2008年01月07日

音楽もまた人なり

1). 静岡県出身の若手音楽家はもちろんきのう書いたピアノの逸材・佐藤くんだけではありません。昨年は「日本音楽コンクール」でフルート・ヴァイオリン部門でふたりの方が1位入賞しています。こちらもすばらしい快挙です。

 先日、NHKのローカルニュースを見ていたら、ヴァイオリン部門優勝の長尾春花さんが生演奏を披露してくれました。インタヴューで今後の目標を訊かれた彼女は、国連平和大使としても活動する五嶋みどりさんらの名前を挙げて、自分も恵まれた環境で育った者として、音楽をつうじて戦争で傷ついた人たちを癒したい、と言ってました。これは小学生のころからの夢だったそうです。

 先日、「ローマ帝国」関連番組の裏番組として放映されていたクラシック音楽ものドラマではないけれど、コンクールで上位に食いこむ…というのもたしかに大切な目標だとは思うし、その気持ちはよくわかる。でも本来音楽というのはその先にこそほんとうの使命が待っているもの。これは音楽にかぎらず芸術全般について言えることでしょうけれども。長尾さんのすばらしいところは、音楽という芸術のもつ力、本質をしっかり見据えているところです。以前ここで米良さんのことにすこし触れたけれども、「音楽もまた人なり」、つまり演奏する側の「精神性」が演奏にもにじみ出るものだと思います。そこが、聴く者を感動させるもっとも重要な根本部分なのだと思う。これがなければ、たとえどんな超絶技巧の持ち主で才能に溢れていても、ただ表面的・皮相的解釈で終始してしまい、はなはだ印象の薄いrenditionになってしまうのではないかと思います。

2). とそんな折り、さる生涯学習機関の「ボールペン字講座」のTVCMが。BGMが流れたとき、思わず音量を上げてしまった。歌声を聴いた瞬間に懐かしい思い出が蘇りました…BACの来日公演で聴いたあの美しいボーイソプラノ。アンドリュー・ジョンソンの歌うバッハでした(マルコ受難曲 BWV.247中のアリア。ついでに黒板の字がいちばんきれいなのは小学校の先生。いちばん汚いのは大学の先生)。

 アンドリューの子ども離れした抜群の技術と音感、芯の強いと同時に暖かみのある歌声はいま思い返しても飛びぬけてすばらしかった。ボーイソプラノとしての絶頂期の歌声を2回も聴く機会に恵まれたことはほんとうにラッキーだったと思っています。2回目はなんと焼津に来てくれまして、彼のソロを堪能しました(「鳩のように飛べたなら」はじつに印象的な名演でした)。それがもう7年も前のこと。Ars longa, vita brevis、とついそんなことを思ってしまった。そういえばマタイ・ヨハネの二大受難曲はともかく、いまだにマルコのほうは全曲きちんと聴いていない。図書館からバッハ全集所収のディスクを借りてくるかな(作曲年代とされる1731年ごろのバッハはライプツィッヒ市当局との度重なる衝突に頭を抱えていたころ。バッハは打開策としてドレスデン選帝侯の「宮廷作曲家」の称号を獲得しようと考え、そのために作曲したのが大作「ロ短調ミサ BWV.232」。ミサ曲とはいえルター派の言い回しをふくむ24の合唱・アリア・二重唱からなるカンタータ・ミサと呼ぶべきもので、伝統的なローマカトリックのミサ曲の枠組みには収まらない異色の作品。全曲完成は1748年、バッハ最晩年のときだった)。

 …芸術ついでに先日見たローマ帝国もの。新約聖書巻末の「ヨハネの黙示録」では666の刻印の押された獣として記されてもいる暴君ネロ。ローマ大火のとき、燃えさかる光景を見ながら竪琴をつまびいて陶然としていた…というのはウソで、率先して陣頭指揮に当たっていたと紹介してました。またしても取れないところにあるため確認できないが、スエトニウスの『ローマ帝国皇帝伝』に書いてあることは事実ではないということらしい。ネロとくると、どうしても思い出すのが「芸は身を助く」というひじょうに有名なことば。それとアイルランド出身の小説家ロバート・グレイヴズの歴史小説I, Claudiusによれば、カエサルは暗殺されたとき、ブルートゥスに向かって「子よ、お前もか!(Thou too, child!)」と言ったとか。グレイヴズは史料に当たってそう書いたので、シェイクスピア以降人口に膾炙した名科白もじっさいのカエサルのことばではないようです。

3). そういえば土曜日に放映していたこちらの番組。WSKも出てましたね。公式サイト見たら、今年も来日するみたいです。今年来るのはシューベルト・コアで、昨年同様、日本人の子がひとり入ってました。

タグ:長尾春花
posted by Curragh at 23:51| Comment(5) | TrackBack(0) | 音楽関連
この記事へのコメント
え!例のボールペン講座CMは、、Andrew Johnsonくんですか!ボーイソプラノなのはわかったけど、、誰かなあと気になるばかりで。。。。

BACって焼津公演もやったんですか?

