2007年10月30日

グリフォン襲来!(Navigatio, chap.19)

 少年・青年・壮年からなる三組の聖歌隊のいる「強き者たちの島」に「遅れてやってきた三人」のうちのひとりを残して出航した聖ブレンダン一行。Scaltaという、なんだか素性のよくわからない大きくて丸い果実を絞ってその果汁を乗組員で分けあって飲み、またあるときは三日の断食をして過ごした。何日か経ったとき、一羽のばかでかい鳥が飛来して、ブレンダン院長の膝に赤い果実の房が実った枝を落としていった。一行はこちらの果実もともに分けあって食べた。三日の断食をふたたびおこなっていると、行く手にふたたび島が現れた。島は、さっきの大きな鳥が運んできたのとおんなじ色の果実が葡萄の房のごとくいたるところたわわに実り、島の空気はザクロのようなかぐわしい芳香に満ちていた。聖ブレンダン一行は下船すると、40日間、島にとどまってこの自然の恵みをいただいて体力を快復させると、ふたたび出帆。するとこんどはグリフォンが「はるかかなた」から突如として出現、一行に襲いかかる。グリフォンは「鉤爪」をかっと広げ、いまにも修道士たちをつかもうとする。そのせつな、果実の房のついた枝を落としてくれた大きな鳥が現れ、グリフォンと闘いはじめた。グリフォンは両目をえぐられてしまい、一行からは見えなくなるほどの高さにまで上昇して逃げようとした。だが鳥のほうもしつこく追撃、ついにはグリフォンを仕留めた。グリフォンの死体はブレンダン一行の舟のまわりの水面へと落ちてきた。彼らを助けた鳥はもと来た方角へ飛び去っていった…。
 
 と、こんな感じで古代以来のひじょうに有名な鳥――というか鷲とライオンの合体した獣であるグリフォン(原文griffa、またはグリフィン)に襲われた挿話が出てきます。それもやや唐突に。個人的には、怪鳥グリフォン襲来もさることながら、ブレンダン一行を助けた神の使いであるもう一羽のでかい鳥のほうが怪物じみているような気が(笑)。いやそれともこのグリフォンがたんに弱すぎるのか。
 
 ダンテの『神曲・煉獄篇』ではベアトリーチェの乗った二輪戦車を引っぱる役回りのグリフォン、ここでは見てのとおり神の僕に食いかかった悪魔の使いとして描かれています。深読みをすると、まだ「遅れてきた修道士」の最後のひとりが残っているし、24章ではこの最後に残った修道士は地獄の口である火山に投げこまれるという悲惨な最期を遂げることになるので、ひょっとしたらそこから遣わされて来たのかもしれない。いっぽうやっつけたほうのでかい鳥についてはとくに細かい説明もなく、文字どおりいきなり飛んできては葡萄みたいな果実の差し入れをしたり、グリフォンを倒したり…。こちらの鳥のほうはもうすこし調べてみないとよくわからない。とにかく言えるのは、ここに登場するグリフォンは「空飛ぶ四足獣」というより「鉤爪」とはっきり書いてあることから、中世の物語によく出てくるような鷲の化け物のたぐいの怪鳥であること、べつの怪鳥と闘うということです。寡聞にして知りませんが、グリフォンがほかの鳥と闘う、なんて話ほかにもあるんだろうか? 
 
 グリフォンのことを調べていたらたいへん詳しく解説しているサイトを発見しました(それにしてもよく調べてあるなー…脱帽)。もちろん図書館でもいろいろ参考になりそうな本も当たってみましたが、グリフォンの最古の記録であるヘロドトスの『歴史』に出てくるアリステアスなる人物の話から、大プリニウスの『博物誌』、アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』、ソリヌスの『奇異事物集成』、アエリアヌスの『動物について』、フィロストラトスの『テュアナのアポロニウス伝』だの、いろんな人がそれぞれにグリフォンについて語ってはいますが、鳥どうしで闘うなんて話はなし(とはいえすべて「また聞き」で、現物を見たという目撃談ではない)。貪欲な人間や馬を目の仇にしているという話はよく見ますが。ちなみに紹介したサイトのページにもラテン語版『航海』の挿話がそっくりそのまま引用されていますが、これはオメイラ教授による英訳文。ジョー・ニッグとかいう人の書いたグリフォン本からの引用とあるので、「引用の引用」ですね。

