2013年01月27日

またひとり名訳者逝く

 ときあたかも芥川賞・直木賞受賞作家発表の季節ですが、去る 22 日、直木賞作家で米文学翻訳家の常盤新平氏が逝去されたとの報に接しました。享年 81 歳。謹んでご冥福をお祈りします。

 常盤氏、とくると、静岡県人だったらまず思い浮かぶのがいまからちょうど 20 年前に連載された小説『風の姿』ではないかと思う。まだ若かったとはいえ、自分もあの物語は好きで欠かさず読んでいた。ストーリーはもうほとんどおぼろげにしか覚えてないけれども、ひとつだけ強烈に心に残っている名文句があります ―― 曰く「わさび田の修道院」。これなんてすばらしい表現なんだろう、と思ったもんです … 風景写真好きな自分も、たとえば黄金崎 ( こがねざき ) あたりなんか、ほんと自分にとっては修道院、大聖堂みたいな大切な場所だという感覚があり、ヒロインが言ったこの名科白の気持ちはひじょうによくわかる。作品執筆前の事前調査で安倍奥山中に抱かれたわさび田を見て回ったという常盤氏も、おそらく第一印象として直感的にわさび田の醸しだす「静謐な、修道院的な空気」を鋭敏に感じ取ったのではないか、と勝手に想像してます。とにかく読みごたえのある、いい作品でした。

 文芸ものの翻訳者をめざす人にとっては、常盤氏というとむしろ米国文学の紹介者という顔のほうがピンとくるかもしれない。アーウィン・ショウの翻訳者というイメージがつよかったんですが、Wikipedia 記事を見てみるとその訳業もひじょうに多岐にわたっていて、あらためて目を見張りました。

 私事ながら、常盤氏の講演会を一度だけ、拝聴したことがある。そのときはまだまだ若造だったから、話の内容にどこまでついていっていたかははなはだ疑問ではあるが、自身の翻訳に対する考え方とか、こぼれ話とか、とてもおもしろくうかがった憶えがあります。なんといっても常盤氏が米文学ものを邦訳しはじめた当時というのは、「エルメス」ひとつとってもだれも知らないような時代。猫も杓子もブランドを買いあさり … なんてのははるか先のことでした。

 また常盤氏は柳瀬尚紀氏と同様、辞書をこよなく愛された方でもありました。いつだったか雑誌の辞書特集に寄稿されていて、そのなかで辞書にドラえもんとか一号、二号なんて名前をつけていたら不謹慎だと叱られたとかって書いてありました。あたらしい辞書が刊行されると、まっさきに大きな書店に行って「表敬訪問」するとも書いてありました。

 Wikipedia 記事には常盤氏の著訳書が列挙されているので、未読のおもしろそうなのを図書館で探してみようかと思います。名訳者またひとり退場す、という思いに沈みながら。合掌。

posted by Curragh at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ
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