こちらとこちらの「マンデラ語録」を見ますと、やはり真にすぐれた人というのは言うことがちがうなーと、月並みな感想で申し訳ないがほんとうにそう感じます。とくに「勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ ( The brave man is not he who does not feel afraid, but he who conquers that fear. ) 」というのは、長きにわたる苛烈な投獄体験がにじみ出ているような、すごい力を持ったことばかと思う。
前にも書いたけれどもいま、村上春樹氏の『かえるくん、東京を救う』の英訳を読む講座を「受講」してるんですが( わりとまじめに聴講しているリスナーだと思う )、この講座を通してはじめてこの短編にはドストエフスキーやヘミングウェイなどの世界文学の錚々たる面々も「かえるくん」の口を通して語られるということを知り、そしてその中にはニーチェも含まれていることも知った( 今月号テキストに出てくる )。で、これもまったくの偶然ながら、いま図書館からそのニーチェの代表作( と言っていいのかな、『善悪の彼岸』とか『人間的、あまりに人間的』とかもあるので … )、『ツァラトゥストラはこう語った』のちくま学芸文庫版(『ニーチェ全集 9』)を借りて読み進めていたところだったので、そういう目で上記マンデラ元大統領の引用を見ると、ニーチェの説く「超人」というのはこういう人のことなのでは … という気さえしてくる。
数年前の映画のタイトルにもなったラテン語の Invictus。'morior invictus' という言い方もある。「死ぬまで屈せず」。マンデラ元大統領はロベン島の監獄に収監されていたとき、仲間の政治犯たちに、このおなじラテン語を題名にした英国の詩人ウイリアム・アーネスト・ヘンリーの作品を朗読して聞かせていたという。そんなマンデラ元大統領の人生は、和風の言い方をすれば、まさしく不撓不屈の闘士そのもののだったと思う。
… 図らずもいま、この国では特定秘密保護法案が日本版 NSC とセット( ? )で ――昔とちっとも変わらぬやり方で ―― 可決され、為政者たちはけっきょくなにをどうしたいのだろうと不信感を募らせている人が大半なんじゃないかって思います。で、たとえばまっとうなデモ活動を「テロと同類」みたいに口走ってしまう代議士を見ていると、いやでも器の差を見せつけられる思いがする。
国家とは、すべての冷ややかな怪物たちのなかで、最も冷ややかな怪物のことだ。じじつまた、それは冷ややかに嘘をつく。そして、次のような嘘が、その口からひそかにもれる。「われ、国家は、民族なり」―― ニーチェ『ツァラトゥストラ』( 吉沢伝三郎訳 )
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