この前見たこの番組もたいへんおもしろく、ダ・ヴィンチ好きとしてはこちらをサカナにしたいくらいですが、本日はこちらの大発見のほうを。いままで「ひらがな」の成立は 10 世紀ごろ、とされてきたのが、すくなくとも半世紀は遡るらしい … こんな貴重な土器片がざっくざく出るとは、さすが古都・京都、とあらためて感じたしだいです。
「をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみんとてするなり」というのは、有名な紀貫之の『土佐日記』出だしですが、平安貴族は日常的に「ひらがな」を使いこなしていたということかな、男も女も ??
仮名は 9 世紀に一音に一字当てる「万葉仮名」からはじまり、「草仮名」を経てほぼ現在の「ひらがな」へと移行していったそうです。おんなじ「古文」でも、漢字だらけのいかにも公文書でございといった「お固い」古文書とはちがって、今回出土した 20 点あまりの土器片にくっきりと記された 150 ものかな文字の文を見ますと、なんだか親近感が湧いてくるから不思議だ。ちょうどそんな折も折、ついに ( ?? ) 「黒船本命」の Kindle 電子書籍リーダーが上陸、国産勢とあわせていよいよ電子書籍の本格的普及期に突入するのか、どうなのか、と発想はわりと古くさいくせして同時に新しいアイテムも好きといういかんともしがたい分裂型人間としては気になる存在ではある … でも奇しくも NEWS WEB24 でしたっけ、画面下に表示されていた視聴者のツイートをいま一度確認してみたら、「DVDより皿の方が長く記録として残るのですね」、「電子メールなら、残らないだろう」などが目についた。… たしかにそのとおりだ。いまこうやって撃ちこんだ、ではなくて打ちこんだテキストがそれこそあっという間に全世界に向けて公開されてしまうという、1100 年以上も前の人が見たらそれこそ腰抜かしてびっくりしてしまうような芸当を、たとえば電車で移動中でもいともあっさりできてしまうというのは、すごいこと ( 前にも書いたが、ワタシがネット接続をはじめたころはまだ「ISDN」とかが現役だった ) 。そこへもってきて電子ペーパーに電子書籍。やっぱり端末を落っことしたら、せっかく買った本のテキストデータはみんな「消消消消滅だー ! 」なんてことになってしまうのかしら ?? ついでながらこの前ここで触れた安い万年筆 … ですが、けっきょくこれを買ってみました ( 最下段の Plaisir シリーズ ) 。寒いせいか、角度によってはちょっとインクの出が … でもまあ、日常のメモ書きにはこれでじゅうぶん。くどいようですが、たしかに個人情報のたぐいがいったんインターネットという海に垂れ流されてしまうとほんととんでもないことになりうる。でも同時に、デジカメの撮影画像よろしく、デジタルデータというのはなんであれ、「一瞬のうちに永久に消し去ることができる」からおおいに長所でもあり、おおいに困った点でもあるのです。この駄文だって、書きこんでいる最中に突然ブラウザがクラッシュした、なんてことになったら書いてる当人は冷や汗が出る。もしこれがなんらかの「仕事」で作成中の文書なりスプレッドシートなりだったら、その損害は計り知れない … てなことにもなりかねない。いまやクラウドベースが当たり前の時代、なんでもかんでもそれこそ雲つかむような「クラウド」のかなたへ無造作に放りこんでこそクール ! みたいな風潮がもてはやされているようですが ( 一昔前のネットユーザーの意識としては、いまだにやや抵抗あり。でも Gmail や Google Drive は便利だ [苦笑] ) 、いざトラブったら、いつぞやの Amazon EC2 みたいに、そうとう大事になりそうな悪い予感がする。
今回発見された「ひらがな」土器の話にもどると、年代は9 世紀後半らしい。9 世紀後半、西の果ての島国アイルランドではヴァイキングが来襲しては修道院を荒らしまわっていたころ、また「復活祭論争」の結果、アイオナも含めた全アイルランド教会がローマ方式を受け入れてしばらく経ったころで、度重なるヴァイキングの襲来によって「ケーリ・デ」の改革運動が下火になりはじめたころでもある。ここで注目したのが、中世アイルランド修道院文学と「書き文字」の変遷。最古の「書き文字」はいわゆるオガム文字で、道しるべとか石柱に刻みつけられた簡易的な「棒線文字」。オガム文字のモデルになったのが当時のヨーロッパの国際共通語ラテン語で、アイルランドに入って語法的に本来の古典ラテンから崩れたかたちで継承されたのが、島嶼ラテン語。これは後代の、アイルランド特有の言い回しを含んだ英語みたいなものと言ってもいいかもしれない ( 'aisling [ 発音はアッシュリング。「幻想」、「夢物語」の意 ]' とか )。とにかくブレンダンやコルンバが生きた時代から 7 世紀くらいまで、写字生たちはこの「外来語」のラテン語で欄外に「落書き」とかしつつも、せっせと写本を制作していった。
