2013年09月16日

「旅立つ最愛の兄に思いを寄せる奇想曲」

 バッハのこの愛らしいクラヴィーア作品( BWV.992 )については、ここでも言及したことが何度かあるけれど、このほど本邦を代表するクラヴィーア奏者二名による音源をじっくり聴いてみまして、あらためてこの若き天才の片鱗がうかがえる鍵盤楽曲について書いてみたくなってしまった。

 最初に聴いたのは渡邊順生氏による、その名も「グスタフ・レオンハルトの思い出に捧ぐ」!! 渡邊氏書き下ろしのライナーによると、いちおうこの作品はすぐ上の兄ヨハン・ヤーコプ・バッハに捧げられたもの … ということになってはいるが、高名なバッハ研究者クリストフ・ヴォルフの唱える「異論」を紹介し、この従来説に疑問を呈している。いわく、BWV 番号でつぎの作品である「奇想曲 ホ長調 BWV.993」のような「ヨハン・クリストフ・バッハを讃えて」とかいった「献辞」がないこと、「兄」を意味するイタリア語は fratello なのに、『メラー手稿譜集』所収の筆写譜( バッハの現存する鍵盤作品最古の直筆楽譜として、オルガンコラール「輝く暁の星の麗しさよ BWV.739 」がある )の表記は 'fratro' となっている。これはイタリア語にもラテン語にもない綴りなので、日本語で言えば「兄貴分」くらいの意味、つまり実の兄さんというより兄ちゃんとして慕っていた級友のことではないか、候補としてはたとえば後年の「エルトマン書簡」で知られるゲオルク・エルトマンではないか、とヴォルフは推測している。加えて渡邊氏は、「この作品は誰かとの別離に際して書かれたものではなく、バッハが、誰の身にも起こりうる家族との別離を想定してこの曲を作曲した、という可能性も排除できない」、と書いている。

 このライナーにも書いてあり、その後図書館にて『バッハ事典』の記事を確認したときにもおんなじことが書いてあって、言われてみればああそうかなんですけれども、この作品、じつはトーマスカントルのヨハン・クーナウの作曲した「聖書ソナタ( 1700年出版 )」に触発されて書いたものらしい。… これもなにかの縁ですな、後年バッハはそのクーナウの後任としてトーマスカントル職を奉じることになるのだから。ついでながらこの「聖書ソナタ」、かつてレオンハルトオルガンとチェンバロを弾き分けつつ、みずからドイツ語のナレーションを吹きこんでもいる。… 「古楽の楽しみ」ではじめてその音源の存在を知った … ほしい。

 個人的に注目したいのは、この「奇想曲」、カプリッチョと題された組曲のうち、第三曲「友人たち皆の嘆き」というパッサカリア。ご承知のようにパッサカリアもシャコンヌも元来は実用音楽というか、踊りのための音楽で、たとえばハプスブルク宮廷で活躍していたゲオルク・ムッファトの鍵盤楽器用パッサカリアとかシャコンヌとかはそんな雅な雰囲気が、悪く言えば「貴族趣味」が芬々と漂う。ところがバッハとなると、「オルガンのためのパッサカリア BWV.582 」や有名な「シャコンヌ BWV.1004 」などに代表されるように、「楽しい踊りの音楽」というよりなんかもうバロック版「悲愴」みたいなきわめて内省的かつ重大深刻な印象を持ってしまう。おまけにバッハという人はここぞ、という場合にしか変奏曲形式を採用しない主義みたいなところがあり、たしか独奏楽器のために書かれた「パッサカリア」も「シャコンヌ」も、独立した楽曲としてはこのふたつしか存在していない、と思う( もっとも後者は「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」中の一曲ではあるが )。悲しみとか嘆きといった感情表出とこれら変奏曲形式との結びつき … というのが、ひょっとしたら少年時代から最晩年までバッハの心には宿っていたのかもしれない。バッハの伝記を読むまでもなく、当時の社会における「死」は、いまとはおよそ比較にならないほどに身近なものでしたし。

 いまひとつは小林道夫氏による 2009年 10月録音の音源( 「バッハ:カプリッチォ 小林道夫の芸術 V 」 )。収録場所が、なんと「杜のホール はしもと」!! 一度だけ、「ボニ・プエリ」来日公演で聴きに行ったホールですが、たしかに響きのよい音楽ホールだと感じた。木がふんだんに使われているのもいいし。そしてなにより感心したのは、ここがショッピングセンターに公立図書館までが入った複合文化施設で、しかも駅前にあるという点 ! 自分の地元にもこういうのがあればいいのに、といつも思っている。

 ちなみに小林氏のライナーでは、第三曲目が「シャコンヌ」になってます。… 枝葉末節の事柄ではあるが、表記としてはどっちがよいのだろう ?? 渡邊氏はこの作品を「表出性、フーガにおける主題展開の技法、演奏技巧面の充実など様々な面で、この大先輩( クーナウのこと )の作品に勝るとも劣らないレヴェルに達している」と絶賛していますが、対する小林氏はというと、たとえば終曲に関しては「バッハのフーガは、この世の奇蹟と言いたい程の作品が多いのだが、さすがにこの終曲( 引用者注:終曲はフーガ書法で書かれた「御者の角笛」 )は彼の若さが露呈していると言われる。たしかに弾いていると、あれ、これで良いのかなと思う音が無いわけではないが、勢いの良い主題と、… 郵便馬車の揺れをあらわすような音型など、むしろ若さの魅力があふれていると受けとれ」ると述べている。… うーむ、おなじ作品とて、弾き手がちがえば感想もそれぞれ、とても参考になりますね ! といってもいつだったか故吉田秀和氏が「金字塔」と評したウィーン・フィルのおんなじ公演を、かたや「疑問符をつけざるをえない」みたいに評されたりしたのでは、読まされる側としてはどうにも困ってしまう。もっともこの「批評」にかんしては音楽だけでなく絵画や文学なんかもみんな似たような問題を抱えているので、なんとも言えない。

 それはそうと、先日、NHK 静岡の朝のニュースを見ていたら、こういう話題が取り上げられていて、これはすばらしい取り組みだ、と思ったのでここでも紹介します。主宰者の演出家先生のおっしゃるとおりですよ、ほんとに。本来、音楽であれ演劇であれ、もっとも見たがって / 聴きたがっているのは金満な聴衆ではなく、若い貧乏学生だったりするわけですよ。それなのにやはり損得勘定が最優先されるのか、この手の公演の料金設定ってどうしてこういつも高いのだろう ?? と個人的にいっつも感じていたことなので、こういう試みはぜひぜひ長くつづけていただきたい、と思う。ちなみにこの「観劇料金はご随意に」方式をはじめて採用した今回の演劇祭、採算はしっかりとれたそうですよ。こんな試みが音楽でも、たとえば東北の被災地などでもっと花開けばよいと思う … ひょっとしたらもう始まっているのかもしれないが。ショービズという名の示すがごとく、現行の公演事業はあまりにも商業主義かつ集客第一主義、金儲け第一主義に走っていると思いませんか。

posted by Curragh at 15:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽関連
この記事へのコメント
Curraghさん、ご無沙汰しております。

すっかり秋めいてきましたが、台風はいかがでしたでしょうか。京都市内では、文化財など、浸水や土砂崩れで被害が出ましたが、住んでいるあたりは被害らしい被害はありませんでした。

ところで、 BWV992の第3曲です。手稿譜を確認してみましたが、「Adagiosissimo」、そして「Ist ein allgemeines Lamento der Freunde」(友人たち皆の嘆き)と表記されているのみでした。つまり、渡邊・小林両氏がこの曲を、パッサカリアとみなしているか、シャコンヌだとみなしているのか、そういうことだと思います。パッサカリアもシャコンヌも、事典的な区別はできても、バロック時代にはかなりあいまいだったようで、じっさいクープランの曲には「パッサカリアあるいはシャコンヌ」と題された曲もありますね(どちらの特徴も含んでいるということなのかも)。
Posted by aeternitas at 2013年09月18日 20:20
aeternitas さん、

台風ですが、浜松の方では風雨ともにかなりひどかったらしいのですが、こちらはそれほどでもなく、ゴーヤもヘチマもなんとか嵐を切り抜けました … が、またしてもおんなじような位置で台風発生です。渡月橋の映像にはおどろきました。桂川があのように氾濫したことは、かつてあったのでしょうか ? お気遣いありがとうございます。

図書館に行ってきたついでに、『音楽中辞典』を繰ってみました … 以下、それぞれを抜粋してみると:

シャコンヌ ... バロック時代にシャコンヌはパッサカリアとほぼ同義に使われたが、後者は明確な低音旋律の進行にもとづいて変奏が展開されるのに対して、前者は一定の和声進行が変奏の基盤となっている。…

パッサカリア ... シャコンヌとほぼ同じ性格で、同義に使用されることも多いが、パッサカリアの低音旋律は一般に短調である。…

パッサカリアの低音旋律が短調、とのことですが、バッハの「シャコンヌ」も「パッサカリア」も、ともにニ短調とハ短調であったりするので、あんまり当てにはなりません( 苦笑 )。ちなみに当該項目の筆者は米田かおりさんという方です。

クープランとかフランス古典ものの器楽作品についてははなはだ知識の薄い分野で、おそらく「古楽の楽しみ」あたりでいくつか聴いているかもしれないですが、NML であたってみることにします。おっしゃるとおり当時は「どっちの曲名にするか、はお好みで」みたいな感じですね。どっちでもいいのでしょうけれども、西洋人名の表記問題のごとく、どっちかに決めないとどうにも落ち着かなくなる性格が災いして( 苦笑 )、このように書いてしまいました。

ここでごく個人的なことも書かせていただくと、いまさっきいつも行っている図書館から帰ってきて、小学館「バッハ全集」から教会カンタータの巻と「サー・ネヴィル・マリナー指揮 英国の四季」の二枚を借りてきたつもりが … どうやらキツネが出たみたいで、バッハのほうではない CD が、まるで見憶えのない CD に化けてました。マリナーのほうは以前借りられずにいてとても楽しみにしていたので、烈火のごとく( ? )怒ってます。
Posted by Curragh at 2013年09月21日 20:34
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/75802395
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック