ここまで聴いてきて、あきらかに自分のなかにあったバッハ像は変わった、と思う。どう変わったか、といえば、いろいろあって一言でまとめるのはなかなか … なんだが、乱暴に要約すると、バッハという人の音楽作りのやり方ないし流儀を理解するためには、バッハ好きならばなんでもいいからとにかく教会カンタータを聴くべきだ、と思うようになった。オルガン作品好きならおなじみの「前奏曲とフーガ」形式も、じつは教会カンタータ作品にかなり流用されていて、カンタータという声楽作品に用いられた「前奏曲とフーガ」形式から、オルガン用のそれを見ると、たとえばいかにも器楽的な、即興的にも思えるようなパッセージひとつとってもそこにはきわめて声楽的な「歌」が潜んでいることに気づくようになるとか … 鍵盤作品の楽曲解釈という点でも、教会カンタータ作品を知ることで得られるものは大きい、ということもあらためて知った。フーガひとつとってみても、バッハがこの形式を教会用の声楽作品でいかに活用したか、についてその実践例をいくつも聴いていくと、いままでおなじみだと思いこんでいたオルガンフーガの数々もまた新鮮に聴こえたりする … 以上あくまでディレッタントの感想ではあるが。また、楽器の使用法にも意味があったりということもあらためて知った … たとえば「審判」、「勝利」を表象するトランペット、「狩り」を象徴するホルン、「受難」を暗示するフルートとか … バッハは歌詞台本やカンタータ上演当日の礼拝で朗読される聖句や福音書の引用箇所などのテキストにもっともふさわしい楽器編成 ―― もっともその楽器の演奏者が手配できなかったりすると話はべつだが ―― へと変更して総譜およびパート譜を書いていたらしい。ついでに楽器編成にコルネットが追加される場合もありますが、これは現代の、金ピカに光るあれじゃなくて、じつはマウスピースのついた木管楽器なんであります。
小学館『バッハ全集』の解説本にくっついている「インタヴュー付録」の「編集部だより」にはすばらしいコメントが紹介されていて、いわく、「バッハの教会カンタータは、汲めども尽きぬ人生の喜び」のようなものだ、と。たしかに。じっさい聴いてみて、ああもっとはやく聴いていればよかった、と感じたこともしばしば。
もっとも有名な定番曲、ボーイソプラノのソロがひじょうに美しい曲とかは以前からよく聴いていて、最初から順番に聴いていってそんなアリアとかに突き当たるとやはりうれしい。また知っていたつもりではいたが、「チェンバロ協奏曲 BWV.1052 」とか「同 BWV.1056 」の有名な「アリオーソ( こちらはカンタータ 156番冒頭のシンフォニア )」、「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ BWV.1006 」冒頭の前奏曲( シンフォニア、カンタータ 29番 )とか、オルガンのための「トリオソナタ」の緩徐楽章などが流用、というか転用されている作品がけっこうあって、あ、これはあの曲じゃん、とそういう点でも楽しめるところがまたバッハのいいところでもある。こうした転用ないしパロディ手法は、最晩年の大作「ロ短調ミサ BWV.232 」などを引くまでもなく、たんなる「手抜き」ではありません !
今月中旬だったか、「古楽の楽しみ」で「詩編曲特集」というのがありまして、バッハのカンタータからは 196 番と 131 番が取り上げられていた。後者は「深い淵の底から … 」ではじまる有名な「都上りの歌」のひとつ、「詩編」第130番を全曲通しての歌詞として使用したもの。番組ではこの二曲のみだったが、いま聴いている BWV.138 から 149までのつぎの巻に収録されているカンタータ 150番も、詩編歌のみで構成されたカンタータにして、現存するバッハの教会カンタータ中、おそらくもっとも古い作品ではないかという。ライプツィッヒ時代に作曲された傑作にも好きなアリアとかあったりしてそれはそれでいいのだけれども、ここまで聴いてきた感想としては、たとえば以前ここでも触れた「ソナティーナ」がひじょうに印象的な 106番(「神の時は最善の時 / 追悼行事」) や 143番のようなヴァイマール時代かそれ以前のミュールハウゼン時代の、まだ若かりしバッハの手になるカンタータにおおいに心惹かれています。今後はこの若きバッハによって作曲された一連の教会カンタータをもうすこし突っこんで聴いてみたい、とも考えている。
本日は、「大天使ミカエルの祝日」。ちょうどおあつらえ向きに、いま聴いている巻に収録されたカンタータにこの祝日用に作曲されたカンタータもある( 149番 )。4曲目のソプラノのアリアがまた、美しい。解説にもあるように、天使の飛翔を思わせるような弦楽器の伴奏に乗って楽しげに歌う、ハノーファー少年合唱団員だったセバスティアン・ヘニッヒのソロがすばらしい。ちなみにここのアリアの歌詞は、
神の御使いは離れない、
わたしのそばで最後まで。
わたしが眠れば見張りをし、
わたしが歩み、わたしが立てば、
手でわたしを運んでくれる
関係のない追記:いつものように本題と関係ない追記ではあるが … NHKラジオ第2 で放送中の「英語で読む村上春樹 / 世界のなかの日本文学」が、すこぶる刺激的で示唆に富み、かつおもしろい !! こっちももっとはやく聴取していればよかった。来月分からまじめに取り組もう、と決意したしだい ( 苦笑 )。本邦を代表するロシア・ポーランド文学者、沼野充義先生のお話には深い共感をおぼえます。こんなふうに英訳とつきあわせて徹底的にテキストを読みこむ、という態度は、ある意味たいへん貴重な試みかと思う … 昨今の英語関連講座のなかでは。
このたび、ドイツ最新ミステリー「バッハ 死のカンタータ」を翻訳出版しました。大成出版からです。
失われたといわれる200曲のカンタータ、
ハンブルク・パルティータやイタリア協奏曲第2番が発見された物語です。
ドイツの現在、東西統合後、戦後mそしてバッハの生きた時代が豚追です。
藤田伊織
出版社のページはこちらです。
https://www.taisei-shuppan.co.jp/scripts/newbooks_detailed_info.php?code=3145
63番、けさの「古楽の楽しみ」でもかかってました ! きのうの朝に聴いた 132番も、定番とも言うべきアーノンクール / レオンハルトの全集盤でかかってましたね。
それと御訳書についても情報ありがとうございました。本屋さんで探してみますね。
バッハ音楽関連のサイトのほうもたいへんな充実ぶりで、おどろきました。また拝見させていただきます。