これがもともとの言語であるゲール語に取って代わられるようになったのが 8 世紀以降だといわれ、このへんから土着言語のゲール語 ( 古アイルランドゲール語 ) で書かれた写本が数多く出現しはじめます。『聖ブレンダン伝』も現存する 7 つの写本のうちふたつがゲール語で書かれ、そのひとつが『リズモアの書』に入っているものです ( 現存する写本ははるかあと、16 世紀のもの ) 。ムルクーの『聖パトリック伝』、アダムナン ( アダウナーン ) の『聖コルンバ伝』もはじめはラテン語で書かれていたものをゲール語に書き換えたり、法律書や贖罪規定書といった日常用途の文書もつぎつぎと書きことばとしてのゲール語で記されるようになります。このへん日本語が中国から導入された漢字 → 仮名の発明という変遷をたどって独自言語化したのとまったくおんなじ流れがアイルランドでも起きていた、というふうに言ってもいいと思います。
もっとも今回の大発見が示唆するように、ある日突然、「ひらがな」が出現したわけではむろんなくて、それ以前から万葉仮名や草仮名や漢文と共存していたわけで、同様のことが中世アイルランド修道院文学についても言えます。前にここで紹介した『カンブレの説教』はアイルランドゲール語で書かれた最古の現存文書とされ、7 世紀ごろのものだと言われています。本家サイトにも書き、「ケルト美術展」にて自分もこの目で見た『ストウのミサ典書』は出土した土器片とほぼおんなじ時代で、8 - 9世紀にかけてのもの。だいぶ前に書いた『聖パトリックの胸当て』は、7世紀後半のものだと言われています。
いずれにせよ、文字あるいは書きことばってひじょうに重要で、万一これをゆるがせにしたら、一民族の存亡の危機にさえ発展しかねない。この拙い文章書くために手許の参考文献見たりしているんですが、あらためてアイルランドとその国の国民がたどった苛烈な歴史を思うと、中世の修道士たちの残した功績は測り知れない、とつよく感じる。大陸動乱期、統一国家さえなかったアイルランドはあまたの若い「学僧」を輩出し、彼らが大陸に渡って遍歴しつつ布教し、あるいはコルンバヌスのようにケルト系修道院を設立していったり … あるいはそれまで知識階級だった「フィリ filid ( pl. ) 」が口承で伝えてきたにすぎないアイルランドの神話や伝承が、つぎつぎと羊皮紙やヴェラム紙に「記録」されていったのだから。それもこれもみんな彼ら「船乗り修道士」たちが、修道院学校で若い人相手に徹底的にラテン語を仕込んだからにほかならないですよ。書きことばとしての日本語も大陸渡来の外国語を母語化した結果、産み出されたもの。アイルランドゲール語だっておんなじです。当時のアイルランドにはじめて「都市」というものを建設したのは皮肉なことに侵略者ヴァイキングだったけれども ( 現在の首都ダブリンとか ) 、すくなくとも当時のアイルランドにはもっとも高度で、先進的な言語教育は存在していた、ということはまちがいなく言える。それゆえ崇敬の念をもってこう賞賛されたのです ―― 「敬虔な気高き聖人のあふれ住む島、アイルランド」―― マリアヌス・スコトゥス( 1028 – 1082 / 1083 ) 著『年代記』から。
2012年12月01日
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そうですね、自分もその点がもっとも気になります … 達筆のひらがなをしたためたのは出土した館の主か、あるいは客人か、そしてなんのために書き記したのか … いちおう地元紙記事によると、「邸宅で神楽が行われ、その際に記された可能性がある」ということのようですが … 同時に発見された木簡には、「む」を表す草仮名に近いひらがなもあったとのことなので、ぜひじっくりご覧になってきてください ! そういえばいま、「古楽の楽しみ」でバッハの「平均律」やってますね。
http://www.nhk.or.jp/classic/kogaku/