 ラテン語版『航海』の作者はなにを参考にしてこの哀れなグリフォンの挿話を書いたのか? おそらくプリニウスもソリヌスも読んで知っていたのだろうし(ケルト修道士はおそらくプトレマイオス天文学も知っていた)、『フィジオロゴス』とかも読んでいたのかもしれない。中世では「めっぽう強くて恐ろしい番人」というイメージで語られることの多いこの怪獣は善と悪両面の象徴として引き合いに出されるので、『アレクサンダー・ロマンス』のように戦車か何かを引いて空を飛んだりして主人公を助ける役回りのときもあれば、人間を引き裂いてしまう悪魔としても描かれたりします。で、かき集めた資料を見たかぎり、ラテン語版作者の参考にした本があるとすれば、おなじ聖職者つながりで聖イシドールの『語源論』ではないかと思う。こちらのほうは、『神曲』に出てくる善きグリフォンではなくて、「人間を見ると、すぐ引きちぎる」というまさに悪役として登場しますので。ちなみに『フィジオロゴス』のほうは、キリスト教の寓意としてグリフォンが出てくるので、これでは役目が正反対になってしまいます。また13章に「かたまった海」の挿話が出てきて、23-4章には悪魔どもがわんさかいる「鍛冶屋の島」「火の山」がともに北の方角に位置することから、グリフォン=極北の生き物という連想も、原作者の頭にはひょっとしたらあったのかもしれない。

 それともここで出てくるグリフォンの話は、もっと深い意味でもあるのだろうか? 異教時代の怪獣を天から遣わされた何者かがやっつける、というのは、たとえば「ドイツの使徒」聖ボニファティウスがキリスト教の神の力を見せつけるために、当地のゲルマン諸族の信仰の対象だった雷神トールの神木であるオークの大木を斧で切り倒したくらいのインパクトが当時の読み手にはあったのだろうか。それとも『リズモアの書』に収められた説教用「聖ブレンダン伝」みたいに、このグリフォンの挿話も娯楽的要素をもたせるために追加したのだろうか。もっとも古くから流布していた聖ブレンダン伝説というのは大魚の背に乗った話で、それが姉妹編とも言うべき航海譚『メルドゥーンの航海』のエピソードと結びついてラテン語版『航海』の祖形が生まれた…という説があるので、こういう可能性もなきにしもあらずという気がします。
 
 またラテン語版『航海』を下敷きに成立したとされる古オランダ語版をもとにシュヴァーベン方言で書かれた散文物語Sankt Brandans Seefahrt(14-5世紀ごろ成立)では二回目に出てくる「魔の海(Klebermer, the Liver Sea)」のエピソードにもグリフォンが出てくる。ラテン語版『航海』13章のような「かたまった海」を想起させる海域で、船が難破して動きが取れなくなる、まさしく魔の海として描かれています。「…何隻もの船は魔の海に粘り着いて身動きが取れず、中には人びとが死んでいたからです。無数の怪獣グリフィンが船内に舞い降り、人びとを捕らえ、連れ去っては食らってしまったのです。(藤代幸一訳、p.24)」。しかしながらこっちのグリフォン(グリフィン)の挿話の下敷きになっているのは、当時ドイツを中心に広く流布していた『エルンスト公』というバイエルン公爵を主人公にした荒唐無稽な冒険物語やヘブライ人旅行家による記録、あるいは『千夜一夜物語』の「シンドバッドの航海」に出てくる怪鳥ロックの挿話、『アレクサンダー・ロマンス』などで、ラテン語版『航海』とはおそらく関連性はありません。あくまで大陸で流行っていた、「東方の神秘」を扱った物語群から取られたものと思われます。オランダの中世史研究家ストライボシュ女史によると、『エルンスト公』とドイツ語版の底本・古オランダ語韻文で書かれたDe reis van Sint Brandaanは、「魔の海」と「磁石山」とグリフォンがセットになって出てくる最初の物語だという。ちなみに船乗りシンドバッドがヨーロッパで知られるようになったのは13世紀以後のことなので、ラテン語版『航海』原作者がこのアラビアの物語を下敷きにした可能性はありえないと思う。

 グリフォンなど、この手の空想動物については書き残した当人である大プリニウスやヘロドトス、パウサニアスらはその実在を疑っていたようだけれども、おおかたの人は中世にいたるまで実在を信じていた。グリフォンのほかにも大ダコみたいなクラーケンとか、いろいろけったいな怪獣がうろついていたわけですが、さて現代のわれわれがそんな人たちのことをnaïveだと一笑に付すのはあたらない。中世ヨーロッパの人から見たいまの世界というのは、きっとえたいの知れない怪物が跳梁跋扈しているように見えるにちがいありません。

この記事へのコメント
遅ればせながら、記事を読ませて頂きました。とても面白いし、興味深いですネ!

「グリフォン」の名前だけは、よく聞きますが、改めて考えてみると何も知らなかったことに気付かされました。今までは、漠然とキリスト教以前の異教由来の存在で、キメラみたいな何かが合成されたものかなあ〜と勝手に想像していましたが、確かにおっしゃられるように闘うグリフォンの話は、聞いたことがないような気がします。

http://books.google.co.jp/
「ブック検索」とかで griffin と入れてみたら、たくさんの本はあったのですが、すみません中身を読んで探すのは挫折しちゃいました。なかなか思ったような記述が見つからないですね。

また、何か見つけられましたら、記事の続編宜しくお願いします。

当時のケルトの地でのキリスト教では、どうった意味で捉えられていたのか、実に面白そうです♪ 何か文献が残っていたら面白いのですが、期待できるのはキリスト教の神父が残した物の中でしょうね。記事に書かれていた「オークの木を切り倒した」ような記述が残っているといいんですけど。

私も、ちょっと意識して本を読んでみたいと思います(笑顔)。グリフォン自体は、かなり広い地域に伝播した存在だったはずですけどねぇ〜。さてさて? 
Posted by alice-room at 2007年12月03日 20:19
alice-roomさん

スフィンクス同様、グリフォン(グリフィン)ももとは百獣の王と猛禽の王者との組み合わせ=最強の動物ということから産み出された生き物だろうとは思いますが、いずれにしても起源はギリシャ北方ないしは東方世界みたいですね。

ご紹介してくださったGoogleの新サービス、いまちょこっと遊んでみましたが、これってけっこうすごいかも…世界中の論文が調べられるGoogle Scholarもいまさっき試してみましたが、良くも悪くもGoogleの発想の自由さ、大胆さには感心します。使い勝手もいいですし。どちらもまだBeta版なので、これからどうなるかが楽しみではあります(↓はGoogle Scholarのリンク)。

http://www.google.co.jp/intl/ja/scholar/about.html

コメントありがとうございました。またなにかおもしろい情報がありましたら教えてください。
Posted by Curragh at 2007年12月03日 22:39
お気づきになられました論文を調べられるGoogle Scholar、私も本当に素晴らしいと思います(笑顔)。
私はちょっとしか使ったことないですが、こういう試みはどんどん進めていって欲しいですね!ホント!

日本はその点ではまだまだ遅れている感じがしますね。ご存知かと思いますが、データベース「CiNii」なんかには、今後是非頑張っていって欲しいです。
うちのブログで恐縮ですが、ご参考までに。
http://library666.seesaa.net/article/43090134.html

自宅に居ながらにして世界の『知』に触れられる素晴らしい時代になるかもしれませんネ。また、より一層、それをどう利用するかを問われる時代なのかもしれません。実に、楽しみです♪
Posted by alice-room at 2007年12月08日 01:43
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/6319036
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック