2006年05月30日

どのへんがGnosisなのか

 先日、ケルトキリスト教修道院時代のドルイドと修道士との関係について調べるつもりで地元の図書館に行ったはいいけれど、けっきょくめぼしいのがなくて(orz)、ふとうしろの書架に目をやるとグノーシス〜という書名が。例の「ユダ福音書」の件以来、いい機会だからとGnosisなるものについてこのさいもうすこし突っこんで読んでみるのもいいかなと思い、関連書籍を2冊、とりあえず借りてきました(「〜の福音書」は英語ではたとえばThe Gospel according to Saint Lukeのように表記します。ルカ本人の真筆なんかじゃけっしてありません。新約の27正典のうち、ほんとに本人が書いたのはパウロの書簡類くらいのもので、いちばん最後に正典に組み込まれたのが「ヨハネの黙示録」)。

 それと手許の『キリスト教2000年史』という大部の本、キャンベルの本、Webで集めた資料なんかに週末じっくり目を通してみて、あらためてGnosisという「運動」がいかに複雑多岐で、理解しにくいものかを思い知らされることになりました。orz

 (興味のある方は末尾に自分が参照した文献を挙げておきますので参考になさってください)。

 当時のグノーシス主義(グノーシス派)なるものがどんな特徴を持った運動だったのか、まずごくごくかんたんに書き出してみますと、

  • 土台はプラトン哲学的宇宙観で、物質からなる「この世」のあらゆるものは悪。

  • 当時の新興宗教だったキリスト教に特有の現象ではなく、マニ教(摩尼車ってこれと関係あるのかな…??)・ユダヤ教・マンダ教など非キリスト教グノーシスもあった。グノーシスじたいの起源もひじょうに古い(らしい)。

  • グノーシスは一枚岩ではなく、一元論的神学観と二元論的神学観に大別される。おもな流派はウァレンティノス派・バシレイデス派・マルキオン派)。

  • 2世紀(五賢帝時代)という時代背景と当時のヘレニズム神秘思想がグノーシス派台頭に密接にかかわっている。2世紀がグノーシス派の最盛期。

  • キリスト教グノーシス主義では、旧約の神とイエスを派遣した至高神とはべつもの(旧約の神は職人を意味するギリシャ語・デミウルゴスという名で呼ばれる)。

  • 仮現論(docetism)の混入。

という感じでしょうか。

 教義を乱暴に要約すれば、この世の「牢獄」に閉じ込められている人間がそれぞれの内に秘めている「ほんとうの自己」をイエスを通じて「知ること」によってこの世の束縛から解放されて、本来のすまいである至高神(7天よりもはるかかなたの階層にいる。ちなみにそこに到るまで30〜365のaeonが存在する←英会話学校ではありません、念のため)のもとへ帰還することにより救済されるという…なんだかまるでHeaven's gateもどきの、素人から見ればまるでオカルトの世界でどうもついていけません(笑)。ドルイディズムも似たようなものと言われればそうかも知れないが…いや後者のほうがもっと地に足ついていたはず。

 キリスト教グノーシスにかぎって言うと、この世を創造した神とイエスを遣わした神とはちがうということがもっとも重要な点だと思います。ということは、必然的に彼らの用いた聖典には旧約は必要ないことになる(べつものだから)。

 物質をおしなべて悪とみなすのも特徴ですが、仮現論もこの現実の肉体を軽んじることから出てきた発想です(もともとはグノーシスとは関係なかったらしい)。「ユダの福音書」でイエスが弟子に、自分の「ほんとうの姿」を、目を見開いてしっかりと見よ、と檄を飛ばしているのもこれです。でも仮現論ってたとえばトリックスター神の伝承にも通じるところがあって、これはこれで興味深い。「見た目に惑わされるな、本質を見据えよ」ということなので。で、けっきょくイエスの「ほんとうの姿」を見ることができないわれわれは、ユダ以外の弟子もふくめて師匠から「笑われる」。

 はじめて知ったのですが、グノーシス派の古文書ではこのようにイエスがよく笑っています。そのもっとも強烈な例がナグ・ハマディ文書「ペトロの黙示録」、「大いなるセツの第二の教え」に出てきます。十字架の道行きの途中、力尽きたイエスは倒れ、ゴルゴダの刑場への登りをキュレネ人シモンという人が肩代わりして十字架の横木を担いでやるくだり(映画 Passion of the Christ にもこの場面出てきましたね)。これは共観福音書にも出てきますが、なんとグノーシス派では十字架に釘打たれたのはイエスではなくて十字架を運び上げる肩代わりをしただけのはずのシモンだった?! イエスがシモンで、シモンがイエス? と見た目に惑わされてはいかん、ということらしい。そしてイエスは無知な群集を見て笑っている(なんてイヤみな奴…)。

 ちなみにこの話、なんとコーラン(クルアーン)にも出てくるとか(!!)。イスラム教教祖ムハンマドは、グノーシス派の隠修士から「キリストは十字架上で死んだのではない」話(もちろんこれは仮現論のこと)を耳にしたらしい。当時のグノーシス思想がいかに流行っていたかということを暗示するエピソードですね。

 以上、とりあえず思いつくまま列挙したことを念頭において「ユダの〜」冒頭部を見てみると、


<試訳>

 イエスは地上に現れると、人類救済のために、数々の奇蹟と驚くべき御業をおこなった。正しき道を[歩む]者もいたが、滅びの道を歩むものもいた。それゆえ12人の使徒が集められた。

 イエスは弟子たちにこの世を越えた神秘と、世の終わりになにが起こるのかについて語りはじめた。弟子の目には、イエスが子どもの姿に見えることがたびたびあった。
 
1. イエスと弟子との対話 : 感謝の祈りについて

 ある日、イエスは弟子たちとともにユダヤの地にいると、弟子たちが集まり、神妙な顔つきで祈っていた。イエスが弟子たちの[もとへ来ると]、彼らは[ここから写本34ページ、以下同]車座になってパンに感謝の祈りを捧げていた。それを見て[イエスは]笑った。
 弟子たちは[イエスに]尋ねた。「先生、なぜ[わたしどもの]感謝の祈りを笑うのです? わたしどもは正しいことをしています」
 イエスは弟子たちに答えて言った。「おまえたちを笑っているのではない。<おまえたちが>祈りを捧げるのは、まことの御心から発したからではない。おまえたちがその祈りで[賛美するのは]おまえたちの神なのだ。それゆえ笑ったのだ」。
 「先生、あなたは[…]われらの神のひとり子です」
 イエスは弟子たちに言った。「なぜわたしを知っていると言える? はっきり言っておく。おまえたちに属する時代の者がわたしを知ることはない」。

怒る弟子たち

 弟子たちがこのことばを聞くと、彼らはひどく腹を立て、心のうちで師を罵りはじめた。
 イエスが弟子たちの理解のなさを[見て取ると、彼らに言った。]「なぜこのようなことで心をかき乱され、腹を立てるのだ? おまえたちの内なる神と[…][35]が心のうちでおまえたちの怒りに火をつけたのだ。人のうちで[力ある]者は、内なる完全な人間を引き出しわたしの前に立ってみよ」。
 弟子たちは答えた。「力ならあります」。
 しかし彼らの霊はイエスに面と向かって立てなかった――イエスの前に立てたのは、イスカリオテのユダただひとりだけであった。だがユダはイエスを直視することはできず、イエスから顔をそむけた。
 ユダ[はイエスに言った。]「先生がだれで、どこから来られたのか知っています。先生は*永遠の王国バルベーロから地上に降りてこられました。先生を地上世界へ遣わせた方の名は、わたしの口からはおこがましくて言えません」。

 * …バルベーロは語源不詳。ソフィアと同一視される。ウァレンティノス派以前に「バルベーロ・グノーシス」派というのがあったらしい。→こちらのサイトに若干の説明あり。


 非キリスト教グノーシスのマンダ教についてはちょっとおもしろいことを発見。この古代非キリスト教グノーシス派唯一の残存教団は、つい最近までイラン・イラクあたりで活動していたらしいのですが、このマンダ教三大聖典というのがありまして、うちひとつがなんと「ギンザ」!! …宇宙の起源について詳細に述べられている聖典ということです。

 …グノーシス関係は内容が内容だけに、浅学非才のアタマはときおりウニになってしまいますが、読みくたびれてきたときにこんなおかしな発見があると、つい「4丁目の山×楽器…」とかってくだらん合いの手を入れたくなってしまいます。

 …いや話題が話題だから、聖書図書館と言うべきか。

参考文献

  • Lion Publishing edition of The History of Christianity, Lion Publishing, Oxford, 1990. 邦訳 : 『キリスト教2000年史』井上政己監訳 いのちのことば社 東京 2000. 

  • 筒井賢治著『グノーシス――古代キリスト教の異端思想』講談社選書メチエ 東京 2004.

  • Norbert Brox, Kirchengeschichte des Altertums, Parmos Verlag Düsseldorf, 1983. 邦訳 : 『古代教会史』関川泰寛訳 教文館 東京 1999.
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