13 世紀半ば頃には,当時実用されていた声楽的音域の平仮名と-2点ホ音上に7つのヘクサコードがつくられ,そのうちト音上から始まり,第3音にロ音(堅いロ音)を用いるものは「堅いヘクサコード」,ヘ音上から始まり,第4音に変ロ音(柔らかいロ音)を用いるものは「柔らかいヘクサコード」,ハ音上から始まるものは「自然なヘクサコード」とよばれた。【片桐 功】

 「古楽の楽しみ」の金曜朝恒例のリクエストでは、ヘンデルの「ジョージ二世の戴冠式賛歌」から「わが心はうるわしい言葉にあふれ」もかかってましたね。演奏は英王室と切っても切れないウェストミンスター・アビイ聖歌隊、指揮はサイモン・プレストン。

 … そういえば、けさは町内清掃のためにすこししか聴けなかったけれども「吹奏楽のひびき」にて、なんと M. プレトリウスの「テレプシコーレ」集の編曲版がいろいろとかかっていて、合間にオルガンも聴こえていた。こちらは再放送にてしっかりと聴くつもり。

2). 以上はマクラで、ここから本題。以前、こちらの番組を見まして、わお、「写メ」なんて国籍不明語が闊歩するこのご時世で「大判写真術」に打ちこむような高校生がいたんだ、とおおいに感動。と同時に懐かしくもあり … それはさておき、大型カメラによる写真撮影の流れをおおまかに説明すると、こんな感じ ―― 大判用シートフィルム ( カットフィルム ) を暗室作業でフィルムホルダーに突っこみ、組み立て暗箱と重い三脚をかついで撮影場所へ。カメラを三脚にセットしたら、見にくいピントグラス上に映る「天地左右逆像」で構図を決め、カブリ ( 冠布 ) をかぶってやおらピントを合わせて調節ネジを固定し、「シャッターを閉じて ( ここ重要 ! ) 」、フィルムホルダーを入れて空シャッターを切り、引きブタを抜き、気合を入れてレンズシャッターを切る。引きブタをもどしてロックしてからホルダーを引きぬく。自分は Kodak 社の「レディロード」ホルダーに、富士フイルムの「クイックロード」20 枚入りという妙な組み合わせで撮影していた。これで現像代も入れれば万札が飛びまくり ( 苦笑 ) 。レディロードとクイックロードについては、こちらを。これ、めんどくさい「暗室作業」いらずでたしかに便利だったんですが、冬の伊豆西海岸で撮影していると、西伊豆特有の強い西風が吹きはじめると遮光封筒に入ったシートフィルムがぴらぴらたなびいてしまうんですね。なので強風状態ではせっかくの大型カメラも使いものにならず、これには困った。一度なんか真冬の堂ヶ島海岸で撮影中に、中古のシュナイダーレンズのシャッターが壊れちゃうし。修理代+上京代でまたまた万札が … ま、いまとなってはいい思い出ではある。

 前にも書いたことかもしれないけれど、デジタル画像ってひらたく言えば 1 と 0 の無数の点々の集まりみたいなもの。いわば点描による描画。対してたとえば Velvia に代表されるカラーリヴァーサルフィルムによる描画は、ベタベタ塗りたくった油絵みたいな世界。自室の掃除ついでに昔撮った 4x5 インチサイズのリヴァーサルフィルム表面のホコリをプロワーで吹き飛ばすとき、乳剤面が盛り上がっている感じや、あの特有の鮮やかな発色と圧倒的な高画質を確認するたびに、これこそデジタル画像では出せないアナログならではの「味」なんじゃないかと思ったりもする。でも近年のデジカメの進化スピードじたいが加速しているから、いずれは画質的にはなんら遜色ない、銀塩フィルムと完全に肩を並べるような時代がすぐそこまで来ているとも感じている。もうしちめんどくさい大判写真術なんて実践する人などいるまい、なーんて思ってちょっとググったらなんとなんと「シノゴ買った ! 」みたいなエントリがけっこう見つかるじゃないですか ! そういえば以前、地元紙面にて「リンホフクラブ」会員数がじつは増えている、なんて記事まで拝見しまして、まだもうすこしはデジタルとの「共存」がつづくかも、と本人はあっさりコンパクトデジカメでお茶を濁しているくせに、なんかほっとしたものでした。問題は、値上げのつづくシートフィルムとロールフィルムがいつまで生産されるかだな。→リンホフクラブによる、大判写真術の一例

