2013年01月26日

ボーイソプラノ・バッハ ! 

 この前の日曜朝に聴いた「ビバ ! 合唱」。米国人作曲家特集で、のっけからバーバーの「アニュス・デイ」がかかりました。演奏者はハリー・クリストファーズ指揮のザ・シックスティーン。これ聴きますと条件反射的に 2003 年暮れに聴いた、オックスフォード・ニューカレッジ聖歌隊の来日公演が脳裏をよぎる。以前書いたことの蒸し返しになるけれど、心身ともに激しく揺すぶられるような掛け値なしの名演で、いまだにあのときの感動を思い出すたびにぞくぞくと鳥肌が立つ。そういえばけさ聴いた「音楽の泉」再放送では、先月 8 日が没後満 300 年だった、アルカンジェロ・コレッリの特集でした。年の瀬定番の「クリスマス協奏曲」など、いろいろかかってまして、バッハと比べるとふだんあんまり聴いてないから、これはよかった。もっともコレッリは一枚だけ、Naxos レーベルのヴァイオリンソナタ集 ( 8.557165 ) は持ってます。これはお気に入りの一枚でして、わりとよく聴いてます。余談ながら、ワタシは「コレッリ」と表記するけれど、「コレルリ」もときおり見かけますね。どっちが言語により近いのだろうか ? と思うこともしばしば。でも NHK の表記みたいに、「グレゴリオ・アルレグリ」はないやろ、と思うのでした。

 そんな折も折、仏人メル友から航空便が届き、? と思って開封したらなんとバッハの「クリスマス・オラトリオ BWV.248 」の前半 3 つ分を収録したアルバムが同封されていた。演奏者は往年の名門、バイエルンのテルツ少年合唱団。テルツ、とくると往年のファンはまずあの故レオンハルトとともに取り組んだ、伝説的な「カンタータ全集」を思い起こす向きも多いんじゃないでしょうか。というわけで、いまその「カンタータ全集」を、小学館の『バッハ全集』版にて BWV.1 から順番に聴いています … 自分はいままであんまりこの分野、「教会・世俗カンタータ」というものを聴いてこなかった。オルガン作品に偏っていたきらいがある ( 好きなんだから、これはしかたなし ) 。… 人生、この先なにが起こるやも知れず、いまのうちに全曲聴いておかなければ、という妙な使命感 ( ? ) に急き立てられて、とりあえずぜんぶいっぺんはちょっとムリだから「教会カンタータ」から行こう、と決めまして、空き時間にかけっぱなしにしています ( それと、OTTAVA もね。OTTAVA は、深夜の 'stella' が個人的には就寝時の最良の友って感じで最近、ハマっています。聴いているとわりとバッハのオルガンコラールとか BWV. 1041 の「アンダンテ」なんかがかかります。ブクステフーデの「シャコンヌ BuxWV.160 」もときおりかかってます。ブクステフーデのシャコンヌ / パッサカリアはいくつかありますが、個人的にはこれがいちばん好きですねぇ ) 。

 図書館から借りてきた『バッハ全集』、巻頭付録 ( 月報第 8 号 ) にその歴史的名盤の当事者たるアーノンクール氏が取材に答えているんですが、「少年の歌声によるバッハ」に並々ならぬ関心を抱いているワタシにとって、たいへん貴重な記事でして、まだ本文に入る前からいきなりヒートアップしてしまった。

 「ボーイ・ソプラノの起用」と題された項目で、アーノンクール氏はつぎのように語っていたのがすこぶる印象的でした。
 「私たちが、このカンタータ全曲録音で結果的にボーイ・ソプラノを使うことにしたのは、一つには、バッハ自身が、ボーイ・ソプラノを起用していたためです。そして、これは残念ながら滅多にないことなのですが、もし非常に優秀なボーイ・ソプラノに巡り会えた場合、ボーイ・ソプラノが加わることで、器楽パートに対し、完璧な音の交響が実現できるのです。また、そのことが音楽そのものに多くの魂を吹きこむことになり、曲の精神性が高まります。音楽の強烈な内容に、少年の純粋さが結びついたとき、もちろん、その少年に十分な音楽性があっての話ですが、非常に巧みな技術を用いる大人の女性のソプラノが歌った場合よりも、ずっとずっと感動的な表現が実現できるからです。これが女性のソプラノを起用する場合とボーイ・ソプラノを起用した場合の最大の違いです」
―― バッハの時代のボーイ・ソプラノは、どのようなものだったのでしょうか。
 「バッハの時代のボーイ・ソプラノは、今のボーイ・ソプラノよりも年齢が四歳ほど上でした。というのは、当時の少年たちの声変わりは十六歳から十八歳にかけて起きていたからです。ですから、現在の少年たちよりも肺が大きく、仮に八歳から歌っていたとすると、かなりの経験を積んでいたことになります。仮に十六歳でソロを歌うにしても、すでに八年のキャリアを身につけていたわけです。現在の少年たちはたいてい十三歳か十四歳で声変わりをしてしまいますので、ボーイ・ソプラノはまだ「小さな男の子」といった感じです。今の時代に、それらのハンディを補うだけの優れた才能を持ったボーイ・ソプラノの少年を見つけるのはとても困難です。ですから、現在、ボーイ・ソプラノを使ってカンタータを演奏することはとても難しいのです。実際に私たちはピーター・イェーロジツを初めとするすばらしい才能を持った少年に巡り会って、その少年にたくさんのカンタータを託しました。それだけ上手な少年に巡り会うのは珍しいことなのです」( 以上、下線強調は引用者 )

 マエストロ・アーノンクールのこのお話、読んでいるほうとしてはただただ酒肴、じゃなかった、首肯するのみですな。ちなみにいま書きながら聴いているのは BWV .113 、レオンハルト指揮盤でして、ソプラノソロを歌っているのは当時ハノーファー少年合唱団員でいまはテノール歌手のセバスティアン・ヘニッヒ氏。ちなみにこれも以前書いたことながら、ヘニッヒ氏の父上はこの少年合唱団創立者の故ハインツ・ヘニッヒ氏。

 この「カンタータ全集」ってアーノンクールがウィーン少年合唱団 & テルツ & レーゲンスブルクという、中央および南ドイツ、オーストリアの子どもたちを擁していたのに対し、レオンハルトのほうは手勢の「レオンハルトコンソート」とこのハノーファー少年合唱団を率いている … 意図されているのかどうかはわかりませんが、ちょうど北と南とであたかも対峙するかのような構成になってます。ただし例外的 ( ? ) に、英国ケンブリッジ・キングズカレッジ聖歌隊を起用した盤もあります。

 ボーイソプラノで歌うバッハ、としてはこれも愛聴盤である Teldec レーベルの「聖なる歌声 / ボーイ・ソプラノ・バッハ」もすぐれたアルバムだと思う。これはいわば「カンタータ全集」を、文字どおりボーイ・ソプラノという切り口でまとめたものですが、バッハの教会カンタータ入門としてもおすすめ ( ほかに「マタイ・ヨハネ両受難曲」に、「クリスマス・オラトリオ」からの選曲もあり ) 。

 付録本文では、杉山好先生の書き下ろした「裏側から見たバッハ」と題するエッセイがとりわけつよい印象を受けました … というか、以前から漠然と抱いていた、「なんでバッハは ( 砂川しげひさ氏ふうに言えば ) 、とくに低音が、かくも 16 分進行が多くてペコペコしているのか ? 」。ヘンデルやテレマンなど同時代人の作品とくらべてもバッハのペコペコ進行ぶり ( ? ) はすさまじい、と個人的には思っている。で、杉山先生の寄稿を読んで、なるほど、そうかッ ! と思わず膝を打ったしだい。ようするに、「バッハの音楽は、足から作り出された音楽」だというのです。
 ところがどうしたわけか、近ごろの筆者には、バッハ音楽が大地に包蔵された楽音のエネルギーをどうやら足の裏から取りこむところから出発して、リズム的に脚を動かし、オルガンの風函にも似た肚の底に地霊の息吹きをいっぱいに溜込んだうえで、そこからようやく横隔膜より上の心臓、肺、喉、首を通って頭脳から両手へという順序の動きによって制作され、また演奏されていったのではないかと思われるようになった。… それゆえ、足の裏 … と脚の運動を軽視したバッハ解釈や演奏は、なにかしらバッハ音楽の本質には届かない、もしくはそぐわない不満足感をぬぐいきれないとの実感が筆者には日増しに募りつつある。この点で、バッハ音楽の歴史的にも、本質的にもアルファでありオメガであった楽器は、足鍵盤をその重要な特徴として備えたパイプ・オルガンに他ならなかったことを片時も忘れてはならないだろう。… このハイテク社会の車中心、コンピュータ依存、そして情報電送化万能のテンポとスピードにあおり立てられて、ほとんど足をすくわれかけている現代人が、足もとお留守のままではたしてほんとうのバッハ音楽を演奏できるものなのだろうか、という問いである。古楽器の保存や復元、その奏法の歴史的解明、響きの良い演奏ホールの建設、ディジタル録音による生の音への肉薄とその CD 化等々、今日のバッハ演奏とその享受には多くの新しいメリットがつけ加わって来たことを充分に承知し、またそれなりに評価はしながらも、筆者としては、現代のバッハ演奏と解釈に関して、黒雲のように胸の中に湧き起こって来る根本的な疑念と不安をどうしても払拭しきれない悲痛の思いで、この文章を書き綴っているのである。

 このエッセイ、書き手の主張すべてに頷くわけではないけれども、ここに引用した箇所はひじょうに鋭い指摘ではないか、バッハ音楽とその解釈の本質を突いているのではないかと、門外漢のワタシでも感じます。ワタシもよく歩きますが、たしかにバッハという人の音楽には大地にしっかと両足つけて立っている、歩んでいる人の力強さが感じられるのです。だからといってヘンデルはそうじゃない … という気はさらさらないが。でもブクステフーデの演奏を聴きに、380 km もの道のりを「歩いて」行ったバッハだもの、これはたしかに言えてるよなーとなんか長いこと引っかかっていたつかえみたいなものが取れてすっきり、今宵はこれを祝して赤ワインを飲もう ( 笑 ) 。

 … そして、今回のこの記事が、キリのいい 700 本目の記事とあいなりました。くだらんこと、取るに足りないことも含めていちおうこれはこれで自分自身の記録、備忘録でもあるので、本家の更新も進めつつ、もうひとふんばり、バッハの作品番号しんがりの数字とおんなじ 1080 本くらいまでは書き継いでいこうかしら、などとまたしてもしようもないことを夢想してます。
「音楽とは神経を鎮めたり、安らぎを与えるためだけのものではなく、人々の目を開き、心を揺さぶり、ときに驚かすためにあるものだ」 ―― ニコラウス・アーノンクール


posted by Curragh at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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