2013年10月14日

「音楽記念帳」のこと

 以前、ここでも書いたことのつづきみたいになってしまうけれども、モーツァルトがその場で書きつけたという「小ジーグ ト長調」。いま図書館から借りている『バッハ全集』解説本に、たいへん興味を惹かれる記事があったので、あらためて備忘録程度にメモらせていただきます。

 そもそもこの「ゲストブック」なるものはなにか ? について、とんと知らなかったものだから、音楽学者の伊東辰彦先生によるこの論考はすこぶるおもしろく、かつ参考になった。

 このゲストブックの起源については諸説あるようですが、伊東先生によると、ドイツにおける宗教改革運動の中心だったヴィッテンベルク大学の学生のあいだではやった習慣がそのはじまりだったようです。晴れて大学を卒業するにあたって、卒業生が恩師や学友たちに餞別のことばを書きこんでもらうための「白い用紙( 当初はただたんにラテン語で album と呼ばれた )」を用意したことが、この「ゲストブック」のはじまりだったらしい。

 時代は下っても基本的な機能は変化なかったようで、とりわけ知識と教養ある市民階級にとってはひとつのたしなみであり、社交辞令上も無視できない存在だったようです。もちろん気のおけない友だちどうし、あるいは遠方の親戚とひさしぶりに会って、ふたたび別れるときにこの「用紙」に、「たがいの絆、友情」を確認するために使用した、なんてことも多かった … ドイツ人は几帳面とはいえ、こんな記帳の習慣まであったとはね( なんだか「ヒゲじい」みたいな書き方になってしまった )。

 日本でもたとえば「寄せ書き」なんてのがあったりしますが、このドイツにおける「ゲストブック」、伊東先生の言い方を借りれば「音楽記念帳」に書きこむ習慣というのはそれとは比較にならないほど重要なものだったらしい。いまふうの言い方をすると、FB あたりの「ウォール」に似ていなくもない … 気もするが、これを研究する側から言わせると、その人の人間関係のみならず当時の社会背景まで俯瞰しうる貴重な証言者でもある。… そして掲載されている図版を見てびっくり。たとえばバッハやクーナウの先輩にあたるトーマスカントルのヨハン・ヘルマン・シャインとか、シャインとならぶ「ドイツ 3S 」のひとり、ハインリヒ・シュッツといった作曲家直筆の「記念帳」が残っていたりするんですぞ ! シャインのそれには、きれいな円形状に書いた五線譜に「1 テンプス[ ブレヴィス ]間隔のフーガ(またはカノン、テンプスとブレヴィスについてはこちらの記事が参考になるかも) 」を書きつけ、「息あるすべてのものに主をほめたたえさせよ / おお、時よ、おお、世の習いよ ! 」という献呈の詞まで付しているという凝りようです(p. 173)。

 同論考によりますと、この「記念帳」、本来は「縦長」判型だったものが、17世紀半ばを境にして「横長」の用紙に書くのが主流になり、18世紀以降は専用の函に保管するようになり、ばらばらの用紙の使用もはじまった。ライプツィッヒでモーツァルトが記入したのも、こういう「記念帳」だったんだろう。ちなみに音楽家の場合、こういう帳面に記入するのは伝統的には短いカノンだったが、18世紀半ばというからちょうど大バッハが亡くなったあたりから、ドイツリートなどの歌曲やピアノ小品へと変わっていったという。

 そのバッハですが、モーツァルト同様、「音楽記念帳」用として作った「小カノン」作品がいくつか残ってます … BWV. 1073− 75、1077、1078 の 5曲はバッハ本人の書いた献呈辞が残っていて、うち 1073、1075、1077 は自筆資料が現存している。「二声の無限カノン BWV.1075 」はさる「名親」氏宛てに書かれ、献呈辞もドイツ語で書かれている。対して「主題にもとづく二重カノン BWV. 1077 ( ↓ 参照 )」のほうは当時ライプツィッヒ大学神学部学生だったヨハン・ゴットフリート・フルデなる人に宛てに記入されたもので、この「記念帳」にはライプツィッヒ大学総長とかハレ大学の哲学科教授とか、錚々たる面々も「記帳」しているからなのか、バッハもこのフルデ氏宛てには献呈辞をラテン語の定型句を使って書き、しかも BWV.1075 とは比較にならないほど手のこんだ「謎かけカノン」形式で記譜している。つまり献呈する相手によって、あるいは TPO によって使い分けていたということか。ともあれ、これら一連のカノンを収録したアルバムはあいにくなかなか見つからなかったりするけれど、自分は以前、おなじ『全集』に収められた弦楽合奏版で聴いたことがあります … そのこともたしか前にここで、「なんだか現代音楽を聴いているみたいだ」とかなんとか、書いた憶えがありますが、バッハの息子たちもやはり同様の「記念帳」に小品を献呈していたりするので、この「記念帳」の伝統がいかに深くドイツ人のあいだに根を下ろしていたかがわかります。この「記念帳」ないし「ゲストブック」、なんと 20世紀前半までつづいていたという。そのときにはどちらかというと「寄せ書き」っぽくなって、その呼び名もいかめしい「友情の形見」から、「詩のアルバム ( Poesiealbum )」、またはたんに 'Poesie' と呼ばれるようになったようですが。

 バッハとその息子たち、そしてモーツァルトとときて、最後にベートーヴェンも出てきます。ヴァルトシュタイン伯爵が、ボンを旅立とうとするベートーヴェンに対して送ったという餞のことばも、じつはこの「記念帳」に書かれているという。「…モーツァルトの魂をハイドンから受け取るように…」。

 小林義武先生などもそうだと思うけれども、この手の「古文献」を研究し、日々、それらと向き合うことを仕事としている人たちは、ワタシのような門外漢から見ますとやはりうらやましい … 気もする。伊東先生は論考のなかで「音楽記念帳」について、本格的な研究調査が望まれる、とも書いていますが、こういう文献の調査研究って、その昔カール・セルマーが欧州大陸の図書館を渡り歩いて渉猟した、ラテン語版『聖ブレンダンの航海』の写本群の調査研究と、どことなく通底しているような気がする。「使用したインクはどんなものか」、「透かしはなにを使っているか」といった科学的調査や、「様式上の変遷」といった「文献的な」調査とか、中世の古写本群にもバロック時代の「音楽記念帳」でも、やってることはそんなに変わらないかもしれない。そしてなんといってもこういう学者が扱うのは、いずれの場合もおなじく、はるか昔の人がじっさいに紙の上に「書いた」ものにほかならない。デジタルな資料はあっという間にキャンセルできたり、永久に「消去」できたりするけれども、こういった昔ながらの資料というのは、焼失したとか虫喰っちゃったとか、物理的損害がないかぎりは何百年もあとまで残るものですし。

 … もっとも自分の場合、そういう「もの」に対して、ただたんに漠然とした憧れを抱いているだけなのかもしれない。

J.S. バッハによる 1747年10月15日記入の「主題にもとづく二重カノン」


 … そうだ、今日は親戚の子の誕生日だった。Yくん、Happy Birthday to You !!! 

posted by Curragh at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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