2013年06月09日

バッハ直筆筆写譜発見 !! 

1). おどろきましたね … ふたたびバッハ直筆の筆写譜が発見されたとの報道には ! もっともこんなふうに埋もれているバッハ資料はまだたくさんあるだろうから、今後もこの手の「発見」がつづくものと期待してます。

 今回あらたに発見されたのは 1740年ごろ、イタリアの作曲家ガスパリーニの「ミサ・カノニカ」をバッハ本人が筆写した楽譜とのこと。… 1740年、というとバッハ 55歳のときに書き写したことになる。「フーガの技法」の作曲をはじめたのもこのあたりらしいから、なんらかの関連性があるのかもしれない。当時のバッハは古様式 ( stile antico )、とりわけ厳格対位法である「カノン」形式の音楽のもつ可能性をとことん究めよう、と本格的に取り組みはじめたころ。翌年には「クラヴィーア練習曲集第四部」として「ゴルトベルク BWV.988 」を出版しているし、1745 年には「14 のカノン BWV.1087 」を、翌 46年には「6声の謎カノン BWV.1076 」を作曲していると考えられているから、若いころからせっせと他人の作品の写経ならぬ筆写譜づくりにいそしんでいた勤勉そのもののバッハのこと、一連の「カノン」がらみの作品を作曲するさいに参考にしようと考えたとしても不思議ではないと思う ( 報道に出てくる「バッハ資料財団」って、バッハアルヒーフのことね )。

 ただ、この原曲について、いったいこれ声楽作品なのか器楽作品なのか、門外漢にはさっぱりわからず、また「古楽の楽しみ」でもこの 1668年生まれのガスパリーニという人の作品がどれほど取りあげられたかもすでに記憶になく、いましがたぐぐったら今年 3月ごろに一曲のカンタータがかかったくらいで、この人の作品についてはなにも知らないにひとしい。このページを見たら、どうも原曲は 1705年にヴェネツィアで作曲された4声合唱と通奏低音のために通作されたミサ曲で、各部分が技巧的なカノン書法で書かれている … らしい。ということは、バッハがこれを筆写したのは一連のカノンもの鍵盤楽曲のためではなく、むしろ最晩年の畢生の大作「ロ短調ミサ BWV.232 」に生かすためだったのだろうか。

 と、あれこれ妄想はふくらむいっぽうではありますが、地元紙に掲載された写真とか見ても、あきらかにバッハ特有の、丸っこい2分音符とか確認できたので、ああ、たしかにそう言われればこれバッハの直筆なんだろうな … という感じはした。とにかく一度、これ聴いてみたいな。あいにく NML には、なさそうですが。ちなみに手許の「バッハの所蔵楽譜文庫 (『バッハ事典』)」のコピーも見たけれど、あいにくガスパリーニの作品はリストにはなかった。でもなんらかのかたちでバッハはこのガスパリーニ作品の楽譜 ―― 出版譜か、それともだれかさんの筆写譜なのか ―― を手に入れて、あるいは借りていたはず。でなければ書き写せないし。

2). この前見た「クラシック音楽館」。ちょうど一昨年の今月に東フィルの実演でも接したリストの「レ・プレリュード」に、ルーマニア出身のピアニスト、ヘルベルト・シュフさん独奏によるリストの「ピアノ協奏曲 第1番」… もよかったんですが、なんといっても ―― これ生放送も「らじる」で聴いているから、おんなじことの焼き直しになるけれども ―― バッハのオルガンコラール「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ BWV.639 」は、やはりすばらしい ! と思う。TV でも視聴できて感激 ! で、締めのサン-サーンス「オルガンつき」。たしかこれ、レジストレーションが少々おとなしい … みたいな感想を書いた記憶があるけど、じつは指揮者メルクルさんが自身の本拠地リヨンにある、名匠カヴァイエ-コル建造の大オルガンの音色を「忠実に」再現しようとしたがため、ということが判明。なんでもリヨンのそのカヴァイエ-コル・オルガンは、サン-サーンスも弾いた楽器なんだという … むむむ奥が深いな ! でも以前「クラシックカフェ」かなんかで聴いた、小澤征爾指揮ボストン交響楽団による「オルガンつき」の、豊かな残響を持つ空間にひろがるオルガンの迫力ある音響、というものがある種理想のように思えていたため、ついそれと比較して「おとなしい」、迫力不足のように感じてしまった。そういう意図が働いていたのか。

 … ひきつづいて放映された「プラス」で登場したのは … なんとなんとあの ( ? ) キャメロン・カーペンターだったのにはおどろいた。… というかなにあの恰好 ?? ギャングみたいな出で立ち。しかもあの髪型 … 幼い子が見たら泣くよ ( 笑 )。

 肝心の演奏は、… 乱暴にひとことで要約すれば、「オルガン版ディズニーランド」。なんというか、「辻オルガン」ですな。あの両足の捌き … 目にも留まらぬあの妙技。たしかにかつてのヴァージル・フォックス以上の、ものすごい「才能」を感じる。ある種の天才です。でもですよ、たとえば出だしのバッハ「前奏曲 ( 「無伴奏チェロ組曲 BWV.1007」)」、あそこまで「足で」弾くことになにか意味でもあるのだろうか。よーく見ていると両手両足というより、左手で弾けるパートまでムリやり足鍵盤で弾いているから、左手がお休みしている場面とかけっこうあったし、またあの編曲 ! クライマックスに向かってバリバリとストップ増強、増強 !! サントリーホールのリーガーオルガンには「水平トランペット」があるから、ひょっとしたらそいつも鳴らしていたのかもしれない。とにかくあの品のない、やたらかまびすしい音色をこれでもか、というぐあいに繰り出しては鍵盤交替を頻繁にしてよりいっそうわけわからん混沌とした響きにしてお茶を濁すというのか、ケムに巻くとでもいうのか、そんな感じ。スエルシャッターの操作も尋常じゃないですよ、やたらスエルペダルをくねくね動かしているし。オルガンという楽器は発音機構上、ピアノみたいには俊敏には反応しませんしね。

 ショパンだってすごいですよ、あの調子で弾かれちゃ、当のショパン本人だってこう言うんじゃないかな。「え ? なにこの曲だれが作曲したの ? え、オレ ?! オレはこんな曲、書いた憶えはないけど !! 」。ようするに編曲というより翻案ですね、完全に「キャメロン・カーペンターのオリジナル」と化している。

 コラール前奏曲などで使われる、「下の鍵盤を弾きながら上のキーも同時に押さえて演奏する」という高度な技法も、ひょいひょい上行ったり下行ったりするような演奏を見ていると、「演奏技巧は達者だな」とは思うけれども、肝心かなめの音楽は心に響いてこない。深みがない。どう転んでも、ワタシの耳には「ディズニーランドかなんかにある、手回しオルガン」の音にしか聴こえなかった。

 この人の演奏家としての特徴は、最後の「星条旗よ永遠なれ」を見るだけでわかる。盛りあがった聴衆に向かって、手拍子を要求しながら弾くあの姿。おなじ「天才」でも、純粋に音楽に集中したいがために公開演奏会を捨てたグールドとはまるで対照的。もちろん、オルガン音楽をはじめて聴くような人にとっては、カーペンターさんのような弾き手も必要かと思う。これをきっかけとして、オルガン音楽の奥深い世界に足を踏み入れるならば、まことけっこうな話ではある。でもとどのつまり「一発芸」であることは否めない。カーペンターふうの演奏こそオルガン演奏のあるべき姿、みたいに思われてしまうと、こっちとしては挨拶に困ってしまう。オルガン演奏における可能性の追求ということだったら、もっとほかのアプローチを探るべきではないだろうか … と安いボルドーの赤を飲みながら思ってしまった。

関係のない追記:今日、たまたま「テストの花道」という番組の再放送見ていたら、出演者の高校生くらいの子たちが「鍵盤」をかぎばん ? なんて答えていたものだからビックリ。「沖天」とか「湖沼」も読めず … というのは、いくらなんでもそりゃないだろ、という感じ。「石灰」や「そば」を「なま」なんて読まないでね。イカや家具、船舶の数の数え方なども … 大丈夫ですか ?? うん、たしかに日本語はむずかしい。

posted by Curragh at 20:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 最近のニュースから
この記事へのコメント
直筆。。。ってすごいですね。
Posted by ヨシノ★カノン at 2013年06月13日 00:39
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