2013年07月22日

50年に一度の水害

 先週水曜日の夜、自分の住んでいるところでもかなりつよい雨が降りました。ところが、つぎの日の朝のニュースで西伊豆町の宇久須・安良里・田子( うぐす・あらり・たご )地区にていわゆる「ゲリラ豪雨」災害が発生したとの報が。そのあと親戚の伯父さんから電話があり、おまえさんとこは大丈夫かと訊かれた。そのときはじめて、安良里集落の三つある河川のうちもっとも大きな ( といっても幅の広い用水路みたいな流れだが ) 浜川が氾濫したことを知った。

 浜川の氾濫 … は、ほぼ半世紀前、三島由紀夫が当時、構想を練っていた書きおろし小説 (『獣の戯れ』)取材のためこの地に二週間ほど逗留したその翌年の 1961 年の夏に一度あった、ということをいまは亡き祖母から聞いたことがあります。当時祖母の家は川沿いにあったので、蔵が浸水してたいへんだったらしい。今回はそのとき以来の氾濫かと思いました。

 その後あらためて地元紙報道や TVニュースの映像を見ておどろいた。龍泉寺 ( りょうせんじ ) という禅寺に向かう橋のあたりで鉄砲水とともに上流から転がってきた大岩が橋の下にはまりこんで、流木などとともに川をせき止めて大量の泥水があふれたらしい。… 川の土手下にある寺の駐車場などに停めてあった乗用車がひっくり返り、民家の軒先に突っこむようにして折り重なっているではないですか … あまりの被害の大きさに絶句した。

 じつは自分も親戚の家とか浜川の近くにあるので、家具の運び出しとか手伝いに行こうかと思ってたんですが、うちの親戚宅は玄関前にあった流しが、氾濫した水に浮き上がって流されてきた乗用車に巻きこまれて下流へ流されただけで、とくに浸水被害はなかったらしい。おまえひとり来たってかえって気を遣わせるし大丈夫だ、とかそんなこんなでけっきょく行かずに終わってしまった … 田子・宇久須地区でも浸水被害があり、地元紙記事によれば人が足りない。でもそんななか、学生ボランティア派遣を専門に請け負っている NPO 法人経由で関東方面から学生のみなさん方が汚泥のかき出しや水に浸かった家具調度の運び出しなどの作業に当たられたということも聞きまして、わりと近くに住んでいながらこういうときになんの役に立たない自分が情けないとも思ったが … しょせんは言い訳なのでこれ以上は蝶々しない。また今週も空模様が気になるところなので、とにかく一刻もはやくふつうの生活にもどれますようにと、ただ祈るのみです。また田子地区の「月の浦」というところには旧国道沿いにソメイヨシノ並木があって、今年もきれいに花を咲かせてくれていたのですが、山側に建つ民家が流出した土砂の直撃を受けたらしく、道路一面土砂で埋め尽くされていた画像とかも見かけて、こちらの被害の大きさにもおどろいています。道路といえば黄金崎トンネル入口直上の急斜面も崩落して、一時片側交互通行だったようです ( いまは完全復旧 )。

 寺の墓地( 祖母の言い回しで言えば、「旧墓っ地」、川を挟んで反対側の小高い山の急斜面にへばりつくように「新墓っ地」がある )にはうちの墓もあり、どうも冠水したらしい。セキトウ( 石塔、墓石のこと )はぶじだったようだが、川に近いお墓がいくつか倒されてしまったらしくて、いまは墓のほうまで手が回らないのでまだまだ手つかずらしい。気の毒なのはお寺さんだ。本堂は床が高いから浸水は免れたようですが、母屋のほうが被害を受けたらしい。橋の下で引っかかっている大石もまだ取れてないうえ、泥まみれ状態の駐車場と寺の境内のほうはこれから重機が入るようで、しばらくのあいだ近寄れないとも聞きました。

 伯父さんによると、漁港の津波よけの「陸閘」が、あの大震災以来、常時閉鎖されてしまっていたので、そのためにあふれた川の水が行き場を失って浸水被害がひどくなったのではないか、とのこと。… うまくいかないものだ。

 … そういえばちょうど 10年前、今年とは正反対の冷夏で多雨だった夏、旧盆の法事で早朝、龍泉寺に出向いたとき、長雨の影響なのか浜川の水位が急上昇して、いまにも護岸のてっぺんに届きそうなものすごい勢いで濁流がいっきに駆け抜けていったことを思い出す。あんな川の流れははじめて見たので、これくらいはよくあることなのか、地元の人はとくに気にするまでもなくお盆の飾りを手に寺に集まってきているなあ、などと考えていた。

 春の彼岸のときに和尚さんの子どもとひさしぶりに対面して、その成長ぶりに目を細めたものですが、とにかく気を落とさず、負けないで、と言いたいです。

追記:先日、こちらの番組を見ました。東海 7県限定なので見ていない方もいるとは思うが、宇久須沖合、ちょうど黄金崎の手前あたりが映し出されたとき、後方の山が大きく削られて地肌をさらしていた光景がやけに印象的でした。あれは宇久須のキャンプ場背面にある採石場。数年前までここの砕石を積み出すための巨大桟橋が沖に向かって突き出していた。新羽田空港の滑走路を建設するさい、ここの山から掘り出した大量の砕石が使われたということも、知っておいて損はない、と思う ( ついでにいちばん上の画像は安良里漁港で、今回氾濫した浜川河口の水門すぐわきにある船揚げ場。10年前のお盆は、このへんからお飾りを海に流した。下の画像は、もっと南の波勝赤壁直下、通称「蛇のぼり」付近 )。

この記事へのコメント
なにが災いするかわからない・・・皮肉なものですねぇ>漁港の津波よけの「陸閘」が、あの大震災以来、常時閉鎖されてしまっていた
Posted by ken at 2013年07月22日 23:53
うちも一度、床下浸水寸前ということがあったので、それ以来、台風や大雨のたびに神経質になってしまいますね … Ken さんもどうかお気をつけて。
Posted by Curragh at 2013年07月23日 10:25
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