 そういえば「書く道具」なんかも昔ワープロ、いま PC 、そしてブログや SNS など、ネットにつながった状態でなにか書くとあっという間に全世界に「公開」されてしまうこのご時世で、なんと万年筆が、大判カメラよろしくじわりと売り上げを伸ばしているらしい。そんなワタシもここんとこなぜかまた万年筆でなにか書いてみたくて ( 400 字詰め原稿用紙のみならず、200 字詰めといういまとなってはかなりレアかと思われる原稿用紙もいまだに持っている人 ) 、そうだ、これでヤナセ訳『ダブリナーズ』からいくつか引いて写経してみるか、なんてしょうもないことを考えている。以前東京駅構内のコンビニにて PILOT の Vpen というものを買ったことがあるけれど、水性染料インクのためか、ハガキとかあれで書くと滲んでしまい、失敗 (苦笑)。かといってちょこっと書くのにまさかモンブランなんて買えるはずもなく (当然だ)、調べたらプラチナには 210 円で買える格安の製品とかもあるみたいなので、まずはそれを試してみようかしら。

 話もどって写真については、アナログのころから「捏造」問題がつねにつきまとっていた。あの National Geographic もまた例外にあらず。でもいまほどいともあっさりと、ありもしない映像を作れる時代は過去なかったように思う。いまはやりの「ミニチュア写真」なんかもその典型的な例。高価な「アオリレンズ」なんてなくたって、加工アプリさえあればちょちょいのちょいだ。iPhone5 なんて、歪みのないパノラマ写真まで撮れてしまうのだからもうおどろき !! 大判写真術だって、重たい湿板 → 乾板 → シートフィルムというふうに、利便性というか使い勝手が向上するように変遷してきた。暗室作業不要の「クイックロード」しかり。ようするに技術の進化というのは人間がいかにラクして高度な技が実現できるようになるか、この一点に尽きるかと思うのですが、では無数の 0 と 1 の点々の集合体の画像が、化学的に「太陽の光が描いた画」をそのまんま定着させた「光画」と、いったいどっちが「真を写した」ものなんだろう、と。2進数とか16進数に「変換」したじたいでそのへんの定義づけがなんだかあやふやになってくる、なんてこと言うと、なにやらオツムがおかしい人のようにも思われるかもしれない。

 ことは写真にかぎったことではなくて、音楽なんかもそう。新しもの好きのくせしてまるで相容れないことを平然と、二重フーガの追いかけっこよろしく同時に考えてしまうのがワタシのいいところであり、かつ悪い点なのでもあるのだが、ワタシはいまだに「煎餅を一枚一枚、切り売り」しているかのような「mp3 楽曲ダウンロード」というものに慣れず、相変わらず抵抗感をもって dubiously に眺めている。アナログの LP から CD へと切り替わったときはすんなり受け入れたくせに、「mp3 楽曲ダウンロード」とか、「音楽配信」というものにどうしてこうも抵抗を感じるのか ? … と思ってふと「圧縮音源」ということに気がついた。これもまたデジタルによる革命みたいな技術なんだろうけれども、たとえば TuneIn アプリで Ottava とかストリーミングを聴くと、「64k WMA」なんていう表示が出てくる。ストリーミング配信している「音源」が、そのていどの音質でしかないということ。でも割り切っているせいか、BBC Radio3 でもなんでも、あまり気にしたことはない。むしろ、「家にいながらにして世界中のネットラジオが聴取できる」という恩恵のほうがはるかに大きいと感じているので、「まがいものの音」ではあるがそれはそれとして割り切って楽しんでいる。NML なんかもそう。いままで探しに探していた、四手オルガンによる、モーツァルトの「交響曲第 40 番 K. 550 」をここで見つけたときの喜びはなんとも言えない。