ともかく、、、私、ずばり正直にいって(笑)彼の声は'Boys on Bach'の1トラック目を聞いただけで、かなり印象が悪くて・・・はい、「気に入らない」タイプでした(苦笑)。あのCDはBACのなかでは例外的に嫌いなのです。でも、こうして部分的に聞くとなかなかいいもんですねえ・・・うーん。

'Ars longa, vita brebis' おお、久々にこの名文句を聞きました。「少年老い易く学為り難し」ですね。以前、わたしが「展覧会の絵」のロック&クラシック融合バージョンについてご紹介しましたが、これを演奏していたEL&PというグループのキーボードプレイヤーであるKeith EmersonがELP結成の前に在籍していたNiceというジャズロックバンドが、'Ars longa, vita brebis'というタイトルのLP(LPですっ。その後CD化されましたが)を出していましたので、私もこのラテン語は学生時代から(!)知っていました。

http://brighton-music.com/SHOP/prog636.html

Curraghさん、今年もいろいろとご教示くださいね。
Posted by Keiko at 2008年01月09日 00:35
おくればせながら、あけましておめでとうございます。今年もいろいろご教示下さい。

私の大学オーケストラ時代には、
「音は人格である」
という格言がありました。
そのくせ、団内にはいい音はしていてもとても人格者と言えるような人は見当たらなくて・・・まだ20代では無茶な話だったのは、今だから分かるのですけれど・・・私自身、最近やっと
「なるほどなあ」
と納得するようになったところです。
若手音楽家の対当も素晴らしいし、記事中の長尾さんのお話にも非常に心を打たれるものがありましたが、彼女が名前を挙げたという五嶋みどりさんも、デビュー時から天才だし人間的にも素晴らしかったので大好きでしたが、年齢を重ねて一層深みが増していますね。そう言う先輩の背中をしっかり見ている若いプロフェッショナルに、大いに期待したいですね。

すてきな記事を拝読できて、幸せです。

(他の記事も、でしたが、美味くコメントできなくって・・・すみませんでした!)
Posted by ken at 2008年01月09日 23:44
あ、ネロの話を落としました。
スウェトニスの記述は知らないのですが、タキトゥスは、ローマ大火時のネロについてはやはり「陣頭指揮した」に近い記述をしていますね。ただ、結局は彼の舞台への出たがり癖が妙な噂を呼んで、大火の最中にもネロは自邸の舞台で悲歌を歌っていた、と言うことにされてしまった旨が記されていますから、この辺が「クオ・ヴァディス」にも描かれることになったネロの醜悪な像に繋がってしまったのでしょうか。。。(岩波文庫「年代記」下巻265頁を参照しました。)
Posted by ken at 2008年01月09日 23:52
Keikoさん:

BACは2000年暮れに焼津公演をおこなっています。席位置もちょうどアンドリューくんの前で最高でした。
技術的にはもちろんハリーもアンドリューも例の評価では「うまうま」なんですが、けっきょく好みというか嗜好の問題でして。好みがはっきりとわかれる声質かもしれません。じっさいの歌声は、エドくんよりも安定感があり、安心して聴けました。エドのほうは、もっとやさしい繊細な声でした。なので「夏の名残りの薔薇」なんかはエドのほうがしっくりきます(Ars longa...は言うまでもなくギリシャ語原文をラテン語訳したものです)。

http://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2006/10/gnomai_2_6c9b.html

Kenさん:

タキトゥスでしたか。さっそく参照してみます(汗)。そうすると、あの番組と、番組の下敷きになった『ローマ人の物語』はそちらを典拠にしたようですね。

メニューインとかロストロポーヴィチとか、名演奏家と呼ばれる人たちは人間的にもずば抜けていて、心から尊敬できる人が多いですね。五嶋みどりさんももちろんそのおひとりだし、弟の龍くんもまたちがった個性の持ち主で、それぞれにすばらしい。

でも龍くんの場合、以前自分は彼の演奏を聴いてもあまり心に響いてきませんでした。おなじ聴くのなら川畠成道さんの弾く「シャコンヌ」のほうがはるかにいいと感じていました。でもすっかり成長したいまの彼の演奏を聴くと、以前には感じなかった深みが醸成され、音楽の本質そのものに肉薄する演奏に変身したように感じます。芸事はなんでもそうだとは思いますが、やはりあるていど年齢を重ねる必要があるということでしょうか。いずれにしても演奏する音楽に演奏者本人の人となりは反映されるものですね。でも場合によっては「いい子」ぞろいより、グールドやファジル・サイのような「反逆児」的演奏家というのももっと出てきてよいかと…。生物ばかりでなく、多様性こそが音楽の世界を真に活性化させるような気がします。いまはやりのボーターレスという言い方に置き換えてもいいかもしれません。

Posted by Curragh at 2008年01月12日 16:53
あ、もとはギリシャ語だったのですか。。それは知らなかったのです。ともかく「芸術派長く人生は短し」という意味に取られがちだけど、本来そうではない、というくらいの知識しかありませんでしたので、詳しい解説のページを教えてくださってありがとうございました。
Posted by keiko at 2008年01月14日 00:41
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