『原典 ユダの福音書(原題 : The Gospel of Judas from Codex Tchacos)』、発売早々、Amazonジャパンに発注。さっそく読んでみました。
感想の前に、いまいちどこのたび「再発見」された、「ユダの福音書」なるグノーシス派のパピルス文書のかんたんな内容を書き出しておきます(以下は引用・転載自由と書かれたこちらのblog様の記事を参考にして再構成したもの)。
1). イエスが過越の祭りの3日前、イスカリオテのユダとの8日間の対話で語った秘密の啓示。イエスは地上に現れ、人類の救済のために数々の奇蹟をおこない、12人の弟子を選んだ。弟子たちの目には師イエスは子どもの姿に写った。ある日、イエスは[おそらく最後の晩餐の席]弟子たちがパンに感謝の祈りを捧げているのを見て、笑う。おまえたちは『自分たちの神』を賛美しようとしている、と言う。弟子たちは、「先生こそわたしたちの神の息子にほかならない」と応じるが、イエスはそんな弟子たちに、おまえたちの世代はだれひとりとしてわたしの「真の姿」を知ることはできない、と答える。
2). このことばを聞いた弟子たちは怒り、心のうちでイエスをののしりはじめる。イエスは、おまえたちの仕える劣等な神が怒りに火をつけたのだと言い、わたしの前に「真の霊」を引き出して立ってみよと問いかける。これに応じたのはユダただひとりだけだったが、ユダは顔を向けることはできなかった。ユダはイエスに、「先生はバルベーロ[2-4世紀のグノーシス文書に頻繁に言及される女性神格]なる不滅のアイオーンから来られた方です」。これを聞いたイエスはユダをほかの弟子たちから離し、ユダにのみ秘密の神秘を明かすと言う。イエスはユダに、おまえはほかのだれかによってその座を追われる。12使徒がふたたび神とともにひとつとなるためにと伝え、そしてユダの前から去った。
3). 翌日、どこへ行っておられたのかと問う弟子たちに、イエスはべつの次元の世界へ行っていたと答える。弟子たちが、その世界とはなんですかと問うと、イエスは現し世の死せる世代には見えないまったく別次元の世界だと答えて、笑う。
4). べつの日、弟子たちは自分たちの見た夢についてイエスに質問する。夢の中で、12人の祭司が多くの罪を犯していた、自分たちの子どもを生贄として捧げたり、男と床をともにしていたと。これら12人の祭司はイエスの名を唱えながら祭壇へ歩み寄った。イエスは、「恥知らずにもわたしの名において実らぬ木を植えた」のはほかならぬおまえたちだと答える。この12人の祭司が捧げた牛は、祭司たちが迷わせた人々だとも言った。この祭司たちのあとにつづく者が子どもたちを殺し、男とともに寝て、「神」はこれら捧げ物を「神に仕えるひとりの祭司」から受け取ってきたと言い切る。これらの者は、地上世界の終わりの日に貶められるとイエスは答え、弟子たちに、自分と争うのはやめよ、生贄を捧げるのもやめよと諭す。
5). ユダは師イエスに、「現し世のある世代」はどんな果実を実らせるのかと訊く。イエスは、肉体は滅びるが霊魂は高みへ引き上げられると答えた。「べつの世代」については、岩にまかれた種は実らない、それを引き起こすのが「堕落しがちなソフィア」なのだと言って、その場を離れた。
6). ユダはイエスに、こんどは自分の見た夢について教えてほしいという。イエスは笑いながら、「13番目の霊よ」とユダを呼ぶ。ユダの見た幻は、12使徒から石を投げつけられているというもの。ユダは群衆の取り巻く大きな館にやってくる。イエスは、おまえの星はおまえを迷わせてしまったと言い、朽ちる運命の人間にはこの館に入る資格はないと答える。イエスはここで「不死の王国」の神秘と、「12のアイオーン」について語る。
7). ユダはさらに「自分の種子」の運命が宇宙の支配者たちに握られているのかどうか訊く。イエスは、「おまえは13番目となり、ほかの者たちから呪われるが、最後にはほかの世代に君臨する」と告げる。イエスはユダに、だれも見たことのない神秘について話す。「果てしなく広がる大いなる王国」に「不可視の偉大な霊」がおられる。つづいて「アウトゲネース、自ら生じた者」という光り輝く者が「光る雲」から生まれ、それが無数の天使と「光り輝くアイオーン」を誕生させた。何者かが[アダマス?]不滅のセツのアイオーンを出現させ、同様に72の「光り輝く者」を生んだ。72の光り輝く不滅のアイオーンは「360」の不滅の「光り輝く者」を生む。12のアイオーン、ひとつのアイオーンにつき6つの天、すなわち72の光り輝く者に72の天を創造した。おのおのには5つの「空[現代英訳ではfirmament]」があり、合計360の「空」が作られた[たぶん認知できない領域である永遠と時間が支配する下位世界である宇宙の創世について述べたもの]。