 でもそのすぐあとで、たとえば図書館から借りてきた CD でバッハのオルガンコラールなんか聴くと、その「音の厚み」にまず気がつく。銀塩フィルム乳剤面の盛り上がりみたいなものだ。おなじデジタル音源でも、ここが決定的にちがう。非圧縮音源と圧縮音源。もっともこれ再生機器側の問題もあるので、昔いた高名なオーディオ評論家みたいな鋭い耳なんて持ちあわせてないから、一概に圧縮音源だからと括るのはよくないかもしれないけれど、違和感の主要な原因であることはまちがいない。ようするにいまの人、とくに CD のアルバムで楽曲を買わずに「圧縮音源」の「配信楽曲」ばかりを浴びるように聴いている若いリスナーというのは、「心を打つ、美しい音楽」がもたらす喜びを知らずに、「これこそが音楽だ」とアタマから信じてはいないだろうか ? という疑念があるのです。まったくもってよけいなお世話ながら。そういえば先週木曜の「ミュージックプラザ / 洋楽リクエスト」は、懐かしい曲ばかりで、うれしかった。とくに「渚のアデリーヌ」をリクエストした横浜市のリスナーのお便りには、こっちまで泣けてしまった。ついでに圧縮音源の音質って、ふつうのアナログ FM 波から流れる音源とくらべてもどうなんだろうか。比較するのが大好きなもので、ついそんなことも考えてしまった。

3). と、世間はただでさえ忙しさを増すというのに、いまごろ「解散・総選挙」ですか。こういう時期をあえて狙ったのでは、とは言わない。ただ、社会の一隅でひっそりと ( ? ) 生きている門外漢から言わせれば、この国の議会制民主主義というのはやっぱり「そう見えるだけ」にすぎないまがいものだという気がしてならない。たまさか国会中継なんか見ると、お世辞にも欧米にも負けないすぐれた「民主主義政治」だとはとうてい思えない。この国でおこなわているのはたとえば欧州諸国の歴史に見るような、民衆が血を流して必死の思いでもぎ取った「国民主権」でもなんでもなく、先の大戦で負け、占領軍による「お仕着せ」な民主主義であるところに根本的要因があるように思います。そういえば先日、地元紙投書欄にて、こんな絶望的な投稿がありました。「国民に背を向け続け政局に明け暮れている自民党、烏合の衆と化した『維新の会』など、いずれも日本の将来を託すには心もとない。私の投票所へ向かう足取りは重くなるばかりだ」。それにしてもいまの行政府のやっていることはヒドイの一言。osprey 配備問題なんかそうですよね。ウチも東富士演習場が近いせいか、米軍と合同演習なんかあると決まって頭上を低空飛行ですよ。なんの説明もなくいきなり上から、配備と飛行訓練をいついつから実施する、よろしくね、というのは、どっかの近い国の共産主義政府とおんなじだ。

 でも望みはまだある、と思う。ここ数年、「残り九割のわれわれ」とはいっさい関係ないところで暴走するグローバル資本市場至上主義のあおりを食らったかっこうで EU 加盟各国内では深刻な状態が長引き、さらにそれがひたひたとこの島国にも打ち寄せているかのような印象を受けているんですが、せっかくの機会です、やはりお仕着せだろうがなんだろうが、われわれひとりひとりに与えられた「権利」をしっかりと行使しなくてはならない。けさたまたま TV 見ていたら、街頭インタヴューされた人がこんなこと言ってました。「この時期に選挙なんてはっきり言って迷惑ですね。でも今回は ( 投票に ) 行きますよ ! 国民の出番なんだから」。

 … 今回の解散劇、例によっていろんな人が思い思いに「命名」してはいるけれど、なんかこう、ワタシとしてはいまいちのような気が … 今回の投げやりな衆院解散を見てまして、ワタシの脳裏にはすぐさまヤナセ語訳ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の一節が、それこそ「雷鳴」のごとく鳴り響いたもんです。第三巻第一章の終わり近く、樽に入ったままころころ転がって川流れになった双子兄弟の片割れショーンが吐いたおいとまのことば、というか、捨て台詞が。―― いわく、「あばあばあばよわん !  ( たっ ) ぱでな ! 解散」。ちなみにここ宮田訳ふうに言えば、「消消消消滅だ ! タパー ! 解散」。ついでに原文は 'Gaogaogaone ! Tapaa ! ( F.W. III, p. 427 )'. 'Gaogaogaone' =Gaogao + g(a)one でようするに「gone ! 」なんだろうけれども、最初の Gaogao ... にもなにか隠された意味があるのかな ? 

追記。「きらクラ ! 」のふかわさん、「バッハ (「BWV.1016 のヴァイオリンソナタ」) 聴いてたら、チェンバロの音かな ? なんか風邪がよくなってきたみたい ! バッハで風邪が治る、なんてことあるのかな ?! 気のせい ? 」―― いいや、あると思いますよ !! 

posted by Curragh at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など
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