2013年03月03日

Requiescat in pace ...

 たてつづけに巨匠クラスの名演奏家・音楽家の訃報が飛びこんできました。先月 22日、ドイツの名指揮者でピアニストとしてもその名を馳せた往年のマエストロ、ヴォルフガング・サヴァリッシュ氏逝去、享年 89 歳。そして先月 26 日にはなんとフランスを代表する名オルガニストのおひとり、マリー−クレール・アラン女史が逝去、享年 86 歳。そしてさらにその翌日、こんどは米国人の伝説的なピアニスト、ヴァン・クライバーン氏の訃報が入ってきた … クライバーン氏は骨癌を患っていたらしい。みずからの名を冠した国際ピアノコンクールにて本邦代表の辻井伸行さんが優勝したとき、クライバーン氏はとてもお元気そうに見えていただけに、まさか、という気がした。享年 78 歳でした。

 個人的には、わずか一週間のうちに連続で音楽家関連の訃報を聞いた、ということはちょっと記憶にないです。N 響定演に足繁く通っていた往年の音楽ファンだったらサヴァリッシュ氏の訃報に、ピアノ音楽ファンだったらクライバーン氏の訃報に、それぞれ去来するものがあったと察しますが、オルガン好きにとってはやはり仏人女流オルガニストのアランさんの訃報がなんといっても大きい。自分がアラン女史逝去の報に接したのは、ここのサイト経由でした。ここがどの報道機関よりも早くアラン女史の訃報を伝えていたように思う。

 ワタシも一度だけだったが、当時できたてほかほかの東京オペラシティコンサートホールでのアラン女史のリサイタルに接したことがある。そういえばバッハのオルガン作品の演奏をはじめて「TV 映像で」拝見したのも NHK ホールにおけるアラン女史のリサイタルでして、そのとき弾いていたのが難曲中の難曲、「オルガンのためのトリオソナタ BWV.529 」だった。楽譜なしの暗譜による演奏、助手もつけずストップの出し入れもすべてひとりでこなすという、ジャン・ギユー氏もそうだったけれども、フランスのあるオルガン流派の伝統的演奏スタイルをかたくなに守っていた。オペラシティでの演奏でもやはりそうで、一階席うしろのほうでやや見えにくかったとはいえ、その明晰な色彩感をもった、いい意味でわかりやすい演奏に聴き入っていた。

 はじめのころ買った LP … も当然、この明るくてわかりやすいアラン女史の音源で、高校の音楽室にもモーリス・アンドレ氏との共演盤があったことなんかも思い出した ( 前記事で書いたハイラーの音源のつぎに買ったのがアラン女史の「バッハ・オルガン名曲集」) 。でも前にも書いたことだけれども病気したときに聴いたヴァルヒャのレコードにいたく感銘を受け、それ以来、オペラシティでの実演に接した以外はわりと疎遠になってしまった。これはあくまでも当方の好みの問題でして、どっちのバッハ演奏がすぐれているか、という話ではない。アラン女史の 3 回にわたるバッハ全オルガン作品の録音というのは、とんでもない偉業だし、それだけでもすごいのに、ヴァルヒャを凌ぐ点として、その膨大、澎湃 ( 念のため読みは「ほうはい」 ) たるレパートリーの圧倒的広さがまず挙げられる。またアラン女史のバッハ全曲録音のいいところとして、ヴァルヒャが取りあげていない偽作・偽作の疑いありの作品もすべて漏らさず録音している点も挙げられる。そういえばあのリサイタル、終演後にホールの関係者 ? のおじさんが花束抱えてオルガンバルコニーに現れて、アラン女史に手渡していたなんてことも思い出した。ほぼ同時期に開かれたべつのオルガニストによる来日公演では、そのオルガニスト仲間の日本人の知りあい ? の幼い少年が終演後に大きな花束を抱えて出てきて、喝采を浴びたとか、という話もついでに思い出した。

 その昔『 FM-fan 』という雑誌があって、マリー−クレール・アランさんの取材記事が載っていた。それはたしか 1987 年ごろのサントリーホールでの来日公演のときだったように思う。インタヴュアー曰く、「とても気さくな方でした ! 」とあり、またそれからだいぶたったころ、こんどは「 NHK 芸術劇場」にて楽屋での一コマなんかもアラン女史のコメントとともに放映されていた。で、開演を待つあいだアラン女史はなにをしていたかというと、なんとクロスワードパズルを解いていた !! セルゲイ・ナカリャコフだったか、開演前はひたすら携帯ゲーム機いじって遊んでいる、なんて演奏家もいるにはいるが、休憩中も頭を使っているんだな、さすが巨匠クラスはちがうな、などとひとりで勝手に感動していた。クロスワードパズルがアラン女史の趣味だったみたいです。… そういえばまるで関係ない話だが、だれだったか作家の人で、ヒマなときは因数分解しているなんて言ってたな、なんてことまで思い出してしまった。話もどって 1987 年のサントリーホール来日公演の模様は NHK でも放映されていて、そのときはじめてフランツ・リストの「慰め」を聴いた。すなおにああ、これなんていい曲だと感動した。サントリーホールのリーガーオルガンの天上的な美しいストップの音色も、ひじょうに印象的だった。これがもとはピアノ曲だってことは、ずっとあとになって知ったのだけれども。ボエルマンの「ゴシック組曲」の「トッカータ」終結部の二重ペダル ( 両足で和音を演奏する奏法 ) による主題が、いまもあざやかに耳の奥に甦ってくる。

 蛇足ながらアラン女史の一家はバッハよろしく文字どおり音楽一家の家系で、父親も音楽家でアマチュアのオルガンビルダー、4人兄弟の長兄ジャン・アランは第二次大戦で弱冠 29 歳で戦死した作曲家。末の妹のアランさんは、亡き兄のオルガン作品を録音していることでも知られている。とりわけ有名な作品が「連祷」ですね。いまごろは兄と再会を果たしていねのかな … そこにはもちろん、バッハもいるだろう。なんといっても生前、アラン女史はこんなことを「告白」していたくらいですから ―― 「わたしは、バッハの忠実な侍女となってしまった」。トーマス・トロッター、ジリアン・ウィーアなど、育てた弟子も数知れず。オルガン音楽界に残した功績は計り知れない。

 … 三名の巨匠たちの冥福を祈って。

posted by Curragh at 20:44| Comment(2) | TrackBack(0) | おくやみ
この記事へのコメント
アラン女史がクロスワードパズルマニアだったとは!

楽しく語られる故人の演奏家さんは、素晴らしいですね〜

サヴァリッシュさんは、老いられてから異様にお太りになって心配でした。でも天寿全うでしょうね。実演に接することは出来ませんでしたが、音楽好きになるうえで、いっぱいお世話になりました。
Posted by ken at 2013年03月03日 23:37
Ken さん、

コメント、ありがとうございます。m(_ _)m

そうですね、クロスワードパズル好きなのは、当時自分も TV で見てビックリした口です。

話変わりますが「助六」関連記事、まだ斜め読みしかできてないのですが、1709年ということは富士山宝永の大噴火からまだまもないころ、若きバッハがヴァイマール公の宮廷オルガニストとしてつとめはじめたあたりですね。なんだかとても親近感が湧いてきました ( 笑 )。
Posted by Curragh at 2013年03月04日 01:12
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