8). その後ひとつの雲から、ネブロもしくはヤルダバオートと呼ばれる者が現れた[旧約聖書の創造神と関連づけられることが多い。ほかのグノーシス文書ではネブロはサクラスと一対で、12の天をもたらした]。ネブロはお供として6人の天使を創造した。うちひとりが「サクラス[アラム語で「ばか者」の意、ヤルダバオートとともに旧約聖書の神と同一視される]」で、これら6人の天使がさらに12人の天使を誕生させた。5人の天使がこの世を支配する――セツ、ハルマトート、ガリラ、ヨーベール、アドーナイオス。そしてサクラスが天使たちに言う。「われらの姿かたちをまねて、人間を創ろう」。こうしてアダムとイヴが生まれた。
9). つづいてユダは、人の一生の長さについて訊く。イエスは、「大天使ミカエルは神の命により、人々に質として霊をあたえているが、また神は大天使ガブリエルに、『大いなる世代』には霊を贈り物として授けている」と語った。
10). ユダは、「べつの世代」はなにをするのですかと問う。イエスは、「星々はすべてを成就させる。サクラスは自分の時間をまっとうすると、その世代の最初の星が現れ、彼らはわたしの名において姦淫し、自分たちの子どもを殺す」ここでイエスは、「6つの星が5人の闘士とともに迷い、滅ぼされる」のを見て、笑う。
11). つづいてユダは洗礼した者についてイエスに訊くが、原本破損による欠落がひどくてほとんど意味不明。かろうじて「サクラスへの捧げ物」と「すべては悪」という字句が読み取れる。
12). ここでイエスはユダに重大な発言をする。「おまえはわたしを包むこの肉体を犠牲として捧げるだろう」。その後ユダは「変容」し、イエスに導かれるままに、「光り輝く雲」すなわち本来の居場所を見、その雲へと昇り入ってゆく。地上の人々は雲から聞こえる声を聞くばかりで、雲じたいは見えない。
13). イエスが一室で祈りを捧げていると、祭司たちは囁きあっていた。彼らはイエスを逮捕したかったが、イエスは人々からは預言者とみなされていた。祭司たちはそんな群衆を恐れていた。祭司たちはユダを見咎めると、ユダは彼らの聞きたかったことを告げ、金を受け取り、イエスを祭司たちに引き渡した。
…番号の割り当ては簡易的なもので、チャコス写本のページ番号とも、現代語訳の割り振りともちがうことを断っておきます(奇しくも13で終わってしまった…orz)。
率直に言いまして、これをほんとうに理解するのは至難の業。はじめて邦訳のもとの版つまり現代英語訳を見たときも、とくに後半部分の宇宙創世神話のところでアタマがウニになりました。…あらためて邦訳本として読んでみても、…やっぱりよくわからない。判然としない部分がとても多い。これはもとのパピルス文書が20年以上ものあいだ、きわめてぞんざいな扱いを受けてきた結果、文書じたいが消滅寸前だった、という悲しむべき事実も一因にあるとは思います。
コプト語で書かれた「ほんとうの」原文から直接訳を起こしたものではなくて、いわゆる「重訳」というやつですが、欠落箇所を補った[...]の部分までぴたり英訳とあわせよう…という配慮をしつつ、読みやすい訳になっていて、この点は一読者として好感がもてました。
チャコス写本の現代語訳では、研究者によって解釈が分かれる部分がいくつかあり、たとえば4番目の挿話で、12の弟子が見たという夢の内容。地理学協会側の発表した英訳では、12人の祭司が犠牲として捧げる牛は「あなたがたが迷わせて[40]、その祭壇の前に連れて行った人々である(p.37)」とあるけれど、コプト語原文を文字通り訳すと祭壇の前じゃなくて祭壇の上だとする古コプト語研究者による主張もあります。また邦訳本p.48-9に出てくる「ユダの種子」の解釈についても、ただたんに「ユダの子孫/ユダにつらなる系譜」と解釈すべきで「内なる神性の輝き」ととらえる必要はないとも述べています。→こちらの書評。書評中のチャコス写本を訳出した箇所は評者独自に英訳したものでこちらも参考になります。
あとこれはほんとにどうでもよいことながら、英訳とつき合わせて見ていたら、邦訳版に訳し漏れがあるのを見つけました…。
「本当に、[...]お前の最後の[...]となる[――約二行欠落――]。なぜなら彼は滅ぼされるからだ」(p.70)
英訳版ではこうなってました。
“Truly [...] your last [...] become [―about two and a half lines missing―], grieve[―about two lines missing―] the ruler, since he will be destroyed.
