その方はいま四国のほうで「なるべく電気に依存しない暮らし」を実践されていて、自宅で消費する電源はすべて太陽光などの自家発電で賄い、それを「蓄電」して使うという方式の普及活動もしているというものでした。その記事を見たとき、ああおなじ電力会社という巨大組織にいた人でも、世の中こういう人もいるもんだなと率直に思った。
自他ともに認めるエピキュリアンのワタシがこんなこと言うのははなはだ不適切だということはじゅうぶん承知のうえであえて言わせてもらえば、われわれがみんなこの方の言う暮らしというものを実践できるわけではないとは思う … でも前にも書いたかもしれないけれど持っている自家用車の台数を減らすとか、TV も冷蔵庫も一家に一台にするとか、あるいはこのもと東電マンの言うように、電気で保温するタイプの湯沸かしポットの使用をやめるとか、各人、いくらでも工夫の余地はあると思う。ようは無理なく実践可能な範囲で実行してゆけばいいのだ。そのうえでたとえば ―― これも前に書いたかも ―― 火山国日本のあっちこっちで湯煙上げている温泉で手軽に発電できる装置なりを開発してどんどん電源を「地産地消」の「分散型発電」にすればよいのでは、原発依存じゃなくて、と個人的にはそう考えてるんですがね … と、そんな折も折、こんな番組を見ました。見た感想としては、いまの日本がお手本とすべきはまさしくアイスランドではないか、と。
「… わたしたちは背伸びしすぎていたんです。身の丈にあわないことを求めていたんです。もっと実体のあるものから地道に、じっくりと取り組むことこそ大切なことだと気がついたんです」と、そんな旨の発言がとくに印象的でした。顧みていまのこの国はどうだろうかと、思わずにはいられない … アベノなんたらとか、株高になったとか、これってどれもこれもみな「いつか来た道」なんじゃないですか ? … オリンピック招致も悪いとは言わない。だが、あの大地震からまる二年が経とうというのに、いまだに仮設住まいで仕事もなし、とりわけ原発事故で避難した方はいったいいつになったら故郷に帰れるのか、まるでメドさえ立っていないというこの苛烈な現実。また故郷に残った住民と、故郷を離れた住民とのあいだの意識の温度差というか、溝が日に日に大きくなってきてもいるとも報じられていて、その手の記事を目にするたびにこちらの気持ちも沈んでしまう。
ときおり、大きな余震とみられる活動も起きているし、東海地震、あるいは南海トラフ沿い巨大地震の危険性がにわかに高まっているというのに、大多数の国民から日に日にそういった「意識」が風化しつつある … ように感じるのは自分だけだろうか。
と、嘆いてばかりもいられないので、いま一度、できることからはじめてみようと思っているしだい。
そういえばけさの朝刊書評欄に、興味を惹かれる新書本の著者インタヴュー記事が出てました。『東北発の震災論』という本で、著者は首都大学東京准教授の山下祐介氏。「震災がいつのまにか被災地だけの問題になり、どれだけ補償すればいいかという話に矮小化されている。怖いのは今後、中心から『いつまで被災地に金をかけるんだ』という声があがることです。… 被災者だけでなく、みんなで問題を背負っていくのが本当の支援。日本人はこれからどう生きていくのかという問題ともつながる」。
まだ読んでない本についてあれこれ喋々するのはおかしいが、おそらく山下氏がこの本で言っている「広域システム」というのは、分野はまったく異なるように見えて、そのじつ以前ここで紹介したウェンデル・ベリーの本が主張していることとも通じ合うように感じる。文化面のみならず、真の意味での変革というのは「一握りの人間しかいない」中心から大多数のいる周縁へと半強制的に派生させるものではなく、その逆だということです。ただし、おそらくここで真に障害となるのは物理的中央集権システムというより、最終的には古来営々とつづいている悪しき「ムラ意識体質」なんじゃないかと感じる。自分が一アウトサイダーだから、よけいそうひねくれて感じるだけなのかもしれないが。でもこの本は読んでみたいと思います。それとおなじく書評欄にて紹介されていた、『災害復興の日本史』という単行本も。
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