「本当に、[...]お前の最後の[...]となる[――約二行半欠落――]悲しむ[――約二行欠落――]支配者…。なぜなら彼は滅ぼされるからだ」
原典じたいが破損して穴だらけなので、grieve一語があろうとなかろうとたいしたことじゃないか…。でもこのgrieve、自動詞なのか他動詞なのかがわからない。
チャコス写本の現代語訳につづいて、今回地理学協会側の福音書復元・翻訳チームのメンバー4人が担当して解題・解説を掲載していますが、ちょっと気になったのはバート・D・アーマン先生の書いた解説…の出だし(p.101)。はっきりダ・ヴィンチ・コードを意識している…「フィリポ福音書」だったかな、たしか作品に出てくるのは。有名なナグ・ハマディ文書中の福音書にからめて書いてあるんですが…なんか個人的にはやっぱりそのつながりで発表したんだな、とつい勘繰ってしまった。
それでもこの本によって、「ユダの福音書」をふくんだパピルス写本の中身が、「ピリポに送ったペテロの手紙」(1〜9ページ)、「ヤコブ(の黙示録)」(10〜32ページ)、「ユダの福音書」(33〜58ページ)、「アロゲネス(異邦人)の書」(59〜66ページ)という構成だったこと、1978年にこのパピルス文書がナイル河右岸の岩山の洞窟内にあった盗掘墓から出土したことをはじめて知りました。それと後半ふたつの解説は、グノーシス派との関連を詳しく検討していて、バルベーロだのサクラスだの、日本人にはまるで馴染みのない神々の名前や由来についても知ることができるので、グノーシス研究書としてはおおいに参考になりますね。といってもこの手の本は「健全な批判精神で」読むべきでしょう(アラ探し、という意味ではありません)。とはいえグノーシス派の宇宙創世神話なり、当時のグノーシス派を取り巻く時代背景なりをあるていどは最低限知ってからこの本を読むのでなければほとんどわけがわからないことも事実。読者側もあるていどは勉強しないと、とこれは自分自身もふくめてですが…。
最後にこの本の補(原?)注のつけ方。巻末にずらっと並んでますが、本文側にそれを示す印がなにもないので、しおりでもはさんでいちいち確認しないとどのへんの補足事項だかわからない。そしてこれは邦訳版元の方針だろうけれども、訳者あとがきくらいは入れたほうがいいのでは…。欲を言えば、日本を代表するグノーシス研究者の大貫隆氏や筒井賢治氏あたりが監訳者として携わればさらによかったかも(補注にある、「そのほかに別の『トマス福音書』も存在する。こちらは、いわゆる最初期の福音書に属するもので、内容はナグ・ハマディ文書のテキストとはまったく異なる」って、ひょっとしてここでもちょこっと紹介した、「トマスによるイエスの幼時物語」のことかな??)。
*横文字スパムコメントが多いため、当面のあいだ、この記事についてはコメント不可にさせていただきます。あしからずご了承ください。
2006年06月11日
『原典 ユダの福音書』
posted by Curragh at 20:32
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